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2012-11-27

市川家内乱

だいたいの流れ:
高倉山に押し寄せた秀吉勢プラスアルファを無事撃退した毛利勢は、
上月城に籠もる尼子勢を降伏させ、勝久らを切腹させた。
また山中鹿介も護送中に討ち止め、ここに、長きにわたる尼子との戦いは幕を下ろした。

さて今回は、防長で留守を守っていた人たちにも、なんだか波乱があったようだよ!


市川少輔七郎、謀反のこと

周防は山口の鴻の峰に在番していた市川刑部少輔経好から早飛脚が遣わされ、
「愚息の少輔七郎元孝は、豊後の大友入道宗麟と一味して反逆を企てましたので、
是非もなく討ち果たしました」との報告があった。

その詳細を尋ね聞いてみると、少輔七郎はつくづくと考えたそうだ。
「父の経好は大内義長が切腹した後、この城に在番して所領を数ヶ所賜り、人よりも富み栄えた。
しかし私はたいした高名もなく、それに歳もまだ壮年には及ばず、人と特別なつながりもない。
これから父の所領を継いでこの地の押さえとしてこの城にいても、栄華を極めることはできないだろう。
父の経好はもう七十歳に及んで、残された時間はそれほど多くない。
父が死んでしまったら、私は兄弟のなかでも末子なのだから、父の跡を丸々相続することはできない。

人々にたいした人だとかしずかれたのも、父一代の間のはかない楽しみだった。
落ちこぼれて人に後ろ指をさされ、
『あれが経好の末子か。頭が賢くて勇が優れていれば、父の跡を継いで、
鴻の峰に在番することになったのだろうが、
父よりひどく劣ってうまれてしまったからこのような有様になったのだ』
などと嘲笑われるのは口惜しい。
こうなったら、大友金吾入道と一味して反逆を企て、防長二国を領して、
上を見たことがない鷲のように振舞ってみたいものだ」と、
ひそかに豊後に使いを送って、このことを言い送った。

大友金吾入道は大いに喜び、
「吉川・小早川は上月表で秀吉と対陣しているそうだな。
いつ勝負がつくともわからない状況だとか。
そのうえ織田信長も国中の兵をかき集め、後詰をしてくるというではないか。
毛利家の滅亡はこのときなのだ。
急いで市川が望むとおり、一味同心して、防長二ヶ国を市川に与えよう」と約束し、人質を取り固めた。

大友は、「まず、鴻の峰の二の曲輪に在番している内藤隆春を討って、
その城に二、三千騎ほど差し籠めれば、防長の通路は遮断できるはずだ。
そうすれば長州下関の城にいる吉見大蔵も、周防の富田の若山に在番している熊谷伊豆守も、
自分の城が落とされないようにと、それだけを心にかけて堅く守り、
おいそれと鴻の峰の城を攻めようとは思わないだろう。
このとき入道が数万の軍兵を率いて赤間が関を押し渡れば、吉見はひとたまりもない。
もし正頼が自分の勇を信じて城を守るとしても、五日以内に攻め落とせる。
そうすれば、長州の敵城は一ヶ所も残らず一斉に降伏するだろう。
熊谷がいかに猛々しいといっても、わずかの兵力では若山でこらえることはできまい。
とくに防長二ヶ国は亡き義長に縁の深い土地だ。
こちらから誘わなくとも、自然と味方についてくれるだろう。
このときに市川に味方することこそ、自分の家の武威が盛んになる瑞相だぞ」と、
少輔七郎に「人質を差し出せば、のぞみのままに防長を宛行おう。
それに人数三千を白松あたりに差し渡そう。これは大友・市川が一味した喜びの印だ」と伝え、
使者にも金銀を数多く与えた。

少輔七郎の使者は急に徳が高くなった気分がして、急い馳せ帰ると、主君にこのことを伝えた。
少輔七郎は大いに喜び、また使者を遣わして、
「御人数を小郡あたりへ差し渡してくだされば私の娘を人質としてそちらへ差し出します。
その夜中のうちに御手勢を皆山口へと引き入れますので、未明に鴻の峰へと切り上がってください。
そのとき少輔七郎は詰の丸から二の曲輪に立て籠もる内藤隆春を攻めましょう。
御手勢だけでも内藤はひとたまりもないでしょうから、ましてや私が後ろから矢を射れば、
あっという間に討ち果たすことができましょう。
鴻の峰が落ちれば、防長は一日か二日の間に手に入りましょう」と言い送る。
大友入道は大いに喜び、吉弘賀兵衛尉・部丹生弾正忠を大将として、
総勢三千余騎を大船数百艘に分乗させて小郡の沖へと送った。

そして山口に使いを出し、少輔七郎元孝にそのことを告げると、
少輔七郎は「これまでの望みが一気に叶った」と喜んで、「娘を小郡へ遣わそう」と、
家人たちを呼び集めて会議を開いた。しかし意見は分かれて、夏の夜も深まってしまった。
少輔七郎は今夜のうちに小郡へ出発させようと強く主張したけれども、
鶏が鳴くころになってようやく城中から送り出した。

少輔七郎はこのことをまだ父の経好に言っていなかったが、豊後勢がもう小郡へ着いたと聞くと、
すぐに村竹・波多野という郎党を呼び寄せて、
「私は思うところあって、大友と一味して毛利家に対し反逆しようと思っている。
それで大友入道殿にこのことを申し入れたところ、もう了承してくださり、
防長二ヶ国を与えてくださると約束してくださった。
このことを父の経好にも申そう。

もし私に賛同してもらえれば、それほどの本望はない。
しかしあの方は毛利家の重恩を蒙っている人だから、私に賛同しないことも考えられる。
でもこれは私のたっての願いなのだから、父が同意してくれない場合は、
しかたがないので討ち果たそう。このことをよくよく心得て、父に話してくれ。
おまえたちが私の所存をしっかりと申し入れ、父が私に一味してくれれば、
二ヶ国を手に入れた暁には、たくさんの所領を宛行ってやろう。
おまえたちや私が栄達するかどうかは、これからの経好の考えにかかっているのだ。
しっかりと説得して、父子の心が一致するように取り計らってくれ」と言った。

村竹・波多野はこれを聞くと、
「仰せのとおり、経好になんとか申し上げ、ご返事を受け取ってまいりましょう。
防長二ヶ国が大友から与えられることになれば、再び大内家のように仰がれることになるでしょうから、
経好もきっと異論はありますまい。お心安くいらしてください」と、立ち出でていった。

二人がすぐに経好にこのことを申し入れると経好は聞くや否や涙をはらはらとこぼした。
「私は元就の御厚恩を蒙ってきた。それは山よりも高く淵よりも深く、
三寸の舌の先で言い表すことができないほどだ。
このことはおまえたちもよく知っているだろう。
まさか二心あるまいと頼りにされてきたのだ。
この城に籠め置かれている元防長の大内家の諸侍たちも、私の庇護を望み、
少しでもおこぼれにありつけるようにと従ってきている。
さながら守護職のようではないか。

私は取るに足りない身で、しかも年老いているし、心も耄碌してきたが、
その芳恩に報謝するために忠志に励んでいる。
いったい何の恨みがあって弓を引き、矢を放つというのだ。
私がこの悪逆を制し止めるのは、父が父であり、子が子であったなら、簡単にできただろう。
しかしこのように、主君の恩も忘れ、父の命にも背いて、五逆八逆の罪を企てる悪人ならば、
どう言って制しても、承知はしないだろう。
承知しないからといって、また私が不義の子に味方することは絶対にない。
もういい。私の首を打って少輔七郎に持って行け。
私が死んでからなら、こんな暴虐非道の振舞いであっても、私が関与することはない。
長生きすると恥ばかりが多いというが、これでよくわかった。
早く死んでいれば、こんな憂き目を見ることもなかったろうに。

昔の人はどういうつもりで
『去りぬ別れのなきもがな 千代もと祈る人の子のため』などと詠み置いたのだろうか。
どういうつもりで、少輔七郎は、七十歳にもなる父に恥をかかせ、命を奪おうなどと考えたのだろうか。
源義朝が父を討ち、長田の主を殺した悪逆よりもさらにひどい。
おまえたち二人がどんなに言っても、私は承知しないぞ。
少輔七郎の企みは正しくない。おまえたちも本当はわかっているのだろう」と、怒ったり嘆いたりした。

使いの者たちは頓首していたが、
「一旦は少輔七郎殿の仰せを申し上げたのですから、このうえは、
どうかいかようにも、しかるべきようにお取り計らいください」と言った。
経好は、「ではおまえたちは少輔七郎を討て」と言う。
二人の者たちは、「とにもかくにも、仰せに従いましょう」と了承した。

経好は、「おまえたちも、義のあることと不義のことの理をわきまえ、私に同意してくれたようで嬉しい。
少輔七郎には、騙してこう言うようにしなさい。
『経好は老いて耄碌してしまい、前後もわからぬ有様なので、何事でも少輔七郎に任せ置くようにと、
今このような謀略を運ぶことを承知しました。
侍は渡り物なのだから、一旦は毛利に従ったとはいえ、また大友に靡くのに何の憚りがあろう。
それに大友から防長を賜れば、子孫は無窮の栄華を誇れるだろうから、この経好の望むところでもある。
早々に大友勢をこの城に引き入れなさい、そう言っていました』とな。
そうすれば少輔七郎は大喜びして、きっと油断するだろう。
そのときに隙をうかがって、二人で討ちなさい」と命じる。
二人の者たちは、「かしこまりました」と立ち帰った。

少輔七郎は二人が帰ってくるのが遅いので、父が何を言ったのかと気を揉んで、
縁側に立ち出でてそわそわと待っていた。
そこに二人が帰ってくると、少輔七郎は「どうだった」と問う。
二人は、「ご本望を達することができます」と答える。
重ねて少輔七郎が「父は何と言ったのだ」と問うので、二人は言い含められたとおり答えた。

そのとき少輔七郎は大きくため息をついて、
「父が同心してくれなければ討つしかない、とは言ったけれども、
実の父に向かってどうして剣を抜けるだろう。
経好は絶対に協力してくれないと思っていたのに、予想外にこう言ってくださったのは、
私の企みが成就する瑞相だ。
私が人質として遣わした娘も、そそろ小郡へ着くだろう。
いざ二の曲輪の隆春を攻めよう」と言うと、
「そこに楯を掻きつけろ」「ここに塀をつけろ」と下知をした。

内藤は経好がこんなことを言ったとは知らずに、
「市川父子が敵となり、豊後勢を引き入れるようだ」と聞くと、
「快く一戦して討ち死にしてやろう」と、兜の緒を引き締めた。

さて豊後勢はというと、夜のうちは少輔七郎の人質を、
今来るかもう来るかと小郡に船をつけて待っていたけれども、待てど暮らせど一向にやってこない。
「これはこちらを騙して討とうとの謀略だろう」と、碇を引き上げ艫綱を解いて、
沖の方に漕ぎ出てしまった。
少輔七郎の郎党たちはこのことを夢にも知らず、夜のうちにどうにかして小郡へ行こうと急いだが、
夏の夜は寝ないうちに明けると言われるのももっともで、
たなびく雲の中から朝日が朗らかに顔を出してしまった。
約束の場所に着いてみると、豊後勢の船影も人影も見えない。
「これはどうしたことだ。合図が何か間違っていたのか」と、ただ呆然とするしかなかった。
けれどもこうしてばかりもいられないので、やがて山口へと帰っていった。

少輔七郎は、父が異議なく反逆に同意したと聞いて大いに喜び、
「ではまず隆春を攻め討とう」と、二の丸に向かって楯を掻きつけ、
攻め支度のために兵たちに下知をしていた。
自身も鎧を取って肩にかけようとしていると、村竹・波多野は
「防長両国の大将にもなろうという人が、まだ合戦も始まらないうちから、いそいそと鎧をつけるなど、
まるで慌てふためいているようです。
大将がそのように逸っておいででは、全軍も浮き足立つものです。
しばらくお控えください」と大いに諫める。
少輔七郎はもっともだと思ったのか、鎧を傍らに置いて戸張して突っ立つと、
二の丸を攻める手はずを兵たちに説明しだした。

村竹は騙しおおせたと思って、抜き打ちに袈裟懸けに丁と切る。
少輔七郎は「やる気か」と言って、縁側から大庭へヒラリと飛び降りたが、
したたかに切りつけられていたので、よろめいてしまった。
そこに波多野が続いて飛び降りると、少輔七郎を切り伏せた。
これを見て、経好の郎党と少輔七郎の手の者たちは、思い思いに切り結んだ。

そのとき経好は大声を上げて、
「少輔七郎はありえない悪逆を企んだからこうして討ち果たしたのだ。
もしおまえたちが、主君を討とうとし、父を殺そうとする五逆大悪の罪人に味方するのであれば、
子々孫々まで処刑する。
また、私の説く道理に従って降伏するのであれば、一命を助けて本領をもと通りに与えよう」と言った。
少輔七郎の郎党たちは、皆一斉に静まり返った。

少輔七郎はくだらない謀反を企てたがゆえに、自身は易々と討たれ、
不義の名を後世まで残したばかりか、一門の名声を落としてしまった。
なんとも口惜しいことである。
その魂は六道四生に迷い、閻魔大王の鉄棒を喫し、飯銭を要求される苦しみから逃げる暇もなく、
草や木精霊となって人民を煩わせたという。


以上、テキトー訳。

うおおおお市川さんちにもこんな波乱があったんかい。
乃美さんちと似た感じの状況だな。
乃美さんとこは、謀反起こそうとした嫡男幽閉→死亡ってことになっとるけど、
経好さんはがっちり殺してるのか。
毎度おなじみウィキペさんで見てみると、謀反を画策したのは経好嫡男の元教、
殺害の命を受けたのは雑賀隆利ら、なのねfmfm……

てか、経好さんてのは、興経を追いやった張本人の吉川経世の嫡男だよな。
前からの働きで、経好は毛利直属みたいになって、
弟の今田経高は吉川家臣として残った、みたいな理解でいいんだろうか……
いまだにここんちの支配体制があんまりよくわかっておりません。
石見吉川も、微妙に毛利直属・吉川預かり、みたいな雰囲気ががが。
ちゃんと勉強しなきゃ駄目ってことよね。ハイ。

しかし、君臣の絆ってのは、さすがに「三世の契り」と言われるだけあるね。
実の子への情すら超越しちゃうんだもんな。
陶隆房の父人しかり、市川経好しかり。
でもまた、こういう子を自らの手で葬ってやるのが父の情なのかもしれないね、などとも思ったり。

さて、次章もスピンオフ的なこぼれ話っぽい気配だす。
のんびり行くことにする。
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