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2012-12-22

山田さんのお説教

だいたいの流れ:
上月表で全面対決となった織田VS毛利、今回は織田の撤退で毛利側の勝利かと見えたが、
備前の宇喜多直家が離反し、また伯耆でも南条元続兄弟が織田に寝返った。
これに大激怒した元春・元長は南条討伐を決意したものの、
南条と縁の深い山田重直のとりなしによって、今回だけは許すこととなる。
元春の命で、山田は南条をそそのかした、元尼子家臣の福山次郎左衛門を討ち果たした。

長いので分けまする。


南条元続、山田出雲守を討たんと欲すこと(上)

南条伯耆守元続は、山田が福山を討ったと聞いて怒り心頭し、事の次第を糺した。
山田出雲守は南条に向かってこう言った。
「謀反を思い立ったのでしたら、私に一言でもお知らせくださればよかったのに。
輝元・元春に恨み言があるのなら、そのことを愁訴して、
その遺恨を瓦解氷消させることだってできました。
それで輝元・元春が当家に対してますます礼を失するようであれば、
そのときはどんなことでも思いのままになさればよろしい。
それなのにあの福山めが、自分の立身出世のために言い出したことを真に受けて、
私に一言の仰せもなかったのが口惜しくて仕方ありません。

宗勝が去る元亀二年(天正三年)にご逝去されたときも、歴々の家老たちが控えているなかで、
宗勝は国人の私に対して『何事も元続の後見をしてやってほしい。
もし元続が、恨みがあるからと言って少しでも毛利家に背こうとした場合は、
当家の弓矢の冥加が尽き果てるばかりか、この宗勝が草葉の陰から恨みぬいて、
七代先まで勘当すると考えてくれ」と仰せになられました。
その真意は、こういう事態に至らなくとも、いくらでもお話いたしいます。
このことは宗勝が朝に暮れに仰せになっていたのですから、
まさか忘れていらっしゃるわけはありませんな。

そもそも、ご当家が毛利家で厚恩を蒙っていることは、いかなる言葉をもっても語りつくせません。
というのも、去る大永四年に、尼子伊予守経久によって山名殿は伯耆を追い出されて、
肥後の国の宇土の屋形を頼って下国なさいました。
そのときに、ご亡父の宗勝も伯耆を追い出され、但馬へと上ったのです。
私の親である長田石見守をはじめとして、伯耆の国人たちも皆但馬へと逃げ上り、
本領をすべて尼子に奪われてしまいました。

そして宗勝も私たちも布施の山名左衛門佐殿を頼って暮らしていたのですが、
山名左衛門佐殿は弟君を討ち果たしてしまわれました。
その弟君は菖蒲という白拍子に深く情をかけていらっしゃいましたが、
その白拍子は良夫をわけもなく討たれて口惜しく思ったのでしょう。
京都へ上って三年が過ぎたころにまた伯耆の布施へとやってきて、左衛門殿に面会を申し入れました。
左衛門殿はすぐに白拍子を召し寄せて、終夜酒宴を催しましたが、左衛門殿が盃を遊ばせているときに、
その菖蒲は扇を開いて美しい声で歌いながら舞い終えると、左衛門殿の袂にすがって、
『ただいま私が酒肴にひとさし舞いましたのに、受けてくださいませんのね。意地悪な方』と、
酒を一杯注ぐふりをしながら、帯の端に入れておいた毒を取り出しました。
それをうまくごまかしながら銚子の中に入れると、その酒を左衛門殿に飲ませたのです。

左衛門殿は一口飲むと、『この酒は匂いが悪いな。これを飲んでみよ』と言ったので、
御前にいた伊秩玄蕃允が『では私が』と言って、盃一杯に注がれた酒を飲み干しました。
玄蕃允は、『本当にこれは匂いがよくない。温めなおしてお持ちしましょう』と言うと
その座を立って内に入り、酒を替えてきました。
その後酒宴が数刻続いたころ、玄蕃は大の上戸でしたので、腹の中の毒をすべて吐き出して、
命に別状はありませんでした。
左衛門殿は、その夜のうちに亡くなってしまいました。
そして菖蒲という白拍子は、夫の仇をとったと喜んで、すぐに京都へ帰っていったのです。

このように、頼りにしていた山名殿も亡くなってしまわれたので、
宗勝も私もどうしようもなくなって因幡の国へとやってきて、
山名但馬守殿から守護に命じられていた武田山城守を頼って暮らしていました。
この武田は、とある仔細があって若狭で牢人し、それから下ってきて客人としてもてはやされ、
右の上座にいて、それはそれはもてはやされていました。
この山城守のもとにいたときに、あちこちの合戦で宗勝が何度も武功を立てたのです。
私もその年の正月五日に青屋で一戦があったとき、一日二度の合戦で首を二つ討ち取りました。
それから八月までその戦は続き、毎月二度は手に鑓を握って、首を十三取ることができました。

この忠勤によって出世もできたはずでしたが、すぐに橋津合戦が起きて、
武田山城守は戦いに負けてしまい、すくも塚で自害して死んでしまいました。
このとき宗勝も私も十死一生の難を逃れ、山城守の嫡子高信を頼っていきました。
しかし本国に帰ることなどできそうもなく、ただ一日一日と時ばかりが過ぎていったのです。

そのころ、元就様の武威が日に日に盛んになっていき、
いつの間にか尼子家は出雲一国に取りつめられていました。
宗勝と私が、元就様に本国を安堵していただけるように頼みこんだところ、
すぐに憐憫を垂れてくださって再び本国に帰ることができたのです。
これはひとえに毛利家のご厚恩でございます。
もし元就がこうしてくださらなかったら、今でも私たちは路頭に迷って飢えに渇いていたことでしょう。
いまこうして伯耆半国の主となれたのは、当家が勝ち取ったわけではなく、
ただ元就公の恩賞にほかなりません。

だから宗勝は、ご臨終のときにも、先ほども申しましたように、
『毛利家のことを当家の氏神と同じように敬うように。
もし別心を抱けば天道の誅罰を蒙り、その身は滅び果てる』と仰せになられたのです。
このことはとっくにご存知ではありませんか。
それから私が新庄に罷り越し、吉川式部丞(経久)殿のご息女を貰い受けたいと元春様に申し上げたら、
元春はすぐにその女人を養女にして、元続に娶わせてくださいました。
これほど親しくしてくださっているというのに、
福山にそそのかされて謀反を企てるなど、まったく話になりません。

今回は、当家はすぐにでも押し潰されたとしても文句は言えない立場ですが、
いったんご婚姻のご契約が成立したのです。
この旨に元続が背いたとはいえ、元春様は一度は怒りを抑えてしかるべきだと、
まったく律儀なお考えで、福山だけを討ち取ることでお許しくださったのです。
これほどまでに義を重んじてくださる元春に対し、
手のひらを返すかのように、敵になったり味方になったりと、胡乱なことをなさいますな。
父の宗勝入道殿もあの世で、一族の面汚しだと、頭を抱えていらっしゃるでしょう。
どうか、早々に過ちを改めて、毛利家に一味する約束を固く守ってください。
毛利家から当家に与えられた恩を考えると、今回当家がそれをあだで返しているのですから、
口惜しくてたまりません。
恩を知っているからこそ人なのです。恩を知らぬのは畜生です。

智度論の片端を紐解くと、こんな話があります。
ある人が山に入り、木を切っていましたが道に迷ってしまいました。
さらに豪雨にあい、日も暮れて腹も減り、凍え死にしそうになっていると、
あちこちから悪い虫や野獣がやってきて、その人を殺そうとします。
この人はその難を逃れるため、とある洞窟の中に入っていきました。
すると洞窟の中には一頭の大きな熊がいて、この人はこの熊を見て、
肝をつぶして洞窟から出て行こうとしました。
しかし熊が『おまえさん、私を恐れないでほしい。ここは暖かいぞ。ここに泊まっていけ』と言ったので、
この人は熊の住処に籠もっていることにしました。

七日間も雨がやまないので、出ることもできずに空しく日を過ごしていましたが、
熊が木の実やきれいな水を与えてくれたので、
この人は七日の間、飢えたり渇きに苦しむことはありませんでした。
そうして雨がやんで晴れてくると、熊はその人に帰り道を丁寧に教え、そしてその人に向かい、
『私は多くの罪を犯していて、たくさん恨みを買っている。
もし私のことを問う人がいれば、絶対に私を見たと言わないでほしい』と、何度も念を押しました。
その人は、『絶対に人には話さない』と、固く約束しました。

さてその人が帰り道を急いでいると、道で猟師に行き会います。
その猟師は『お前はどこから来たのか。獣を見なかったか』と尋ねるのですが、
その人は、『熊を一匹見かけましたよ。しかし私はその熊に恩があるので、
あなたに熊の居所を教えるわけにはいきません』と答えます。
猟師はこれを聞いて、『お前は人間だろう。同じ人間と仲良くすべきなのに、
まったくそうしようとせずに、どうでもいい畜類の熊を惜しむのは間違いだ。
お前が私に熊の居所を教えてくれれば、熊を獲った後、たくさんわけてあげよう』と言います。

その人はこれを聞いて、たちまち欲が出てきて心を変え、
すぐに猟師を連れて熊の住処まで案内してしまいました。
猟師は喜んですぐにその熊を殺し、
そして『熊の肉をその者に多く分け与えるから手を伸ばして取れ』と声をかけると、
その人の両肘は両方とも落ちてしまったそうです。

また梅檀樹経にはこんな話があります。
伊那離国に五百人の人がいて、海に入って宝を取って商船に売ると、歩いて帰ろうとしていました。
深い山道で日暮れになってしまったので、その場所に泊まって、
翌朝早くに出発しようと、前々から決めていました。
四百九十九人は皆連れ立って出発しましたが、たった一人だけ寝過ごしてしまい、
友人たちが帰ったことに気づきませんでした。
たちまち友人を見失って、そのうえ雪に降られて道に迷い、どうしようもなくなったので、
天に向かって泣き叫びました。

ここに大きな檀香樹があって、その樹の神様が、
『そこの困っている人よ、ここに泊まっていきなさい。衣食を与えてあげよう。
春になったら出発するといい』と言うので、その人はここに足を止めると、三ヶ月も暮らしました。
その人は樹の神様に感謝して、『おかげさまで命拾いをいたしいました。
しかしまだ、このご厚恩にまったく報いておりません。
私の親に言って、またここに戻ってこようと思います』と言います。
樹の神様は、『では、きれいな金と一つの餅をもらおう』と答えました。
その人は、『どうかこの樹の名前を私に教えてください』と言いましたが、
神様は『それは問わないでくれ』と言います。
その人はまた、『私はここで三ヶ月も暮らしたのです。樹の神様のお情けを思えば、名残も尽きません。
もし私が本国に帰りつけたら、樹の恩を称揚したいのです』と言いました。
樹の神様は、『梅檀香という名だ。根や葉は、人のあらゆる病を治す。香は不思議なほど遠くまで届く。
だから人々はむさぼるようにこの樹を探そうとする。絶対にこのことを人に話すな』と答えます。

やがてその人が故国に帰りつくと、時の帝王が病に倒れており、
その梅檀香が病に効くと言って、捜し求めさせていたのです。
もしその樹を見つけてくることができれば、諸侯の地位を与え、王の娘を妻にくれるというのです。
その人はこの莫大な褒美を耳にすると、樹の神様の厚恩をたちまち忘れて、
すぐに王宮に行って『私はその梅檀香の在り処を知っています』と言いました。
帝王はすぐに近臣を呼ぶと、その人に案内させてその樹を切らせることにします。
使者はその梅檀香の樹下に至ってみると、枝が見事に生い茂っているので、
これほどの名木を切ってしまうのはもったいないと思って、切るのをためらってしまいます。
すると樹の神様が空中から現れて、『いいから私を切りなさい。
切ってから人の血を塗り、肝や腸で覆ってくれれば、また元のように生い茂るだろう』と、
使者に言いました。

使者はこれを聞くと、ようやくその樹を切りました。
すると木の枝がその案内をした人の上に落ちてきて、その人は死んでしまいました。
樹を切った者たちは相談して、樹の神様のお告げどおりに、その人の肝や血を祀ったところ、
その樹はたちまち再生して元のように生い茂りました。
切った樹を車に載せ、国に帰って帝王にささげると、王の病はたちまち平癒したそうです。

このような例を知っていれば、秀吉から信長へと連絡を入れ、
国を与えるだの荘園を与えるだのという方便に騙されて、
毛利家の厚恩を忘れて弓を引くなどということは、天罰が恐ろしいとわかるはずです。
これはまさに、熊の肉を手に入れようとして両腕を失った男や、
諸侯に出世しようとして木の枝に殺された男と同じ所業ですので、
きっと天罰を免れられずに、間違いなく滅亡するでしょう。
天罰は人によって遅速はありますが、世の人々には今日からでもあざ笑われるでしょう。

今は信長が天下の将ですから、その威は隅々にまでとどろき渡っています。
毛利家はわずか八ヶ国の将ですので、勢いが劣っているからといって年来の厚恩を忘れ、
敵に下ったとしても、信長は、『毛利家に対して二心を抱いたのだから、
将来的にはまた我が恩も忘れて敵に与してしまうだろう』と考えるはずですので、
さしたる恩賞もいただけないでしょう。
敵であって強い者は味方にしても心強く、敵であって二心がある者は、
味方にしてもまた二心があると思うのは当然です。

漢の高祖は、項羽の武将である丁公が、自分と敵対していたときに自分を見逃したから、
自分の世になって丁公が拝謁してきたときに、
『丁公は臣としては不忠である。項羽に天下を失わせたのはこいつだ』といって丁公を切り殺し、
『後の臣下たる者たちは、丁公を見習わないように』と言いました。
これも丁公に二心があったからです。
どうか宗勝のご遺言に従って、毛利家へ無二の忠戦を貫いてください」

山田出雲守が涙ながらにこう諫めると、元続はしばらく物も言わずにいた。
出雲守も言いたいことをすべて言い終えると、退出していった。


以上、テキトー訳。続く。

うわー、すごい勢いのお説教だな。
元続もさぞ閉口したろうに……w
熊の話や樹の神様の話は、なんだか子供向けのおとぎ話みたいだな。
こんな話をこんこんと諭される当主……シュールwwwww
「恩を知らないのは畜生」って言葉にぐっときました。
でも畜生だって恩くらい知ってるぜ。

でもそうか。山田は南条の父ちゃんとずっと苦楽を共にしてきたんだね。
だから元続にも強く出れるのか。
こういう重臣の存在ってのはありがたいけど、厄介な面もあって、
新当主とそりが合わないと、けっこうお家騒動の火種になったりするよね。
吉川家も、古くからの重臣と興経の方針が合わなくて、当主が無理やり隠居させられたりしたもんな。
どっちにも言い分があって、どっちが正しいと言えないだけに、なんとも切ない。

さて、次回も続きをしょぼしょぼ読むよ!
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