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2012-12-25

隆景と直家の理解の及ばぬ関係

だいたいの流れ:
毛利と織田の記念すべき初の全面戦争が上月表で行われたが、
羽柴秀吉をはじめ織田の勢が退却することとなり、毛利勢は無事に上月尉を攻め取った。
しかし南では宇喜多直家の反逆が露見し、北では南条元続の反乱が起こる。
元春は出雲・美作方面に注意をめぐらしていたが、
一方そのころ隆景と直家は……?


隆景・直家、対面のこと

宇喜多和泉守直家は、元来表裏第一の邪将なので、
先年黒沢山で反逆を企て、元春・隆景を討ち取ろうとしたにもかかわらず、
その後は一向に敵対する様子も見せず、信長に従いながらも、
「もし毛利家が勝利を得たならば、また毛利家の手に属そう」と考えていた。

そこで洲波隼人入道如慶を芸陽の沼田へ差し下して隆景の下に置き、
「直家は露ほども逆心を抱いていなかったのに、いったい誰が讒言を構えたのか、
隆景が謀反を企てているとお聞きになり、早々に黒沢山を引き払われてしまったので、
直家は面目を失ってしまいました。

私が先年浦上宗景と鑓を交えたときには、毛利家が援兵を出してくださったからこそ
浦上を滅ぼすことができました。
その後三村元親らとの合戦が数年に及んだときには、
輝元・隆景が備中表へご出陣くださって、あの一族を滅ぼすことができたのです。
その後羽柴筑前守が上月を攻め落として美作へと入るか、
または岡山あたりへ侵攻するかと定めたときには、
元春・隆景がご出馬してくださって大軍を引き連れてきてくださったからこそ、
直家が今でも安全に暮らしていられるばかりか、
播磨・美作・備前・備中のなかで数ヶ所を知行できているのです。
これはひとえに毛利家のご厚恩に他なりません。

それなのに、いかに直家が偏屈だとしても、
どうしてこのような重恩を忘れることができましょうか。
ご当家に対して反逆する意図があるならば、直家の武運の冥加はたちまち尽き果ててしまうでしょう。
どうか讒言をした者の言葉を究明なさって、元通りにご憐憫を垂れてくださいませ」と、
何度も申し入れてきた。

その後岡越前守を差し下し、
「直家の申し入れを聞いてくださるならば、備前の児島までいらしていただけませんか。
直家も罷り出て対面いたしましょう」と言うので、
隆景は「それならば」ということで児島へと上り、同六月十三日に宇喜多和泉守直家と談義をした。
和泉守は吉光の名刀を一腰、黒月毛の馬を一頭献上してきた。
そのほか小早川家の重臣や近習といった者たちにも数々の宝物を贈った。

それから直家は洲波入道如慶を沼田に駐在させ、
「何か隆景の御用があればすぐに言い送るように。この直家の力の及ぶかぎり協力するぞ」と言い含めた。
また安国寺瓊西堂にも同様に頼み込んだが、虚堂の筆跡と名誉の迫門の肩衝をつかませたので、
安国寺は「万事ご安心なさってください。
この小僧がいる限り、毛利家は別心を抱かないでしょう」と返答した。
けれども隆景様は末世の聖人と呼ばれたほどの名将なので、どうして直家に騙されることなどあろうか。
洲波にも心を許したりしなかったが、上辺は打ち解けたようなふりをして対応していた。

元春様は常に、「隆景が洲波と何くれとなく未だに付き合ってるが、理解できない。
直家はきっと毛利家と手切れすると、すぐにでも岡山を取り詰められて、
自分が一大事に及ぶのを嫌って、とやかく騙そうとしているのだろう。
信長が播磨の三木の別所や大坂の城などを攻め落とせば、加勢も大勢つくだろう。
それでなくても、秀吉だけでも後詰に来てしまえば、上月の二の舞になってしまう。
また大坂・三木が残っているうちは信長がはるばる出張してくるわけにはいかないのだから、
その両城の敵が滅びるのを待つために、あれこれと騙して狐が化けたような振る舞いをしているのだ。
とっとと洲波を誅殺してしまえばいいのに。
心を許していなくても、中国の様子をうかがって、あれこれと直家に報告しているはずだから、
生かしておいても益はない。

それにあの安国寺に、多少賢いからといって心を許しているのは、これもまた理解できない。
よくよくこの者の行跡を見ていると、狡賢くて欲深く、仁道をまったく心得ていないし、
人より飛びぬけて驕慢な大奸人だ。
きっと将来は、当家の傷になるような侫僧だ」と言った。
けれども元春は、たまには安国寺との付き合いもしたが、
元長様は安国寺を非常に憎んでいたので、折につけ眼に角を立てて睨み付けていた。

安国寺は行く行くの自分の身が心配になり、
「元春父子にはああして嫌われたとしても、隆景様は柔和第一の名将だ。
隆景様を頼れば我が身も安泰だ」と考えて、
奉行や頭人、侍従たちに至るまで、肥馬の塵を望んで擦り寄った。
隆景もこの僧に侫智があるとは知っていたけれども、
なかなかに賢いので、あれこれと召し使ったのだった。


以上、テキトー訳。

とりあえず当面戦争を避けようとしてるように見えるよね、隆景も直家も。
隆景としても、南前での宇喜多直家の影響力は欲しいというところだったのかも知れんと思ったけど、
このあたりはまったく勉強してないんだった……_ノ乙(.ン、)_
けっこうめまぐるしく情勢が移り変わるから、私の脳みそでは処理しきれません。

そういえば今日、直家の援助で建てられた寺(重要文化財)が全焼したってニュースを見たけど
12月25日は、西暦換算した元春の命日でもあったりw
古くから守られてきた建物が失われたのは残念ではある。
けれども、形あるものはいつか失われるって、昔から言われるじゃない。
そのときがきたのかな、などとぼんやり考えていました。

しかし吉川家の安国寺に対する評価はアレよね。
安国寺は一種のスケープゴートだと思ってる派だけれども、
なんかホントに当時から安国寺が毛嫌いされてたかのように思えてくるから不思議。
物語ってのは怖いね。
ちなみに私は恵瓊の手紙が面白くてけっこう好きなので、
こうしてひたすらdisられてるのは悲しかったりもする。

さて次章は……ここがなんとも不思議なんだけれども、
隆景と手を結んでいるかに見える直家は、吉川には敵対心むき出しのようで?
そんなよくわからん情勢の一幕です。
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