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2012-12-27

元春が稲薙ぎしたそうにこちらを見ている……相手をしますか? 南条「」

だいたいの流れ:
上月城の戦いで織田を退却させ尼子を滅亡させた毛利勢だったが、
南では宇喜多直家、北では南条元続兄弟の寝返りが露見する。
宇喜多は隆景に擦り寄って、毛利が勝ったときのためにきっちり保険をかけた。
しかし美作では、宇喜多勢と吉川配下の勢の小競り合いが続いていた。

今回は長いので分割。


伯州長郷田合戦のこと(上)

吉川元春が八橋から芸州の新庄へ帰陣したところ、
宇喜多和泉守直家が二万余騎で美作に侵攻してきて、
また荒神山を取り誘い祝山・升形を攻めようとしているという報告が入った。
元春は八千余騎を率い、同八月二日に美作へと発向した。
すると直家は美作表を引き払い、備前岡山へと引き上げたと注進がくる。
元春が四十曲あたりから引き返し、出雲の富田へとやってきて
美作・伯耆の様子をうかがっていたとき、南条兄弟の逆意が露見した。

同(天正八年)八月九日、元春・元氏・経言父子三人は、総勢八千余騎を率いて出雲の富田を出発し、
東伯耆の羽衣石の城の麓へと、稲薙ぎのために打ち出た。
元長様は風邪を引いて臥せっていたのでしばらく出雲の国にとどまり、
香川兵部大輔を大将として、松岡安右衛門をはじめ旗本の勢を差し添えて向かわせていた。

こうして元春が八橋に着陣すると、
由良の城に立て籠もっていた一条東市助は城を捨てて羽衣石へと逃げ入った。
ここには、杉原播磨守盛重のもとから木梨中務を入れ置いた。
同十三日、元春父子三人が茶臼山へ本陣を移すと、
先陣として杉原盛重・嫡子の弥八郎元盛・次男の又次郎景盛、
ならびに盛重の与力である宍道五郎兵衛尉正義が、総勢二千五百余騎で長郷田表へと打って出て、
民家に放火して稲をことごとく薙ぎ捨てた。

こうしたところに南条備前守の嫡子、九郎左衛門が二千余騎で打って出てきた。
これを見て、因幡の国の住人、武田源三郎が五百余騎で駆けつけ同じく続いて備えた。

南条元続は元春が自ら大将として発向してきたと聞くと家人たちに向かい、
「元春と対等の兵数があれば十死に一生を賭けた合戦をしようと思うが、
敵はおそらく一、二万騎はいるだろう。
私の勢は、因幡から加勢が加わったといっても、三千四、五百ほどでしかない。
不利な一戦をして敵に利をつけるよりは、城中に籠もって、
城を落とされないようにしているのがいいと思う。
落城しなければこちらの勝ちだ。
そのまま信長の後詰を待つのが勝利を得るための謀略となる」と言った。

諸侍たちは皆、「ごもっとも」と賛同したが、九郎左衛門が進み出て、
「いくら元春でも、まさか鬼神ではないでしょう。
愚案をめぐらすに、今回も杉原が先陣だと思います。
杉原は己の勇を過信して後陣の勢が続くのを待たず、一文字に長瀬川の流れを乱して渡ろうとするはず。
そこを、渡し口に向かっていって杉原の勢を皆川へと追い込み、一人残らず討ち取ってしまいましょう。
先陣が破れれば、どんなに勇猛な元春といえども、機を失って一戦もできないでしょう。

それにまた元春が二の合戦を自分の旗本勢で行おうとしてきたら、
それこそ望むところなのですから、十死一生の合戦を遂げましょう。
もしくは、盛重が思ったよりも猛勢で、しかも備えが堅固で味方がかないそうになければ、
勢をさっさと引き上げて山上に備えればいいのです。
地の利を利用して戦えば、味方の勝利は決まったようなものです。
もし元春の本陣を破ることができなければ、杉原の杉原の一手を追い散らしてから、
そのままサッと引いて城中に入り、味方の勝機を高揚させてから城を固く守ればよろしい。
敵は一戦に負け、二の合戦をすることもできず、さぞ歯噛みすることでしょう。

もし元春が負けて腹を立て、羽衣石へと無二に攻めかかってくるなら、それこそ味方にとって幸いです。
散々に射立てて、死人や怪我人が多く出て敵が浮き足立ったところを見切り、
無二に山下へとかかって負い崩すのです。
さしもの良将と名高い元春に一塩つければ、敵が再度この城を指さすことはないでしょう。
今日の合戦は私にお任せください。危ないことはありません」と言う。

心得のある老臣たちは、「どうして元春と一戦できるなどと考えるのか。
無意味に防戦一方になって、敵に利をつけるだけだ。
役に立たない謀だ」と制する者も多かった。

しかし九郎左衛門はそれなりに武勇の誉れのあるつわものなので居丈高になり、
「毛利家に対して反逆を企てたほどの者だというのに、
元春が初めてこの城を攻めてきたときに一戦もせず、
山下に放火されたまま、鬱々と城中に引き籠っているほかないのなら、
どうやっても勇将の元春に対して、一日だって城を持ちこたえられません。

敵に当方が臆していると思われるのが口惜しくないのですか。
それほど元春が鬼神のように恐ろしいのなら、どうして敵対するとお決めになったのですか。
元通り毛利家に従っていればよかったではないですか。
今こうして矛楯に及んだのであれば、一文字に思い切って、
骸を必死の戦場に晒そうと思い定めていなければ、易々と攻め滅ぼされてしまいます。
今日は勝っても負けても激しい一合戦をするべきところです。

この九郎左衛門としては、すべき合戦をしないのは、
勇気智謀がないことになってしまいますので、
臆病神に侵された人々には与しません。
今日元春を追い崩すか、それでなければ私の首を敵に取られるか、
二つのうちに思い定めております。
我こそはと思う者たちはついて参れ」と言うと、
その座をサッと立って緋縅の鎧を身に着け、月毛の馬に乗って、
手勢の郎党百余人を連れて出て行った。

南条家の兵たちも我もわれもと付き従い、皆長郷田表へ出て行ったという。
「九郎左衛門の言うことは、確かに勇士の手本である。
軍事に携わる者はすべき一戦を外さず、身命を捨てて名を万世に残すことが本望である」と、
感心した者も多かった。


以上、テキトー訳。続く。

おー、元春が出てきたのを察して素早く勢を引き上げる直家さん、お見事!
「元春に逆らうわけじゃないですよー」ってポーズだよね。
処世術に長けてるなぁ……惚れ惚れするわ。

そして割を食った南条。戦の準備が整った吉川本体が集中攻撃にきやがった。
元続は、同時に宇喜多が反乱するって目算でもあったのかな。
援軍を確保できる状態でもないのに、吉川勢を一手に引き受けて勝てる見込み……あったのか?
直家の動きが南条を追い込んでいるかのように見えて……流石直家(・`ω´・)bグッ

さてさて、珍しいことに、元長が風邪ひいてお留守番だってさ。
春継が名代の大将だって!? 一門衆でもないのにマジですか???
などと言いつつニヤニヤが止まらない私がいるよ!
病気=看病フラグだねデュフフ☆とか考えているよ! ばかだね!!!
あと春継が活躍してると普通にうれしい。大好き。
でも稲薙ぎかぁ。ちょっとこれは、現代感覚だとアレだな。
「とりあえずビール」みたいな感覚で「とりあえず稲薙ぎしとけ」って戦……
農民はホント迷惑するね。ちょうど収穫時期だろうに。

あと話の中心の南条九郎左衛門だけど、気持ちだけでやっちゃってホントにいいのかな。
さて吉川勢と頼もしい国人衆は、これに同対抗するのか、待て次回!
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