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2012-12-29

あっぱれ杉原! あっぱれ左近!

昨夜は納会で呑んでいたよ♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
仕事は終わったが実家に帰省するミッションが残っていて気が重いです。
年賀状? 知らね。

さて陰徳記、これまでのあらすじ:
織田と毛利の対決が幕を開け、境目では宇喜多直家・南条兄弟らが織田への寝返りを図っていた。
宇喜多は美作で吉川配下の軍勢と敵対していたものの、隆景と関係修復を図り、
元春が出馬してくると兵を引き上げていく。
元春らは宇喜多との決戦がなくなると、その足で南条討伐に向かった。
南条元続は対決に消極的だったものの、一族の九郎左衛門が決戦を主張し、
長瀬川をはさんで、吉川の先陣の杉原盛重らと対決することとなった。


伯州長郷田合戦のこと(下)

さて杉原父子三人、ならびに宍道の手の者たちは長瀬川を隔てて弓・鉄砲で競り合った。
なかでも宍道の郎党の寺本市允などが真っ先に進んで散々に射立てたので、
敵が退却しそうな気配になった。
杉原はかねてから川を渡って一戦しようと思っていたので、多くの兵を討たれないために、
勢を三つに分けて川を渡るように定めておいた。

杉原は馬上で団扇を打ち振り、「味方の勝利は決まったようなものだ。
敵はもう退却するようだぞ。渡れや者ども」と下知をした。
上の瀬は宍道、中の瀬は杉原父子三人、下の瀬は吉田肥前守・河口刑部少輔らが、
川の水へとサッと入って渡っていく。

南条勢はすでに引き色になっていたので、九郎左衛門は馬を乗り回し、
「たいしたことはないぞ、敵は小勢で後陣も続いてこない。
皆水底へと追い込んで、魚の餌にしてしまえ。かかれ、かかれ」と下知をした。
しかし兵たちは、杉原の勇は味方だったころから知っている上に、
中の瀬だけに馳せ向かって、ここに渡ってきたら一戦しようと一隅だけを守っていたところ、
上中下からいっせいに渡ってきたので、取り囲まれてはかなわないと思ったのか、
後も顧みずに引いていった。

南条元続は広瀬若狭守を、
「今日無二の戦いをさせて九郎左衛門を討ち死にさせるわけには行かない。
お前が行って制してこい」と遣わしていた。
しかし広瀬は味方がすべて退却してしまったので、快く合戦できずに口惜しく思ったのか、
たった一人馬上で下知をして引く味方を制していた。
しかし誰も聞き入れないので、もう討ち死にしかないと思ったのだろう、
「広瀬若狭守」と名乗り、一歩も引かずにいた。

そこに吉川勢の大草神右衛門という者が走りかかり、広瀬の高股をズンと切り落とす。
さしもの若狭守も馬からまっさかさまに落ちた。
しかし大の剛の者なので、倒れたまま太刀を抜き、
大草が首を取ろうと駆け寄ってきたところを狙って、膝をしたたかに切りつけた。
大草が薙ぎ倒されて起きようとしている間に、若狭守の首は杉原の手の者、
安原民部少輔が打ってしまっていた。

広瀬は安原をキッとにらんで、「私は広瀬若狭守という。元春もご存知だ。
きれいに首を打てよ」と言って、立派に打たせたという。
こうして南条勢は先陣が引いてしまったので、後陣の武田も山上から引いていった。

南条の者たちは山沿いに引けば無地に逃げ延びられたのに、川沿いの崖へと逃げていったので、
道が狭くなって後ろの者たちがつかえてしまい、逃げることができなくなって、
あちらこちらで討たれてしまった。
南条九郎左衛門はよさそうな難所で取って返し、快く一戦をしようと考えて味方とともに引いていたが、
乱れ立った味方にいくら下知をしても引き返す者はいない。
もうこうなったら討ち死にしようと思い、羽衣石の麓の柵を結んであるところで取って返した。
そこに杉原の郎党の久須磨市允が渡り合って、難なく討ち取った。

吉川衆の小坂次郎兵衛尉は太刀で敵を追いかけていたが、敵が鑓を提げて取って返してきたので、
小坂は太刀でそれを払いのけ、たちまち敵を討ち取った。
同じく吉川衆の境七郎右衛門・朝枝新兵衛尉、三刀屋の郎党の羽倉右吉などが、
敵の首を打って差し上げた。
杉原の手勢も、菊池肥前守・進孫次郎・佐田彦四郎・同小鼠などが分捕り高名した。
その日の首は百五十以上になったという。

又次郎経言の手の者たちは合戦が終わってから駆けつけてきて、
今日の合戦に参加できなかったのを悔しがり、羽衣石の小屋を焼き払おうとしに行ったが、
一条市助の手勢が打って出てきて競り合いになったので、それを押し込めて数人討ち取った。
寄せ手では井下源七郎・小谷四郎次郎が討たれた。

杉原の郎党の菊池肥前守の嫡子に、左近という者がいた。
十三歳から何度も分捕り高名をしていたけれども、
人々は「あんな小童にそんな働きができるものか。
きっと父の肥前守が首を取って与えたのだろう」などと言って、左近の高名を信じなかった。
左近はこれをひどく悔しく思っていたのか、今回は父には同道せず、
高名の証拠にしようと思って、佐田小鼠と一緒に行動した。

左近は南条の郎党の一条新五郎という者と渡り合い、散々に戦ってついに切り伏せると首を掻き切って、
「佐田よ、見たか」と呼ばわった。
小鼠は、「いつものこととは言うものの、今日の活躍にはびっくりした」と感じ入った。
左近は、「私は十三歳のときから今年十五歳になるまで、
何度も分捕り高名したというのに、人はまったく信じてくれない。
今回あなたと一緒に来たのは、これまでの人々の疑いを晴らすためなのだ。
私の鬱懐は晴れた」と喜んで、その首を郎党に持たせると厳重に隠させ、
日ごろから口の悪い安原民部や入江大蔵に会って、目にもの見せてやろうと考えた。

そして何も手に持っていないふりをして帰ってくると、その二人を探した。
すると安原・入江が連れ立って盛重の本陣へ行くところに、ばったりと行き会った。
安原はキッと左近を見て、「どうした菊池殿、今日は分捕りなさらなかったのかな」と言葉をかける。
入江も「肥前守殿とは別のかかり口なのだから、高名などできるわけがありませんな。
父の尻について歩いている者は、一人で高名などできないものだ」と言った。
左近はこれを聞いて、「あなた方などは、ややもすれば他人が取った首を奪い取って、
自分が高名したかのように振舞うのが常だから、そのようなことを言うのだろう。
父と一緒ではないからといって、高名しないわけがないだろう」と言い返した。

安原・入江はカラカラと打ち笑い、「減らず口はいいから首を出しなされ」と言うので、
左近は郎党に隠して持たせていた首を持ってくると二人の前に放り出し、
「これをよく御覧なさい。一条新五郎と名乗っていたところを切り伏せ、首を取ったのです。
証人は佐田の小鼠です。
これまでの私の高名を、父から首をもらったのだとあざ笑われたのさえ口惜しく思っていたのに、
今またそのようにからかわれるとは無念の限りです。
これでも口に任せて私を罵りたいなら罵ればいい。
私の年来の敵はあなた方だ。
父に首をもらったかもらっていないか之証拠として、二人の眉間を二つに切り割り、
その首を切っ先で貫いてから是非の問答をしようではないか」と言うと、
三尺ほどある太刀の鍔元を二、三寸ほど開いて、大きな眼をカッと見開き、二人をじっと睨んで立った。

安原・入江は、若い者が勇気を振り絞ったのに感じ入り、
それにさきほどの嘲弄もただの悪ふざけだったので、左近のこの荒い言葉に怒る気持ちはなかった。
「いやいや左近殿、今日のご武勇はこの世になかなかあるものではないと思いますぞ。
これまで、父の肥前守が取った首をもらったのだろうとからかったのも、ただの悪ふざけです。
今日申した言葉も例外ではありません。どうか許してください。
これまでの戯言は、このような大の武勇を引き出したいがための餌なのですよ。
我らがいい餌をまいたからこそ、このような出群の勇を釣ることができました。
これは我ら二人の功労です」と言う。
左近はこの言葉に腹を治めて、「子陵は釣竿で乾坤を伸縮させ、
あなた方は悪ふざけで人の武名を釣ったのか」と、どっと笑うと、去っていった。

人々はこれを伝え聞いて、「昔の小式部は『大江山生野の道』と口ずさんで、
自分が日ごろ詠んでいた歌が母の作ではないかという疑いを晴らした。
今の左近は佐田という友人とともに、自分の高名が父の仕業だろうという嘲りを退けた。
小式部は容貌の端麗な女が学んだ敷島の和歌の道、
左近は武名が世にもまれなつわものがたしなんでいる技だ。
桃の林は紅深く、李花は白く清らかだが、それぞれ質は違っても、
実に珍しく妙なることは同じだなあ」と、感心しない者はなかった。


以上、テキトー訳。おしまい。

杉原さんてばステキ♪ヾ(。>▽<。)ノ゙
いやはや勝ち戦ってのは読んでて胸がスーッとするね!
しかし南条勢の手ごたえがイマイチなので(´・ω・`)ションモウリ
広瀬若狭守は九郎左衛門を止めに行ったんじゃないんですか。
自分が思いっきり戦って死んでたら世話ないわ。
ミイラ取りがミイラになったって、こういうこと言うんだっけ?

経言の手の者は残念だったねー。
決戦に間に合わなくて悔しいからって嫌がらせしに行くあたり、ちょっと好き。
好戦的なのは、父親や兄ちゃんと一緒だな、経言。
でもたぶん、元春の説教状ではこういう行為を咎められてたんだろうな。
「逃げ遅れた雑兵の首とっていい気になってるんじゃないよ。
負けそうな情勢をひっくり返すような活躍してみなさいよ」ってな。
無茶言うぜ。

そしてニューカマー菊池左近ちゃんですよ!
13歳からバリバリ戦に出てて、15歳の今までに何度も高名してるって、すげえ。
周囲の大人たちにからかわれて、一泡吹かせてやろうとするとか、かわいいな、左近。
父親の菊池肥前守は、上月城で秀吉と対陣していたときに、
佐田兄弟と一緒に忍び働きしてた人だよね。
忍者の子……ゴクリッ(よからぬ妄想が駆け巡っております)

さて次章、杉原父子と天野父子が対談をするようです。
家族ぐるみでキャッキャしてる話も大好物!
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