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2012-12-31

傾城の美男子VS広家ちゃん!

さてさて押し迫ってまいりました、年末!
大晦日だなんて信じたくない……
そして陰徳記の訳文ストックも今日でおしまい。
明日から更新できるかな~ハハハ~_ノ乙(.ン、)_あぁ……

だいたいの流れ:
織田・毛利の敵対が緊迫感を増すと、境目の領主たちはどちらにつくべきか、翻弄されることになる。
毛利方では、南条元続・小鴨元清兄弟、宇喜多直家などが織田への寝返りを画策していた。
南条は一族の九郎左衛門の強い主張で決戦に打って出て一戦のもとに敗北し、
当主兄弟は城に籠もったまま命を永らえていた。
宇喜多直家は、美作で吉川の勢力と城の取り合いをしていたが、
表面的には隆景に擦り寄って、毛利とのつなぎも保持したままでいる。
なんとも微妙な情勢下、どう動くのか。


備中の国四畦の忍山城没落のこと

宇喜多直家は、美作の国で数ヶ所の城郭を攻め落とされ、
兵を数百人討ち果たされたことを非常に無念に思っていたので、
備中の忍山に宇喜多信濃守・岡剛介を籠め置き、
「どうにかして、毛利家が兵を入れている城を、一ヶ所だけでも攻め取ろう」と
謀略をめぐらしていることがわかった。

そのため、まず忍山を攻め落とそうと、天正七年二月中旬に、
毛利右馬頭輝元様・吉川駿河守元春・嫡子の治部少輔元長・次男の左近允元氏・
三男の民部大輔経言・小早川左衛門佐隆景が二万騎を率いて、
備中へと発向し、忍山を攻める算段をした。
宇喜多・岡も屈強な兵を一千余騎要していたので、
「城の立地は堅固だ。兵たちは勇士ばかりだ。
敵がたとえ何万騎で攻めてこようとも、絶対に落とされるものか」と、鏃を磨いて待ち受けていた。

吉川元春は三男の民部大輔に二千余騎をさし添え、
「備前から加勢が駆けつけてくるとの報告があった。物見として見回ってくるように」と命じた。
経言はあちこちを見回り、それから城の近くまで押し寄せて敵の兵の強弱を確認していた。
そこに、「宇喜多が岡を見捨てまいとしており、岡越前守・長船紀伊守が五千余騎を率いて、
今日中にこの地へと着陣しそうです」と半納の土民たちから注進が入る。

経言がそちらに対応するために引き返そうとすると、
城中から宇喜多信濃守・岡剛介が一千余騎で打って出て、ひたひたと取り結び、足軽をけしかけてきた。
経言は「願うところだ」と喜んで、鉄砲をバラバラと打ち違えると同時に、無二に馬を入れた。
岡も、経言はまだ二十歳そこそこの若武者だったので、たいしたことはないと考えて侮り、
無手と渡り合って一気に打ち破ろうと攻め戦った。

経言は智仁勇の三徳を兼ね備えており、祖父の元就様や父の元春にも劣らぬ良将だったので、
少しも騒ぎ立てずに諸軍士に下知をなし、宇喜多・岡を見据えて打ってかかっていった。
信濃守はたちまち一戦に打ち負けて、城中目指して退却した。
経言は「敵に息を継がせるな」と言って、続いて追いかけていくとすぐに城の麓を焼き払い、
それから引き退いた。
その日、輝元様たちが忍山を取り囲むと、順次仕寄を付けて攻めることに決まった。

こうしたときに経言は、下清左衛門という者を呼び寄せ、
「おまえは敵の隙をうかがって、今夜中にどうにかして城に火をつけてきてくれ。
火の手が上がったら私が一番に乗り込んで、宇喜多・剛を討ち果たしてやろう」と言った。
下は「かしこまりました」と言って出発すると、その日の深夜になって城中に忍び込み、
たちまち城に火をつけた。

前もって用意していたことなので、経言が一番に城に乗り込み、
「吉川経言、この城に一番に攻め入ったぞ」と名乗りを上げる。
輝元様の旗本勢、小早川衆やそのほか中国八ヶ国のつわものたちは、
「なんと、経言の手勢が城に攻め入ったぞ」と言うや否や、皆我先にと切り入っていった。
城中の兵たちは、夜中に思いも寄らぬ攻撃があり、城内からは火が上がって、
外からは敵が攻め込んでくるので、慌てふためいた。
取るものも取り合えず逃げていく者や、向かっきた敵に渡り合って討ち死にする者もいた。

信濃守・剛介は、「なんと口惜しいことだ」と思って必死に切って回っていたが、
ついにそこで討ち取られてしまった。
この城で討ち取った首は五百三十余りにもなった(天正七年十二月二十五日落城)。
夜陰にまぎれて逃げていった者も多かった。
これを聞くと、岡越前守・長船紀伊守も途中から引き返し、備前へと上っていった。


以上、テキトー訳。

天正七年だと、まだ直家が隆景との音信を再開させる前のことになるのかな。
全面対決とまではいかないものの、あれこれと小競り合いが頻発していた時期なんだろう。
このへんは私の脳みその処理速度が追いついていないので、どういう情勢なんだか……?

なにはともあれ経言ですよ! 経言ってのは広家の初名だね! 広家大好き!
戦国時代の代表的な美男子、岡剛介を追い詰めたのが経言って筋書きは、なかなかにムネアツ。
岡剛介の生死ははっきりしていなくて、その後の戦でも
剛介の存在がほのめかされている史料などがあるらしいので、
この忍山の決戦のときに死んだと、断定はできないとのこと。

あ、ちなみに元春次男の元氏も登場してるけど、この人も名前を変えていて、
元春・元長が亡くなるころまで、「元棟」という名前だったと思う。
元長も初名は「元資」だね。天正二年~三年ころに、元長に改名してるけど。
その点で、元春・元長は、広家(経言)・元氏(元棟)のことを、
「広家」「元氏」と呼んだことはありえないわけで、
そういう面で、私は最近人気のゲームとかに違和感を感じてしまうだろうなー、と思ってしまう。
それだけじゃないけどw 話がズレてしまった_ノ乙(.ン、)_

今回も直家は、部下が討たれたのが悔しくて行動を起こしたり、
大事な部下を見捨てまいと援兵を送ったりしているのが、とても印象的。
もっとドライなイメージがあったけれど、最近はなんとなく違うのかな、と思えるようになった。
身内(舅や婿など)を謀殺するイメージが強いけど、
直家にとっての本当の身内というのが「部下」に限定されていると考えると、
とても身内思いの、執念深い人物だなぁ、などと。

さて、次章は南条の羽衣石の話になるけど、たぶんおそらく訳に詰まりそうな話でね。
まあ、ぼちぼちがんばっていきます。

ともあれ、本年中にご訪問くださった皆様、大変お世話になりました。
ずいぶん励まされました。
また来年も懲りずにお付き合いいただけると幸いです。
来年が皆様にとってよい年でありますように!
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