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2013-01-01

羽衣石山と御伽噺

ハイのハイのハーイ♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
あけましておめでとうございます。
昨年中は拙ブログにご訪問くださり、ありがとうございました。
本年も懲りずにお付き合いいただけると幸いです。
突っ込みとかお待ちしておりますので、よろしければ……!
まあそんなに興味を引ける記事は書けないんですけどね_ノ乙(.ン、)_

さて、一年の計は元旦にあり!
あんまりよく読みこめてねえが(毎度のことだよ!)、陰徳記を読もう!
流れとしては、織田と毛利の抗争が本格化したところで、
南条・宇喜多など、毛利方についていた境目の領主たちが織田に寝返り始めた時期だね。
今回は、南条の本拠地である「羽衣石」という地名の由来のお話だよ!


羽衣石山のこと

南条の家城の山は、昔は崩れ岩と呼ばれていたが、
南条豊後守宗勝の父、紀伊守宗晴が改めて羽衣石山と名づけた。

そのわけを調べてみると、この南条の先祖がこの場所を知行していたので、
この山に仮住まいしていたときのこと、ある夕方に一人の女房と行き会ったという。
その女は豊かな髪がまっすぐに伸びて美しく、月のような顔立ちも輝くばかりに艶やかだった。
翠の黛は峰から吹き降ろす強風に消え、紅の裳裾は道の露にしおれて、
たたずんでいる有様がこの世の人とは思えなかったので、
「これはおそらく楚の襄王とかいうやつが、夕方の雨、朝の雲に統を焦がしたという巫山の神女に違いない。
もしくは天の川の紅葉の橋のあたりで契りを結ぶという織女か、そうでなければ、
もしかしたらこの山に住むという大天狗が人に化けて私を誑かそうとしているのかもしれない」と、
心を千々に乱して考えをめぐらせていた。

しかし「いや、天狗でも野狐でもあるまい。きっとこのあたりの裕福な家か貴族の家の人が、
深く家の中で大事に育ててきた娘あたりが、思うことがあって隙を見て出てきただけかもしれない。
私は妻がいない独り身なのだから、春の花や秋の月を愛でても心の傷になるばかりで、
むなしく年を重ねてきた。
浮かんだ雲や流れる水を見ても楽しくもなく、無駄に日を過ごす独り身の悲しさ、
つらさに袂は朽ち、痩せて帯が長くなってしまった。
なんとか伴侶を得たいものだと、寝ても覚めても思っていたところだ。
きっとこれは八雲立つ出雲の国にいるという、縁を結ぶ神様のお助けだろう」と思いつくと、
心は乱れ立つばかりだった。

ちょうどあたりには道を通る人もなかったので、ハッと走り寄ると女の腕をとらえ、
「なあ、それにしてもあなたはいったいどんな人なのだ。
これほど高貴なお姿なのに、どうしてこのような山道に踏み迷っていらっしゃるのか」と、
あれこれと言い寄ってしっかりと見つめた。
すると遠くから見ていたよりもなおいっそうに、姿は花よりも麗しく、肌は玉よりも滑らかだった。
女はそれは恥ずかしそうな風情で、しばらくは何も返事をしなかった。

南条はますます心を定めかねて、
「どうしてそんなに恥ずかしがっていらっしゃるのです。
さあ、お名前を聞かせてください」と責めた。
女は顔をうつむかせて、とても恥ずかしそうに、名前さえ言わない。
その風情からは、源氏物語の夕顔が花のかんばせを曇らせて、
上の空で「影や消えなん」と詠んだ心が思い起こされる。
光源氏が「朧月夜にしくものぞなき」と呟いた人と弘徽殿の細殿で取り交わした扇に
しみ込んだその人の香り、飛鳥井の舎人が問いかけたというその昔まで、
今は身の上に白波の、寄る辺もあらぬ有様を、見るに思いのまさり草、末葉に結ぶ白露の、
消え入りぬべきかんばせに、心の中が思いやられて哀れだった。

南条がなおも「名乗ってください」と責めると、女はようやく口を開いた。
「それほど怪しまないでください。私はこのあたりから近い里に住んでいる女でございます。
先年、この国で乱が起こったときに、父母とは生き別れになってしまいました。
まだこの世に生きていらっしゃるのか、または死んでしまっているのか、それすらもわかりません。
自分の親の住んでいたところですから、心のない草木までもがいとおしくて、
深い蓬を掻き分けながら、三年ほど住んで、親の帰りを待っていました。
山を行く川の流れは昔と変わらなくても、時が移り世が変わると、栄えていた者は衰え、
あったものはなくなって、私も父母に再び会うことができずに、今まで過ぎてしまいました。
その悲しみは天が荒れ地が朽ちても尽きるものではありません。

それに、最近は長築地も崩れて屋根も傾き、部屋も朽ちてきましたし、
門を守る人手もないので、誰かが私の蓄えを奪い取ったり、夜に忍び込んでくるのもとても簡単です。
けれども盗人という輩でも、心ある者は貧しい家のことなど心にもかけないものだそうです。
考えてみれば、一日を暮らす富がないことこそ、かえって身を安全に守る方法だとわかりました。

私の父が自ら丹精して庭に植えた木がありますが、
主はないのに、梅の花は春を忘れずに咲き出します。
花が言葉をしゃべる世の中だったらいいのにと思いながら、
立って見たり座って見たりしたけれども、それで昔のことがよみがえるわけでもないので、
こんな露のような命が消えもしないで、どうして私ばかりがまだ生きているのだろうかと、
涙ばかりが流れ出てくるのです。

花橘の深い香りは私の母の袖の匂いと同じだろうか、などと、
母のいない世で母を偲ぶ形見にして、木陰を歩いては物思いを慰めていたのに、
その橘の木さえ里の人に切り倒されて薪にされてしまいました。
庭の中には角のある牛を放し飼いにし、まがきのあたりには草刈のための馬をつないで、
農婦と同じような暮らしに成り果てました。
日が暮れると梟の鳴き声がほのかに聞こえるだけ、日が昇っても人気はほとんどありません。
狐などという恐ろしい獣がよく通りかかりますが、それでも寂しくてたまりません。

それでも、最初のころは乳人の女房などが皆昔のよしみを忘れずに何くれとなく世話を焼いてくれましたが、
次第に彼女たちを召抱えることもできなくなってしまったので、皆別れ別れになってしまい、
今は一人になってしまいました。
もうどうしようもなくなって、荒れ果てた家を出てきたものの、
行くべきところも涙に紛れて思い出せず、歩き慣れない道に疲れ果ててしまいました。
道野辺の露の玉の緒が絶えてしまえば何の助けもないこの山中に、
今日まで三日間迷い歩いているところです」
女は涙ながらに掻き口説き、この世の頼みの綱は絶え果てて、
誘い引く水があればついてきそうな様子である。

南条はいよいよ心を乱して、
「私がここで行き会ったのは、宿世の縁が浅くないからこそでしょう。
どうか私の粗末な庵にいらして、そこでしばし足を休めてください。
その後で、どこへなりとも、行きたいところへ送っていきましょう」といった。
この女房は、「これほどまでに零落してうらぶれた私を、
そのように憐れんでくださるとはありがたい」と言いながら、
顔を赤らめてとても恥ずかしそうにしていた。
その風情は、薄い紅の花桜が露にぬれてますます色を鮮やかにさせるかのようだった。

南条は、「どんな人の妻であろうが娘であろうが、
今はもう、生きて物思いに押しつぶされるより、この人のせいで身をズタズタに裂かれたとしても、
どうにかして吉野の山に流れている川の名の、妹背の契りを結びたいもだ」と思って、
走り寄ると女を背負おうとした。
するとこの女はたおやかに寄りかかってくる。
その様子は柳の枝が風に靡くような感じで、袖からはただならぬいい香りがした。
南条はまるで、梅が咲く峰に分け入って木陰にいるような気分だった。

南条は、人攫いや盗人と間違われて里の人に捕らわれてはかなわないと、
道で人とすれ違うときには女を深い草むらの中に隠しておき、
どうにかして自分の家へと連れ帰った。

こうして比翼連理の睦言なども交わし、二人で年月を重ねていると、家は次第に富み栄えていった。
それだけでなく、上等な生地の衣のことを考えると、
買い求めてもいないのに櫃の中にそれが満杯になっていたり、
山の幸や海の幸のご馳走を思い浮かべると、これも食材入れの中にいつの間にか入っているのだった。
あたかも、妙なる服が自然に身にまといつき、味のいいご馳走が自然に満ち溢れてくるという、
経に描かれた極楽浄土のようだった。

南条はさすがに考えた。
「この女はきっと仙女か天妃にちがいあるまい。
噂にだけ聞いている唐土の薫永は非常に親孝行だったから、
天がこの人を憐れんで、織女を遣わしてその人の妻にすると、
一日にたくさんの絹を織らせて家を富み栄えさせたという。
また文簫は仙女の彩鸞と結婚することができて鐘陵に帰ったが、文簫が貧しかったので、
彩鸞は孫面の唐韻を写した。
その際、飛ぶように筆を運んであっという間に完成させると、これを売って金に替え、
その金が尽きるとまた唐韻を写して売ることを繰り返し、暮らしていた。
その後夫婦二人で一匹の虎にまたがって千人の世界へと帰って行ったそうだ。
こうした昔の例を思えば、私が手に入れた妻も、こうした仙女なのかもしれない」

南条がなんとも不思議に思っていたところ、女房が持っていた、なんとも不思議な衣を見つけた。
その折り目はまったく乱れずに、色もきれいなまま褪せていない。
「どう見ても人間の宝とは思えない。きっと織女が織ったものだろう」と思えた。
春に花の枝にかけてみると、東風の力を借りずに花がほころび、妙なる色香をその袖に移す。
夏にまとえば手で払うまでもなく、群れ集う蚊の羽音を聞かずに済み、
扇で風を送らずとも、水の中にいるように涼しい。
秋には月の出ていない夕暮れにこの衣を着れば、大して待たずとも袖にさやけき月の影を宿す。
冬にこの衣を着ると寒風に身を犯されることもなく、病気にもならない。
火に近づかなくとも、春の陽光のような暖かさに包まれるのだった。

南条はいよいよ怪しく思って、
「これは杜蘭香が張碩の家に降り立ったときに用いた類のものに違いない。
となると、この衣は伝説の中にだけ聞く『天の羽衣』などというものだろう。
この衣を妻が持っていれば、妻は雲の上へとのぼっていき、
もといた仙宮へと帰ってしまうかもしれない」と考えて、柱の洞の奥深くに隠してしまった。

この女房は衣を隠されると非常に悲しげな様子になって、
最初は陰でこそこそと涙を流し、袂を絞っていたが、
そのうちついに堪りかねて、夫に自分の素性を暴露した。

「もう何も隠し事はいたしません。私はこの天上の仙女なのです。
あなたとは過去の契りが浅くなかったからか、もしくは私自身に罪があったからか、
人間界に落とされて、あなたと夫婦になりました。それから三年がたちました。
あなたと私とは、すでに偕老同穴の縁がしっかりと築けています。
私はそろそろ、もとの故郷に帰りたいのです。
これまで仲睦まじく過ごしてきたのですから、情けをかけてあの衣を返してください」と、
女房が涙ながらに掻き口説くと、南条はこれを聞いて、
「確かに疑いようもなく、この女は仙女なのだ。
私とこのように深く契る仲になったのは、神仏の思し召しだろう」と、
世にもありがたくも嬉しくも思えたので、その衣をさらに深く隠してしまった。

こうして年月が過ぎていくと、その女房はやがて具合が尋常ではなくなって、
月を経て日は満ち臨に及んだ。
そして男子が一人、安らかに生まれたのだった。
南条の喜びようは半端ではなく、
「私自身は身分が低いが、母は天津乙女なのだから、生まれてきた子供はただの人間ではあるまい」と、
丹精をこめて養育した。
この子供は背も高く力も強くて、七歳のころには世人の十六、七歳よりもさらにたくましく育っていた。
きっと成人すれば天下無双の勇士になるだろうと、
父はいよいよ末頼もしく思い、母も慈しみ深く育てていた。

あるときこの子は父に向かい、
「そういえば、母御前のお持ちになっていた天の羽衣というのは、
人間が手にできる宝ではないそうですね。
世の人々がそう申すものですから、私も一目見てみたいと思います。
どうか、チラッとだけでも見せていただけないでしょうか」と言った。
南条は子供を愛する気持ちが深かったので、
「ではおまえには見せてあげよう。
この衣を母に返してしまうと、母はもといた仙宮へと帰ってしまうだろうから、
ここにあることを絶対に母には知らせるなよ」と、よくよく口止めをして、
柱の中から例の衣を取り出すと、子供に見せたのだった。

その後母はこの子に向かい、
「おまえは、私の持ってきた天の羽衣というものを、
父御前が隠しておいてある場所をちらりと見たそうですね。
きっと隠してある場所をよく知っているのでしょう。
私にも少しだけ教えてちょうだいな」と、問いただした。
すると子は母に向かい、「仰せのように、私は父御前にねだってその衣を目にしました。
だから隠してある場所も知ってはおりますが、父が深く隠すようにとおっしゃいましたので、
母上にお知らせすることはできません」と答えた。

すると母は、「父が私に隠しておけと言ったことはきちんと守るのに、
この母が教えてくれということには背くのですか。
どちらも同じ親だというのに、女の身ほど悲しいものはない。
我が子にさえ侮られてしまうとは、世間の人々が女を数に入れないのは道理だわ。
今からは、おまえは父一人の子供となりなさい。私の子ではない」などと掻き口説いて、
一度はすかして一度は恨み言を言った。

いとけない子供は困り果てて、「私が母上に教えたということは、父には言わないでくださいね」と言って、
その衣が入れてある柱を教えてしまった。
女房は一方ならず喜んでその柱の中から衣を取り出すと、服の上に重ねて着た。
その途端、空に舞い上がり風に吹かれて留まることさえせずに、
雲の上まではるかに上っていってしまった。

南条は外出先から帰るとこのことを聞いて、
「もとはといえば、私が子供を愛する心にほだされて、
衣を隠しておいた場所を教えてしまったのが悪かったのだ」と悔いた。
「こんなためしは私ばかりではない。
昔、近江の国に織女が降りてきて水を浴びていると、そのあたりに住んでいた男が、
女の脱いだ天の衣を取り上げてしまった。
織女は天に帰ることができずに、その男を頼って妻となって暮らしていたが、
子を産んで何年たっても、天上に帰りたいという気持ちは失われることはなかった。
それでいつも涙に暮れていたところ、その男が外に行っている間に、
子供が父の隠していた天の衣を取り出してきて母にあげてしまった。
女はすぐにこれを着て天に昇ってしまったそうだ。
この心は古い歌で、『余吾の海きつつ馴れけん乙女子が天の羽衣干しつらんやは』と詠まれている。
こうした例を知りながら、幼い子供に衣のありかを教えてしまった私の心が愚かだったのだ」
と何度も悔いたが、その甲斐もなかった。


その天女が上っていったところは、神坂(かんさか)というところだった。
大きな夕顔があったが、そこから上っていったので、
今でもその夕顔が枯れ残っているところに柵を結いめぐらし、白木綿をかけて崇めている。
このような由来があって、崩れ岩と呼ばれていた場所を「羽衣石」と改め、
「羽衣石」と書いて「うえいし」と読ませるようになったという。
また、この城が千代も万代もつづくようにと、天の羽衣がまれに現れて撫でたとしても尽きぬ心を含ませ、
払石のずっと先の世までも、と喜びをこめた意味もあるのだという。


以上、テキトー訳。

合戦のお話から一転、御伽噺へ!
こうして読むとアレだな、天の羽衣伝説って、けっこう各地にあるんだね。
そんでもって、こういう話の実際のところって、
「女房が男作って出てった」ってのが美化されただけなんじゃんっがっぐっぐ><

子「お父さん、お母さんはどこに行ったの?」
父「母さんはな……母さんは、実は、天女だったので天に帰ったんだよ……><」
というね。さすがに女房に逃げられたってのは、男として外聞が悪いわ。
女房が逃げざるを得なかった理由は様々あるんだろうけれど、
何パターンもこういう話があるとなると、つまりそういうことなんじゃないかと。

天女伝説は、すばらしい女房だともてはやされていた女が、
自分の子供を顧みずに、あっという間に天に昇っていってしまうという筋書きに、
長いこと違和感を感じていたわけなんだけれども、
こうやってその一端を一通り読んでみると、
家庭を捨てて逃げていった女房の話なのかな、などと、得心がいったw

そんなわけでちょっとロマンチックな羽衣石の由来。
次章は、まあそんな羽衣石近辺のお話ですよ。

とりあえず今年も、吉川家をはじめとした毛利家の面々と関係者たち、
陰徳記を著した正矩、そして香川一族を愛することを誓います!!!
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