--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013-01-03

粟屋兄弟のやんちゃ

だいたいの流れ:
織田方に寝返った南条を追い詰めるべく、あちこちに向城を構えた吉川勢。
その前線では、毎日のように足軽競り合いが行われ、
地元の人々が迷惑……じゃなかった、熾烈に火花を散らしていたよ!


伯耆の国、岩倉の合戦のこと

天正八年正月(五月)、岩倉の城主である小鴨左衛門尉元清の手の者たちは、
嶋田の城へと足軽をけしかけ、毎日戦っていた。
城中には勝寿院が立て籠もっているので、自分の勇を誇って毎度のように打って出て、敵を追い立てた。
元清もまた大勢を岩倉から繰り出して、押しつ捲くりつ戦った。

これを聞いて、元清の勢を待ち伏せして討ち取ろうと、
同二月二十二日、吉川衆の今田中務・伊志源次郎をはじめとして、
四百余人が大宮というところに三ヶ所に伏兵を置き、
そばの山の上には森脇市正を置いて、敵が伏兵のところを通りかかったら合図の貝を吹くことにした。
その貝の音で伏兵が一度に身を起こし、敵を討ち取る算段になっていた。

さてここに、粟屋源蔵・弟の朝枝与三太郎という者がいた。
どちらも父の源蔵にも劣らない大の剛の者だったが、二人ともまだ二十歳ほどの若者だったので、
血気盛んで自分の勇を過信して
「当家には他にも多くの人がいるというのに、
どうしてあの出雲牢人の森脇に合図の貝を吹かせ合戦の駆け引きの下知をさせるのか、
理解できない」と憤っていた。
そのうち、伏していた場所の近くに、白木綿をかけてある神々しげな森があることに気づいた。
分け入ってみると、古い神社がある。
粟屋兄弟は神前に詣でると、狛犬などというものを取り出して遊び戯れた。

こうしたところに、嶋田の城の小鴨四郎次郎・勝寿院利安らが足軽勢を出して
敵の南条勢を誘い込もうとしていると、
また岩倉の城中から血気盛んな足軽たちが二百人ほど出てきてヒタヒタと嶋田勢を追い立て、
伏兵のいる場所にうかうかとやってきた。

森脇東市正はいい頃合だと思って合図の貝を吹いたが、鳴らなかった。
「なんとも不思議なことだ。今日の戦は凶かもしれない」と思って、六、七人で吹かせたけれども、
貝はうんともすんともいわなかった。
伏兵たちは合図の貝が鳴るのを待っていたけれどもなかなか鳴らないので、
合図を待たずに起き上がる者もいた。
あるいは「敵がちょうどいいところに来たのに、これ以上待っていられない」と起き上がって、
切ってかかっていく者もいたので、皆思い思いに立ち上がると、まちまちに打ってかかった。

敵は小勢だったのでひとたまりもなく、皆我先にと逃げていった。
伏兵たちは勝ちに乗って、しきりに逃げる敵を追いかけていく。
たちまち、岩倉の麓まで追いかけてしまった。

小鴨元清は、「今日はなんとなく、足軽競り合いの様子が心配だ」と思って、物見を出していた。
するとその物見が馳せ帰ってきて、「あそこの森の中に伏兵がいます」と報告してくる。
元清は、「そういうことか」とひとりごちると、屈強な兵を五百ほど繰り出した。
真っ黒に固まって弓・鉄砲を前に立て、味方を助けようと山を下ってきたところに、敵とぶつかり合う。

元清は「よし、やったぞ」と弓・鉄砲をしきりに撃ちかけたが、
敵には弓・鉄砲が一挺もなかったので、ただ的にされて射られるばかりだった。
今田中務は無双の精鋭だったので、大弓に大きな雁俣を番えて散々に射掛けると、
たった一矢で敵を多数射貫いた。
矢種を皆射尽してしまって、もう後は三筋ばかりしか残っていなかったが、
小肘が回るほどに引き絞って切って放つ。
その矢が石に当たって火花がカッとほとばしり、鏃は砕けて飛び散った。
敵は、「なんとものすごい弓の勢いだろうか」と肝をつぶした。

細田源允が石の陰に隠れて見ていると、今田は矢を取って弓に番え、
引き絞って射ようとしているところだった。
細田は、「あの矢を放ったところに走りかかって、一太刀浴びせてやろう」と考え、
じっと見つめていると、今田はそこを狙い済まして矢を射った。
すると細田の隠れている石のところに命中し、細田の肩から尻まで、
肉と皮とを引っ掛けて射抜かれたのだった。
これを見て後ろの味方は細田を肩に引き担ぐと、味方の陣へと帰っていった。

今田のそばに控えていた粟屋市允が「今田中務が仕留めたと見えたぞ」と声高に名乗る。
中務がまた矢を取って弓に番え、引き放とうとしたところに、
敵が雨のように弓・鉄砲を射掛けてきたので、誰の矢ともわからないが、
一本の矢が今田の首をしたたかに貫いた。
さしもの大器ちの中務も、深手を負ってしまったのでその矢を抜いて捨て、
郎党の肩に担がれて命からがら退却した。

粟屋市允と、市川雅楽允の郎党の永峯彦兵衛尉の二人が後に残っていると、
敵方から「安部太郎右衛門尉」と名乗って、鑓を振ってかかってくる者がいた。
二人の者たちは太刀を抜いて切りかかり、しばらく防戦をしていたけれども、
後ろから敵が大勢続いてくるのを見ると、二人は安部を少々切り立てて、そのまま退却しだした。
敵が勝ちに乗って追いかけてくるのを見ると、粟屋源蔵は、
「他の者たちは恐れて逃げても、この源蔵は敵に背中を見せるものか」と取って返し、
大勢と渡り合って散々に戦い、数人を突き伏せた。
しかしその体は金属や石ではないので、矢傷や鉄砲傷を数ヶ所負って、その場所で討たれてしまった。
笠井作允も同様に取って返して討ち死にした。

朝枝与三太郎は兄が討たれたということを夢にも知らずに退却していたが、
ある者が「おまえの兄の源蔵が討ち死にしたが、知っているか」と言った。
朝枝は涙をぽろぽろとこぼして、
「枝を連ね根も同一な仲なのだから、兄が死ぬのなら一緒に死にたかったのに、
思いがけずに敵に押し隔てられて死に遅れてしまった。無念極まりない。
骨肉同胞の契りを違え、どうしてたった一人で死出の三途の山を越え、川を渡すことができようか。
同じ冥土の旅までも一緒に行って、安養不退の浄土にいらっしゃる父母にもお会いしたいものだ」と、
たった一人で取って返していく。

粟屋新三郎という者は、「若い者を一人で討ち死にさせるのは口惜しい。
私も一緒に行って、来世までの朋友の交わりを固めよう」と、
同じように取って返して、敵の真ん中に駆け込んでいって戦った。
与三太郎は安部太郎右衛門が鉄砲で撃ち殺した。
新三郎は散々に戦って切り死にしたという。
森脇市正・市川雅楽允・佐々木豊前守などが助けに駆けつけ、
また内藤平左衛門尉も引き返してきて戦い、敵を数人討ち伏せると、
敵はここから引き返して岩倉の城に入っていった。


以上、テキトー訳。

なかなかに強い抵抗を見せる南条勢。
これだけ持ちこたえられる兵力があるなら、単身信長に下って毛利の矢面に立っても大丈夫だね。

さて今回目を引いたのは、尼子さんちにいたはずの森脇市正さんが活躍しとる♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
私も「えっ、もう!?」と思ったけど、やっぱり譜代の家臣からしてみると、
重要な役目をつい最近まで敵方にいた新参に持っていかれるのは面白くないようでw
粟屋・朝枝兄弟はいったい何をしているのかwww
ぶーたれたと思ったら、近くの小さな祠を発見してお参りするまではいい。
狛犬を引き出してきて何やってんすかw

けれどこの兄弟、それが是か非かは別として、なかなか志も強く、
美しい兄弟愛を見せてくれるじゃない。
願わくば、生きてその絆を続かせてほしかったところだけれど。
血肉を分けた兄弟であっても争いあい殺し合い、油断のならないことのある家もある一方で、
この兄弟のような濃い結びつきもあるんだねぇ。

しかし、普通はどちらか一方が生き残るように算段するものじゃないんだろうか。
うーん、厳島合戦のときに、強硬に同行を主張して
「死なばもろとも」の覚悟を見せた隆元の例もあるから、珍しいことじゃないのかもしれないね。

さて次章、隆景・宇喜多サイドのお話になるよ!
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。