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2013-01-07

じわじわと追い詰められる南北

だいたいの流れ:
織田と毛利の対立が深刻化すると、毛利傘下からは、織田方に寝返る国人が相次いだ。
元春は北方の南条元続らを制圧しに出ていたが、
南前では、隆景の手勢と宇喜多の勢がにらみ合っていた。
宇喜多直家は、羽柴秀吉に援軍を請うている。
そんな折、両軍が競り合う蜂浜では、直家の弟忠家の嫡子が、
小早川勢によって討ち取られてしまった。

本日は短い章を二つ続けて。


備前の国蜂浜の城を攻めること

同(天正九年)三月下旬、隆景様は宇喜多七郎兵衛尉・沼本新右衛門が立て籠もっている
児島の城を攻めるために、沼田の城を打って出ると、児島の城を取り囲んだ。
その勢は一万余騎ほどだった。

城中はすぐに困り果てて、しきりに本国に注進が入ってきた。
宇喜多和泉守直家は、自力だけで後詰をするのは難しそうなので、このことを秀吉に嘆願した。
するとすぐに浅野弥兵衛尉を大将として、五千余騎を数百艘の兵船に乗せ、
「備前の国へ下って敵の背後を断ってこい。そのうえで秀吉が出張しよう」と発表した。

輝元様はこのことを聞くと、隆景に「とりあえず児島表から引き上げてきてくれ」と強く言った。
隆景も、「今回は折りしも兵力が少ない。再び大軍を催して秀吉と一戦しよう」と決め、
同四月中旬に児島を引き上げ、兵を収めた。

去り際に沼本新右衛門が後追いをしてきたので、
粟屋雅楽允をしんがりとして取って返して防ぎ戦い、
無事に退却することができた。


山名少七、逐電のこと

山名大蔵大輔豊国は非常に卑怯な人間だったので、
嫡子の少七に太田垣勘允という者を添えて、出雲の平田に人質としていたが、
「今の世間の様子を見てみると、織田信長が三十余ヶ国を切り従えて、
中国には羽柴筑前守を差し向けている。
秀吉の手に属している軍勢は二万以上で、そのうえ宇喜多、但馬の山名、
伯耆の南条など、皆ことごとく信長に一味しているのだから、
毛利家の武威は日を追うごとに弱っていくだろう。
となれば、この豊国もこれまでの契約を見直して、信長の幕下に属そう」と考えた。
平田に置いてある人質も、どうにかして取り返そうと思ったけれども、手段がなかった。

そこで毎年平田に下っていく山伏に頼んで、
「なんとか謀略をめぐらして、少七を因幡へと連れ帰ってくれ。
これがかなった暁には、数千貫の青銅を差し上げよう」と言った。
この山伏は、「そんなこと、お安い御用です。
私が周囲を騙して、お逃がしいたしましょう」と言って出雲の平田に行き、
ついに密かに少七を連れ出して因幡へと帰ってきた。
けれども豊国は戦の勝負をうかがったまま、しばらくは信長にも一味せず、
また毛利家とも手切れをせずに、どっちつかずの態度を見せていた。
情けないことである。


以上、テキトー訳。

今回は陰徳記のお約束には反して、
隆景が元春を引き込もうとしないので、どうしたのかと思ったけど、
天正九年三月というと、すでに経家が鳥取城に入って秀吉の襲来に備えているタイミングだよね。
元春も北方に檄を飛ばして、人数やらいろいろ集めようと苦心していたころだと思う。
時系列とつながりを追って書いてくれたら助かるのになーと思うけど、
そこは自分で補完して読んでいかなきゃならないんだろうな。
鳥なみの脳みそには負担がきついぜ……_ノ乙(.ン、)_

そして後段、山名の人質が取り返されてしまった……!?
あれ、でも重臣も人質送ってるはずなんじゃないのかな。
豊国一人の人質を奪い返したところで、山名の家全体が豊国に同意するわけないと思うけど、
どんなもんだろう。
しかし山伏ってのは使い勝手がいいよな。
元春も山伏の密偵使ってるだろ。

そして次章は、秀吉・山名が絡んでくるお話になりそうです。
仕事再開したけど、この調子で読んでいけたらいいな……
でもたぶん、毎日更新は無理な気がする_ノ乙(.ン、)_
あとあと、普通の本も読んでいきたいよ!ってのは欲張りすぎるなw
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