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2013-01-10

本願寺「指きりげんまん!」

これまでのあらすじ:
毛利と織田は周辺の国人衆を巻き込みながらにらみ合っていたが、
信長のもう一方の敵である本願寺が信長と和睦し、
輝元が本願寺に送っていた兵たちが安芸へと帰ってきた。
信長と本願寺の和睦が成ったのは、信長が帝を脅して、
本願寺に「信長に従うように」との勅命を出させたからだという。
本願寺は勅命を受けて会議を開き、信長と和睦し大坂を明け渡すことを決めた。


信長と本願寺和睦のこと、付けたり大坂城を明け退くこと(中)

そうして、やがて本願寺は、近衛の左大臣基信公、
ならびに庭田大納言殿・勧修寺の中納言殿の二人の勅旨に向かって、こう返答した。
「勅定の件は謹んで承りました。信長と和睦すべきという宣旨なのですね。
信長とは近年何度も合戦に及んでいますが、当方から兵を起こしたり旗を揚げたわけではありません。
信長が邪険放逸で、我が正法を滅ぼそうとしており、城郭を奪おうとしているのです。

このせいで、本尊の阿弥陀如来ならびに祖師の親鸞の恩徳に報謝し、
また我が正法が滅亡しないようにと、是非もなく防戦をしていただけなのです。
このことは三世の諸仏が降魔の利剣をお下げになられ、
天帝が修羅と戦われたことと同じではないでしょうか。
仏や天帝さえ魔軍を退けるために剣を揮い、戦に挑まれました。
ましてやこの濁世末代の坊主がそうしないわけがありません。
仏恩のために防戦をしたことは、拙僧の罪ではありません。

もともと法衣を着け、下々の愚かな衆生を教化する身でありますから、
国や郡を知行する望みはありません。この望みがないのですから、
どこかへ出張りして合戦をすることもありませんでした。
信長さえ我らに攻撃を仕掛けなければ、こちらから兵を起こすことはありませんでした。
願わくば、まず信長へと勅命をお下しになって、私が布教するための障害を作らず、
また我が寺に恨みを抱かず、永代安堵するとの起請文を仰せ付けください。
そのうえで再び勅宣をお下しくだされば、何としてでも勅命に応じ、
この城を退出いたします」

近衛の左大臣、ならびに二人の勅旨は急いで都に帰ると、
上人の勅命に対する返答を詳しく奏上した。
すると帝はすぐに信長に勅命を下した。

信長は願ったりかなったりなので勅命に従った。
これで本願寺は赦免の七ヶ条の奥に起請文を書き、血判を据えた。
日付は二月十七日である。

こうして忝くもまた天子から勅使を差し下して、信長の起請文を顕如上人へととどけてきた。
信長からもまた使者が遣わされ、
「勅定によって和睦したうえは、こちらにはまったく野心はない。
そのことは起請文に顕してある。こ
のうえで、なお上人の疑いを晴らすために」と言って、人質を差し出してきた。
上人は、「このうえは、いよいよ勅命に従おう」と答えて、
三人の家老にも起請文を書かせて差し上せた。その起請文は次のとおりである。

「起請文覚書

  敬白

一、今回、叡慮を仰せ出され御赦免のうえは、条件を相談して首尾万事を万事取り決め、
  表裏公事を抜くことはならない。
一、預け置かれた人質は大坂に申し置き、中国ならびに雑賀そのほかどこへもやらない。
  ただし、退城のときに警戒のいらないところまで同道させるが、すぐにお返しする。
一、雑賀の者たちは、御門跡が次第に覚悟するようにと誓紙を申し付けた。
  ついては、大坂と雑賀の人質は、中国そのほかどこへもやらないこと。
一、退城の期限は、七月の盆前である。
一、大坂退城のときには、花熊・尼崎、そのほかどこの出城も明け渡す。

 このことは、今回禁裏様より仰せ出されたことであるから、当寺が御赦免いただいた上は、
 この五ヶ条のとおりであり、違えることはない。この誓紙は、門跡が申し付けているので、
 条件は厳守すべきである。もしこの旨において偽りを申せば、
 梵天・帝釈・四大天皇・総じて日本六十余州の大小地祇、別して西方善逝阿弥陀如来、
 とりわけ当寺開山の罰を蒙り、今生は白癩・黒癩の病に蝕まれ、
 来世は無間地獄に堕在するものなり。よって誓詞このごとく。

   天正八年閏三月五日
               下間少進法橋仲之(血判)
               下間按察使法橋頼龍(血判)
               下間刑部卿法眼頼廉(血判)
     庭田殿
     勧修寺殿」

  ※この誓詞は、筆者、川那部周防守・杉原がこれを書く。
   立紙を二枚続けて、継ぎ目には井上入道が裏判を押した。

「今回は叡慮を仰せ出され、当寺を御赦免いただけることになったので、
 この五ヶ条を申し定め、年寄り三人に申し付けて誓紙を進上いたす。
 この件には、絶対に相違してはならない。
 そうすれば公儀の定めを覆してべっしんを抱くことはない。
 もっとも、直接誓紙で申し上げるつもりではあるけれども、
 寺の法によってこのとおりにしたのである。
 もしこの件を違えた場合は、この三人の誓紙と同様の罰を蒙るだろう。
 この旨を奏上していただきたい。

   後三月五日
               教如光寿(判)
               顕如光佐(判)
     庭田大納言殿
     勧修寺中納言殿」

  ※この二通は六条表門跡の控えの写本より、字の置き方など、
   原本のとおりに記してある。


以上、テキトー訳。あと少し続く。


fmfmなるほど、本願寺も、帝の命のままに従うだけではないのね。
ちゃんと要求すべきところは要求するんだ。
この時代の朝廷との付き合い方ってのが、よくわからないのぜ……_ノ乙(.ン、)_
まあ今でもよくわかっていないんですけれどね!
とりあえず、ピリピリしてる雰囲気が伝わってくるので、それは楽しい。
本願寺はだいぶ信長を警戒しているように見えるよね。
まあそんだけだけど。

そんなわけで、今回は大して面白くもない話だった。
次回も期待はできない……でも私、こうやってぼつぼつ読んでくって、自分で決めたんだもの。
微妙なテンションのまま待て次回!と行きたいところですが、
私は明日しこたま飲んでくるつもりなので更新はしません!!!
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