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2013-01-17

魔王の瞳の向く先は

だいたいの流れ:
西国攻めの要衝にするために大坂石山の地を望んだ信長は、
これを拒否した本願寺勢と全面戦争に突入するも、各地から集まってきた門徒に堅守され、
逆に敗軍を重ねることになった。
そこで信長はまず、越前などの本願寺門徒を征伐するために越前などに出兵し、
しばらくは本命の大坂には攻め寄せなかったが、
いよいよ信長の目が本願寺に向くときがやってきた。
顕如は檄文を回して、籠城志願の兵を募る。


森口表合戦のこと

天正四年四月十四日、信長は本願寺を攻めるために、
長岡兵部大輔(藤孝)・荒木摂津守(村重)・惟任日向守(明智光秀)・
塙九郎左衛門(直政)(そのころは原田備中守と名乗っていた)・
筒井順慶などをはじめとして三万余騎を差し向けた。
この勢は石山を攻めることはせず、まず森口表、大海・飯満の二つの砦の城を攻めようと、
二手に分かれて攻め寄せてきた。

大海は鈴木伊賀守が大将で、わずか三百余騎で立て籠もっていたが、
一万五千の勢を引き受けると、鉄砲で散々に射立てた。
寄せ手の先陣は射立てられ、怪我人や死人が大勢出たので、
歯が立たずに虎口を空けて本陣へと引き返していった。
飯満の城も寄せ手が利を失って退却した。
その日伊賀守の手で鉄砲を三百発ほど放ったが、無駄弾は三発しかなかったと言い伝えられている。

総じて大坂の出城、中間村・鴫野・野江・桜の岸などの要害は、
そのころは東西北の三方を一里や二里の池や大沼に面していて、
この地を熟知していなければ往来も難しく、馬の蹄で通れるところはなさそうだった。
南方一口しか攻め入る場所がないので、信長は計略をめぐらし、
天王寺へ勢を差し向けて、中嶋から不意を打とうと、度々攻めてきたという。


天王寺合戦のこと

同(天正四年四月)十八日、織田勢は天王寺に柵の木を結い、
塀などをところどころに据えて向城を構え、塙九郎左衛門を大将として立て籠もると、
まず勝曼の出城を攻め落とそうとした。
勝曼までの距離はたった五町ほどである。
木津の出城から人数を少し出して、筒井順慶の手勢と鉄砲競り合いをし、
足軽たちも押しつ押されつ戦った。

これを見て勝曼の城にいた下間三位・同源五郎・同源七郎・津筑次郎八・
堀尾願西寺などが一気に打って出て、無二にかかっていく。
筒井の足軽勢を一人残らず討ち取ると、勝鬨をあげて勇んだ。
天王寺にいた塙九郎左衛門はこれを見て、
「この付城に籠もった当初から、一戦して一揆勢を討ち取り、軍神に捧げようと思っていたのだ」と、
真っ先に進んで駆け出していくと、「あの勢を討ち取れ」と下知をした。
勝曼の勢は折りしも勝ちに乗っていたので、まったく臆すことなく無手と渡り合い、
一歩も退くまいと勇気をふるい、ここを先途と戦った。

こうしたところに、木津の城に控えていた鈴木孫市・同一楠・土橋平次・
山田新介・村上利介などが、「味方を討たすな」と言って、無二に切ってかかっていく。
塙は左右に敵を受けて防戦しており、命もここまでかと見えたけれども、
鈴木・土橋らに不意を打たれてしまったのでかないようもなく、城中へと退却していった。

しかし今日構えたばかりの付城だったので、塀一重すら満足にできあがっておらず、
付け入られて簡単に攻め破られてしまった。
塙は住吉目指して退却すると、社殿を拝借し陣を据えて控えるしかなかった。

ここに、いったい誰がこんなことをしたのか、
一首の狂歌を詠んで住吉の鳥居の前に立てかけた者があった。
「我が家の飯(はん)くらう左衛門 甲斐も無く住吉さして引くやしめ縄」
塙九郎左衛門は、今回の出陣前に「原田備中守」という名になっていたが(天正三年七月三日改姓)、
大坂ではまだそれが知られていなくて、このように詠まれたのだろう。

同二十三日、羽柴筑前守・佐久間右衛門尉が数万騎を率いて打って出てくると、
木津・勝曼を抑えておき、再び天王寺に付城を構えた。
こうしたところに同二十六日、磯辺勝願寺・摂津の仏照寺・鈴木・一楠らを大将として、
和泉・河内の血気にはやる若者たちが、不意に住吉へと攻め寄せてきた。
彼らは諸社に火を放ってことごとく焼き払い、攻め入ってきたので、
塙は猛火にむせて防ぎきることができず、またここも打ち破られて、散り散りになって退却した。


以上、テキトー訳。

いやいやなんとも……しかし本願寺、ホントに強いなぁ。
信長も、こういう流れで見ていくと、すごく魅力的な人だと思った。
最初の戦で負けても、自分はどうにか脱出して体勢を立て直し、
敵の外堀を埋めるための出兵をして、再度挑みかかる。諦めないんだよね。
しかし相手は地の利堅固にして物資も潤沢ときて、今回もダメで、
結局最終的には朝廷の力を借りたというか脅して利用して解決することになるんだけどさ。

負ける度に何かを学んで再度挑戦する姿勢ってのは、なかなかに好感が持てるもんだ。
船戦だって、一度毛利の水軍に敗れてその対策を万全にしてから再戦したし、
今回の大坂籠城衆を相手にして学んだことは、多分鳥取城の戦いとかで生かされたりしてるはず。
物資の補給路を徹底的に断つところなんて、本願寺で懲りたからじゃないのかな。

覇王のようなイメージで見ていたときにはそれほど魅力を感じなかったけど、
この本願寺との対立の話を読んで、工夫を重ねる努力家みたいな面が見えて、
私はだんだん好きになってきたな、信長。
ていうか、だいたい出てくる人は好きになっていくよねw たとえ謗られてても。

そんなわけで、まだしばらく本願寺合戦が続くよ!
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