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2013-02-26

若武者元春と陶兄さんと私の盛重

隆景の沼田相続読んで、ついでなので同じような時期のまだ読んでないところを埋めていくよ!
今回は、下巻を読んでてものすごく気になった杉原盛重の登場回っぽい。

物語の流れとしては、前回の隆景の沼田相続
吉川興経が家臣団と不和になって元春の吉川家相続決定
元春の嫁取り
元春の吉川家相続ときて、今回のお話。
合戦だ合戦だ! ひゃっほい!!!


備後神辺城合戦のこと

備後の国の神辺の城に、杉原(本姓山名氏)宮内少輔忠興(理興)という者がいた。
山名師氏の末裔である。
先祖の勇を受け継いで、力持ちの精兵ばかりだったので、近隣の者たちは恐れおののいていた。

先年、大内義隆卿が出雲に発向したときから尼子に属していたので、
備後の国人たちも皆杉原の武威を恐れて大内に背き、尼子に靡き従っていた。
そのため義隆卿は、忠興を討伐するために陶尾守隆房を大将として、防長の軍士五千余騎を差し上した。
安芸の国の御家人や役人らを統括して、毛利右馬頭元就父子四人(元就・隆元・元春・隆景)も
陶の手に加わったので、宍戸安芸守(元源)・同雅楽頭(隆家)・平賀太郎左衛門尉隆宗なども加わって、
八千余騎が神辺表へ出張した。
天分十七年六月二十日のことである。

忠興はなかなかの勇士だったので、大軍の敵を少しも恐れずに、足軽出して防ぎ戦った。
同二十三日、吉川治部少輔元春は、吉川家を相続してから今回が初めての戦になるので、
諸人の目を驚かす一戦をしようと、手勢の六百余騎を率いて敵城の麓へと攻め寄せた。
少し高い場所に馬を控え、足軽をあちらこちらに分けて放つと、民家に放火させた。

杉原忠興はこれを見て、城中には叔父の弾正忠を残し置き、自分は一千余騎を二手に分けて、
同名左衛門太夫に三百余騎を差し添えて放火を防ごうとしているように見せ、
寄せての足軽に無手と渡り合って散々に防ぎ戦う。
吉川の先駆けの兵たちは敵が小勢と見るや、勇み進んで我先に討ち取ろうと駆けつけ、
敵を漏らすまいと攻め戦う。

忠興はこれを見て城の後ろのほうから軍勢を下し、
茂っている林の陰からドッと叫んで元春の旗本へと切ってかかった。
一時に勝負を決しようと、揉みに揉んで攻め戦った。
忠興は前もって、兵たちにこう下知していた。
「戦に時間をかければ、元就が駆けつけてきて元春を助けるだろう。そうなれば勝利は得がたい。
どうにか一戦のうちに元春を討ち取るのだ。
いわゆる、『にわかにこれを用いればすなわち勝ち、おもむろに之を用いればすなわち負ける
(六韜 疾戦第三十三)』とは、こういうときのことを言うのだ。
皆が勇気を振り絞って死ぬ気で戦えば、我が方の勝利は疑うべくもないぞ」と鼓舞していたので、
杉原播磨守盛重が真っ先に進んで駆け入っていった。
吉川勢はあっという間に追い散らされた。

治部少輔元春は今年十九歳、勇気盛んな若武者だったので、敵の大軍にも少しも臆さずに、
大音声を上げて諸軍勢を勇め、采配を振るって下知をなした。
四百余騎の兵たちも、射られても切られても少しもひるまず攻め戦う。
けれども、杉原忠興の軍勢は大勢である。
それに不意を撃たれたので、吉川勢はどうにもかないそうになかった。
そこに、元春が鑓を引っ提げて真っ先に進み、敵を叩き立て数人を突き退け、身命を惜しまずに戦った。
杉原盛重が怪我をして少し引き退くと、これに力を得て吉川勢がしきりに進んで戦ったので、
さしもの宮内少輔忠興も、ついには戦利を失って引いていく。

これを追いかけると、忠興は城の作の間際で取って返して、しばらく防ぎ支えた。
そこに今田上野介・森脇内蔵太夫が、鑓を入れて突き立てる。
二宮弥五郎は弓を持って続いて進んでいたが、敵数人を射伏せたので、
忠興はまたここも破られて城中へと逃げ入っていった。

陶尾張守はその後すぐに元春の陣所へと来ると、
「今日はご自身で手を砕かれたからこそ、敵軍が敗北したのだ。
はじめの合戦であなたが敵を追い立てられたので、敵は恐怖して勇気を失っていることだろう。
この城は必ず落とせる。
しかしながら、自分の勇を誇って手ずから敵に鑓を合わせて戦を決するというのは、危ない行動だ。
今後は慎んでくれ」と言ったそうだ。

忠興はこの合戦に利を失って無念に思ったのか、その後また五百ほどで打って出てくると、
足軽競り合いを始めた。
宍戸雅楽頭隆家が、手勢の七百ほどを引き連れて馳せ向かい無手と渡り合って攻め戦う。
隆家の郎党の江田重介(元勝)という者と、
忠興の手の者で長田左京亮・壇の上監物という者とが渡り合い、鑓を合わせて防ぎ戦った。
そのほか宍戸家の中所(なかぞ)少輔四郎(元信)などが比類のない働きをした。
敵にも味方にも手負いや死人が数多く出たので、互いに戦を控えて左右にさっと引いた。
陶隆房は、「宍戸の働きは抜きん出ている」と大いに感賞した。

その後は仕寄をつけて昼夜の境もなく攻めたけれども、杉原忠興は近国無双の勇士だったので、
敵の大軍にも少しもひるまずに防戦した。
城の地は険難で将兵ともに剛強である。
それに城に籠もっている軍兵は千五百余人もいたので、どうやっても落城しそうには見えなかった。

平賀太郎左衛門尉隆宗は陶尾張守に向かって、
「私と忠興は、とある事情があって、これまでの遺恨が山のようになっております。
あまりにあやつが憎いので、あやつの所領をすべていただけるならば、
この隆宗一人の智略をもってして、忠興の城を落としてご覧に入れます。
あやつの頸を太刀の先で貫いて、これまでの鬱憤を散らしたいのです」と望んだ。
隆房は「それなら隆宗の所望に任せよう」と少々したので、
平賀は大いに喜んで、「では向城を構えますので、その援助をしてください」と言った。
隆房はすぐに全軍へと人足を差し出すようにと触れまわり、
向城を一通りこしらえて平賀に渡すと、陶・毛利・吉川・小早川・宍戸らは開陣した。

太郎左衛門隆宗は向城に八百余騎で立て籠もったので、
杉原宮内少輔はこのことを聞いて、
「平賀め、私に遺恨があるからといって、この城をたった一人で攻め落としてやると荒言を吐いたのだな。
憎い小男の考え方だ。
すぐにあいつを生け捕りにしてこの城の門外に引き据え、首を刎ねてやるぞ」と躍り上がり、
それは激怒したそうだ。


以上、テキトー訳。

ぐぬぬ、元春かっこええな……十九歳か。この歳ですでにパパなんだよなジュルリ
私は乳幼児を抱いた男性になんだかズキューンときてしまう癖があるので、
ちょっと若武者で若パパっていう元春は本当にツボなんであいすみませぬ。
脳内が一足お先に春爛漫です。
実際は鼻の頭が痛くなるほどに寒いのにな(暖房つけろ)。

杉原盛重と元春は、この後もいろいろあって固い絆で結ばれちゃうことになるので、
この邂逅はなかなかにおいしいですな。
好敵手としての出会い……どこの少年漫画だよ。だが好きだ。
盛重は元春より若いというか隆景と同い年くらいだったよね。
その年齢で命も惜しまずよく働くこと。

そんでまた、元春とこの次くらいの章で義兄弟になる陶さんですよ陶さん!
元春の陣まで来て「すばらしい働きだが、今後は危ないことはやめてね」ってアンタ。
気遣いというか優しさが意外なんだぜ陶さん。
いやたぶん山口に人質に行ってた隆元を遊びに誘ったりしてたから、もともと優しいんだろうけど。
これが伏線か! 伏線だったのか!!!
だから順番どおりに読み進めろってあれほど><

そんなわけで、次回は以前読んだ二章(毛利家山口下向隆元の婚礼)を飛ばして、
その次を読みたいと思いまうす。
目次見ると平賀・杉原の合戦だね。狙ったかのように今回の続きじゃねえか。
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