--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013-03-02

義隆の才知と傾倒

ううう、今回の訳文見直したくねえ……
とりあえず今日の陰徳記は、大内義隆の文学への傾倒っぷりというか、
なんというか……うん。


義隆卿、諸道の淵源を究めること

従二位中納言義隆卿は非常に博識で、奥義を極めていない道などなかった。
孔孟の道に心を傾けては釈氏老氏の足跡を追い、難波津の道に足を運び、
浅香山の浅くはない流れを汲んで水上を正したばかりでなく、
廃れたものを復興し、荒れ果てた神仏三宝に帰依する心が深かったので、
防長豊筑の寺社仏閣を数百ヶ所に建立した。

中でも豊前の国の宇佐八幡宮、筑前の箱崎、安芸の厳島などの造営を遂げ、
そのほか分国の寺社領は昔の取り決めどおりに寄付した。
また仁和寺の真光院尊海僧正・皆明寺尭渕僧正・山門の宝善堤院豪仁法印・
醍醐山報恩院源雅僧正・三井寺勧学院のような貴僧高僧を呼び寄せて、
国家安寧・武運長久を祈祷する大法秘法を執り行わせたばかりか、
義隆自身も僧たちにその修験を学び、顕密両宗・倶舎・成実・律家などの奥義に至るまで極めていった。

あるとき義隆は、「一切の蔵経は月を指し示す指のようなものなのだから、
教義の違いなどは一度投げ打って、元の意味の活法に至りたい」と言って、
すぐに大徳寺の玉堂和尚を招聘し、龍福寺に五百余貫の寺領を寄付して、
朝から晩まで修行に打ち込んでいた。
あるときは六十回も棒で打たれる痛みに声を忍び、
またあるときは何度も蹴りをくらって倒れながらも怒りをこらえ声を呑み、
壁に向かって思考を止め、部下たちも連れて仏道に励んだ。
ついに忽然と猛省して、教内教外もろともに、一点の曇りもなく八面玲瓏(澄み切った心)になった。

歌道の師匠には飛鳥井大納言雅俊卿、有職方には日野(柳原)大納言資定・広橋大納言兼秀、
謡曲には持明院中納言基規卿、装束方には冷泉(高倉)院紹恵(範遠、宗紹)入道、
管弦には天王寺の楽師である東儀因幡・岡兵部、
外典の道は外記清三位(清原業賢)・官務伊治などを師として、
その道ごとに奥義を極めていった。曇った御世の鏡とでもいうような姿だった。

名将といえなくもなさそうだが、是を是とせず、武の一字を忘れ果て、
ただ空虚に文学にばかり耽って、その真髄に至っていないのが残念である。
文字を知らない輩でさえ、乱れた世の中を治めるには、武力をもって治めるしかないと知っている。
それなのに才知に抜きん出ている義隆が、このような乱世で「武」という字を忘れてしまっては、
自分の名を忘れてしまうのと一緒で、愚痴蒙昧よりもさらに劣る。

去る天文十五年の春のころから、柳原殿・持明院一忍軒(基規)・竹田法眼(定慶)・
神光寺などを講師として四書・七書・五経などの講釈を順を追って進めさせていたが、
義隆のそれらへの理解は思子・孟子の智よりも優れ、楚秦張儀の弁舌よりもなお勝っていた。
孔丘老聘の再来かと思われたほどだった。

あるとき龍福寺で禅問答があったとき、義隆卿もこれを聴講していた。
玉堂和尚が床に座し、竹箆(しっぺい)を拈じて、
ややあってから「言葉の及ばない最高の道徳のことを、私は浅学なので測りかねる。
ここに座して竹箆を拈じているものの、これはどのような格式であるか」問いかけた。
参集していた修行中の者たちが問答を終えて皆退出してから、
義隆は席を立って和尚の右で右に一回りした。和尚は「まるで曹渓大師のようだ」と言う。
義隆は今度は左に行くと、左に一回りした。
師が「まったく瓜二つだ」と言うと、義隆は真ん中で扇子を持ち上げ「和尚」と言った。
師は竹箆を拈じて「それでよい」と言った。

義隆は礼拝をして、「仏弟子の円悟禅師はこう言いました。
『あるときの一喝は今にも獲物に飛び掛らんと地にうずくまる獅子、
またあるときの一喝は金剛玉宝剣のように。
あるときの一喝は天下人の舌先を切り取るように、
またあるときの一喝は波が押し寄せたり引いていったりするように』と。
謹んで和尚に質問いたします。これは踞地獅子の一句でありましょうか」と言った。
師は「吹毛はまったく動かない」と言う。
義隆が「いつどのようにして」と言うと、師は「乾坤を揆乱して太平をいたす」言う。

義隆が「金剛玉宝剣の一句はどのように生ずのでしょう」と問うと、師は「斬」と答える。
義隆が「梵天に血を注ぐのですか」と言うと、師は「ずっと洗い続ければよい」と答える。
義隆が「長年洗ってまいりましたが、まだ清まりません」と言うと、
師は「このうちにどうしてなのかがあらわれている。清と説くのか、濁と説くのか」と答えた。
義隆は、「どちらにも定まりません」と言った。師は「千里眼でもうかがい知ることはできない」と言う。
義隆が「天下人の舌先を絶つ一句はどのように生じるのでしょうか」と問うと、
師は「仏祖が命を乞う」と言う。
義隆が「押す波、引く波の一句はどのように生じるのでしょう」と問うと、
師は「有条攀条である。法律がなければ前例にすがるものだ」と答えた。
義隆は、「どのようなときにも前例はありませんでした」と言ったが、師は「喫茶去」と言った。
義隆はすぐに礼をした。


以上、テキトー訳。

HAHAHAHA!!! やってきやがったよ、苦手な禅問答が!
よったかさままでズルイ……お色気要員だと思ってたのに。ひどい(´;ω;`)←おまえがな
よったかさま、何を話しているのか私には皆目わかりませぬ><
禅宗のお坊さんに会ってこの会話のことを質問してみたいもんだぜ。
あいにくそんな知り合いはいないがな。
ここは私が寺に……いや出家は思いとどまろう。

とりあえずわかるところだけ拾ってみると、
義隆が六十回棒で打たれたりなんだり、「こいつマゾか!?」と思えるような修行をしているけど、
これは「六十回棒で打たれて悟った」という昔の聖人の真似をしてみたりとかそんなんだと思う。
いや、よったかさまならそういうプレイという可能性も……(ないよ!)
あと喫茶去もといきん知ってる!
「お茶を点てるときも、それを飲むときも、そのことだけに集中して一生懸命になりなさい」
ってことだよね(受け売り)!

まあそんなこんなで目がしぱしぱするほど頑張ってみたので、
しばらく仏教話は出てこないといいな(切望)!
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。