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2013-03-07

興経パパと元就パパと信直パパ

年度末トラブルと花粉は本当にカンベンしてほしいですね。
曜日感覚がおかしくなってる上にひどく眠いです_ノ乙(.ン、)_

さて陰徳記、これまで数回にわたって大内家の様子が描かれてきたけど、
今回は、元春に家を譲って蟄居している興経周辺のお話。


手嶋内蔵丞のこと

吉川治部少輔興経は、元春様へ家を譲ってからというもの、
わずかに侍を五、六人ばかり連れて、安芸の国の布川というところに、
いるのかいないのかわからないような様子でひっそりと暮らしていた。
大朝に住まわせていた妾、宮庄下野守の娘の腹に男子が一人できた。
興経はその子を溺愛し、膝の上から放さずに抱いて育ててきた。

その子の髪を掻き撫でながら、興経はこんなことを言った。
「おまえの元服のことは元就に頼むべきなのだろうが、あれは大江氏、私は藤原氏だ。
かたじけなくも大織冠の末裔として、大江氏に烏帽子親を頼むというのは、
弓矢を取る身は時の権勢に従うものだとは知っているが、なんとも口惜しいことだ。
当国には、四侍長といって、宍戸・平賀・毛利・吉川と、肩を並べてきた。
私が当主であれば、この同格の者たちの烏帽子子にすることは絶対にない。
隠居の身となって、困窮に身が細る有様となったとはいえ、元就とは契約したくない」
興経はこう言って、ひそかに山口へと人を遣わし、義隆卿へと袴着の契約を申し入れた。

ある人が元就様へと、「興経は実子である男子を義隆卿に契約されました。
これはきっと、大内の下知をもって吉川家の長に返り咲こうという陰謀に他なりますまい」
と密告したので、元就様は「これは由々しき一大事だ。
あの興経は人より抜きん出た大力量の猛将だ。
興経が権力を握って兵を持てば、誅罰しようにも簡単にはいかないぞ」と考えた。
元就様は、熊谷伊豆守信直・天野紀伊守に興経を討ち果たすように命じた。
両名は「承りました」と言って自分の宿所に帰っていく。

元就様が防長を切り従えてからは、勇士や謀臣も多く集まったという。
陶を討伐するまでは、熊谷・天野がまるで股肱の臣のように働いてくれたからこそ、
日ごとに武威が増してゆき、攻めれば取り戦えば勝つことができたのであった。

そして天文十九年九月二十六日、元就様から使者を通じて興経へとこのような伝達があった。
「御重代の三原の御腰物を見てみたく思うので、もしご了解いただければ、
大事な御刀のことですから、手嶋内蔵丞に持たせてこちらに遣わしてください」
これは、手嶋は大の剛の者だったので、興経と一緒にいれば、
興経を易々と仕留めることができないと思っての謀である。
興経はそういうこととは思いも寄らず、すぐに了承してその刀を手嶋に持たせ、
吉田へと送ったのだった。

兼ねてより定めてあったことなので、手嶋を粟屋三河守の宿所へと呼び入れ、
討手として遠藤・江田の二人に申し付けておいた。
まずは四方山話をしておいて、
「ところで吉川家重代の三原の御腰物とは、私たちもよく聞き及んでいる名物です。
少し拝見させていただいてよろしいでしょうか」と言い出す。
これは、その刀を抜いてみる振りをして、そのまま手嶋を切り払おうという策である。
手嶋は鋭い男で、このことを素早く察すると、
「これをご覧ください」と言いながらその刀を袋から取り出して渡し、
自分は少し下がっていつでも動けるように控えていた。

三河守が刀をスラリと抜いて眺め、「なんとすばらしい腰物でしょう。
聞いていたよりなお増してすばらしいと思います。
ここの刃のしおらしいこと、あそこのニエの愛らしいこと」と言って、
やがて討手に定められていた遠藤にその刀を渡した。

手嶋は自分の腰にさしていた三原の刀を引き抜いた。
「つまらないものですが、我が家に代々伝わる刀でございます。
私程度の持ち物ですので、できはそれほどよいものはありませんが、使い勝手は悪くありません。
先年、私の家に夜中に強盗が入ってきたことがありました。
私は、『これはどういうことだ。賊は困窮した家を襲うことはないと聞いていたから、
我が家へ押し入ってくるとは思いも寄らなかった』と思って、
枕の上に置いていたこの刀を手にとって振りかざし、そばに置いてあった兜をかぶって、
刀の忍緒を解きながら出合いました。

夜盗は熊手で私の手甲を引っ掛けて、エイヤと引こうとしましたが、
この太刀で切り払ったところ、熊手の柄を賊の手元に一尺ほど残してズンと切り落とせたのです。
あとで見てみると、柄は鉄でできていいたのですが、
それを少しも止まることなく切って落としていたのです。
その後夜盗を数人切り伏せましたが、どれも一打で仕留めて、
二打目が必要になることはありませんでした」
手嶋はそう自慢しながら、ちっとも刀を鞘に納めようとしない。
抜いたまま丁と持って、討手の二人の者たちをキッと睨みつけていた。

討手の者たちも隙をうかがいながら時が過ぎていったが、三河守は手嶋の様子を見て、
「この者はもう気が付いているな。騙して油断したところに組みつこう」と考えた。
三河守が三原の刀を鞘に納めて上座に置くと、
手嶋は「ではそろそろお暇いたします」と言って、ひらりと庭に飛び出して帰ろうとする。
討手の者たちは逃がすものかと追いかけた。
手嶋は手の者を六、七人召し連れていたので、そこかしこで返し合わせて切り払った。
手の者たちもいずれも劣らぬ剛の者ばかりで、主君を無事に逃がそうと後にとどまり、
討ち死にしていく。

その隙に手嶋は、「興経にも討手が向けられているはずだ。
死ぬなら一緒に死にたい」と、布川へと急いだ。
しかし追っ手に道を遮られ、深い山奥へ入って十死一生の難を逃れた。


以上、テキトー訳。

おいおいおいおい、息子溺愛して膝の上から放さない興経……
イイ! イイですよもっとやれ!
私の乳幼児抱いた男性センサーがビンビンに反応してるぜしかし!

そして元就、黒いね! さすが!
このあたりのお話は、後に正矩次男の宣阿が編纂して世に出した『陰徳太平記』では
ごっそり削られているとの噂を聞いたよ(読めよ)。
やっぱり時代が下るにつれ、元就の吉川家に対するやり方は、
否定的な捉え方をされるようになったからこそ隠されたんだろうな。
おキレイなだけってのもなんだか物足りないし、
こういうエピソードも面白いと思うけど。

考えて見ると、このへんのお話は元春の三人の父が揃い踏みってことか。
元就=実父、興経=養父、信直=舅だもんな。
いいですぞいいですぞ!

ちょっとゆっくり本に向かう時間が足りなくてモヤモヤしてますが、
とりあえず次回も興経のお話。

あと、次の休み中には下巻の目次を何とかします(・`ω´・)
宣言しとけば自分が逃げるわけにいかなくなるだろう。よし。
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