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2011-10-07

輝元の初陣が決まったようです

仕事の忙しさもひと段落したので、三連休はゆっくり長めの段を読むことに決めた。
気になるのは、「輝元、元長出雲へ発向ならびに冨田麓合戦のこと」の続き。
輝元も大好きなんだよね。アンチも多いみたいだけど。
TERUかわいいよTERU '`ァ,、ァ(*´Д`*)'`ァ,、ァ

なんか、そろそろブログ上にも目次がないと自分でもワケワカメになってきつつあるな。
始めた当初は日記なんぞ三日坊主で放り投げる気マンマンだったからか、
目次なんて思いつかなかったなぁ。
ちょろちょろ見てくれている方もいらっさるようだし、
WEB上に公開しててこの体たらくじゃ不親切だもんな。
調べて準備しよう。


冨田の城下三ヶ所における合戦のこと(1)

輝元様は、是非とも尼子勢とぶつかり合って衆目を驚かす活躍をしたいものだと考え、
元就様にこのことを訴えた。
元就様も嫡孫の勇猛果敢な望みを聞いて、手放しで大喜びし、
浮かれて手足がどうなっているかもわからないような様子だった。
「よし、ではもう一度、冨田城下で麦薙ぎの挑発をいたせ」と、諸将に命じ、
同(永禄八年)四月十七日に、冨田城下で麦薙ぎ働きをすることに決まった。
敵が麦畑を荒らされないようにと城を出て応戦してきたときのことを考えて、
三方向に分かれて備えを固めた。

尾小森(御子守)口へは元就様、ならびに嫡孫輝元様の部隊が陣取る。
(先の一戦のときに)輝元が「自分が先陣に出て戦いたい」としきりに勇んでいたのを、
元就様もその勇気をとても嬉しく思ったけれども、
「まだ十二(三)歳では合戦の勝利の機を見定めることなどそうそうできはしない。
自ら危険に飛び込んで流れ矢にでも当たるのではないか」と心配して希望通りにはさせなかった。
しかし、今度の戦では味方の勝利に疑いもないので、尾小森口の先陣は輝元様と決めた。
初陣で大勝利を得、これから待ち受けるであろう戦の幸先を良くして、
また望みどおり勇猛さを世間に知らしめるいい機会だと考えてのことだった。

また、その先鋒には、福原左近允・桂能登守・桂左衛門太夫・志道上野介、
そのほか口羽・児玉・粟屋・渡辺・赤川以下、毛利譜代の諸将を残らず前後に配置した。
輝元様の旗本には粟屋掃部助・国司右京亮、
馬のそばには児玉四郎右衛門・内藤六郎右衛門の二人が付いた。
先陣の鉄砲隊は飛落七郎右衛門・渡辺太郎左衛門が二百挺の鉄砲足軽を率いており、
そのほか備芸石防長の国人たちが我も我もと加わりたがり、多くの者が輝元の部隊に入った。

塩谷口には吉川元春・嫡子元長と熊谷伊豆守父子が向かう。
菅谷口には小早川隆景に米原平内兵衛尉・杉原播磨守・南条豊後守らがついた。


以上、テキトー訳。続く。

今回は短いけれども導入部分のみで。
次の段落が優に1ページ以上あるので、明日にかけてゆっくり読むつもり。

しっかし、いつ読んでも孫煩悩なデレ就様はかわいらしいなぁ。
「手の舞い足の踏むところを知りたまわず」だってさ。どんだけ嬉しいのw
輝元もこのとき十二、三歳で、今で言えば中学一年生くだいだね。
元気が良くてちょっとませてて跳ねっかえりなお年頃。だけど体格はまだまだお子ちゃまでさ。
小さな体でキャンキャン吠える孫に「末頼もしい」と目を細めるじい様。
苦笑しつつ見守る叔父たち……なんともあったかな家族の肖像じゃござんせんか。
ホント、毛利家大好きだ。
戦争という殺伐とした舞台なのに、なんだろ、このホームドラマ的展開は。
嗚呼、願わくばここに亡き隆元の姿があれば……

さてさて次回、いよいよ合戦の描写に入ってゆきます。
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