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2013-03-10

白い犬と裏切り者と怪事

どうにか目次整えました(・`ω´・)
有言実行、誰も気にしてないだろうけど自分が一番ほっとしたw

さて陰徳記、これまでのあらすじ:
元春に吉川の家を譲って布川に隠居した興経は、元就に反逆を疑われ、
熊谷伊豆守信直・天野紀伊守隆重を差し向けられる。
また元就は興経の側近で手ごわい手嶋を別に呼び出して吉田で討とうとし、
興経が信を置いていた寵臣の村竹宗蔵を抱き込んで、興経殺害の命を与えていた。
手島の不在、村竹の離反、また熊谷・天野の攻撃の前に、興経は儚い命を散らした。

今回は、興経死後のお話。


興経最後のこと(下)

そして不思議なことが起こった。
興経がこれまで飼っていた白い犬が一匹、興経の墓所にやってくると、石を枕にして眠りだした。
はじめの二日ほどは誰も気にしなかったが、四、五日もの間その状態なので、
人々は皆不思議に思って、餌などを与えようとした。
しかしこの犬はまったく見向きもせず、ついに七日目に飢え死にした。
「この犬の、忠と義を守る心がもし村竹宗蔵と入れ替わっていたなら、
興経はこうして討たれることはなかっただろうに。
心無き白犬さえ恩に報いる心がある。それなのに人として生を受けた村竹の所業はどうだ。
伝え聞く別府・長田よりもひどいものだ」と、村竹を憎まない者はなかった。

こうして主の恩に報いようと殉死した白犬は、畜生道の苦難を逃れて仏性を得、
本有平常の道に至ったのだろう。ありがたいことである。

宋の太宗が亡くなったとき、その飼い犬は物を食べなくなって主人の墓に行き、
涙を流しながら鳴き続け、やがて衰弱して死んだそうだ。
見ていた者たちは皆涙を流したという。

また日本でも昔、物部守屋の部下である大連が、厩戸の皇子・蘇我馬子の部下の野見宿禰と戦い、
ついに跡見首赤寿(オムイテヒ)の放った矢によって討たれた。
このとき大連の家人であった捕鳥部万(ととりべのよろず)という者が将となり、
百人で難波の屋敷を守っていたが、守屋が滅んだと聞いて夜中のうちに馬に乗って逃げ出してしまった。
蘇我方は山に逃げ込んだ万を討とうと、数百人の衛士を派遣して万を囲んだ。
万はすぐに竹やぶに隠れ、縄を竹に結び付けて引き、竹を動かして敵兵の注意をそちらに集めた。
追っ手の軍兵は見事にだまされ、動く竹を指差して「あそこに万がいるぞ」と叫ぶ。
万はその兵たちに矢を放ち、ことごとく射当てた。

こうなると追っ手の兵たちも恐怖して近づいてこない。
万は弓を腋に挟み、山に向かって走り去った。
ところが敵兵の一人が疾駆して先回りし、川のほとりに身を低く構えて矢を放った。
この矢は万の膝に当たった。
万はすぐに膝に刺さった矢を抜くと弓に番えて射ったが、地に倒れ伏し、
「この万は、天皇の楯となるために武勇をあらわそうとしたのに、
聞き入れていただけずに、このような窮地に陥ってしまった。
話ができる者はここに来い。私を殺そうというのか、生け捕ろうというのか、聞かせてくれ」といった。

討手の衛士たちは先を競うように駆けつけて万を射ったが、万はその矢を払いのけ、
逆に放った矢で三十余人を射殺した。
そして持っていた剣でその弓を三つに断ち割ると、その剣も押し曲げて川の水に投げ込んでしまう。
それから万は、別に持っていた短剣で自分の頭を刺し、死んだという。

河内の国司が万の死に様を朝廷に報告したところ、
「万の死体は八つ切りにして八つの国にさらせ」と命があった。
河内の国司はすぐにその明にしたがったが、死骸を切ろうとしたところ、
雷が鳴って大雨が降りだした。
ここに、万が飼っていた白い犬がやってきて、伏せたまま天を仰いで吼えまわる。
そして万の死骸のそばに行くと首を噛み切り、頭を咥えると古い塚を掘り返して埋め、
そのそばにぴったりと寄り添ったまま飢え死にしたという。

河内の国司がその犬の行動に驚いて朝廷に報告すると、朝廷は非常に哀れんで聞き捨てることができず、
「その犬は世にも稀な犬である。後世に伝えるべきだ。
すぐに万の一族に命じて墓を作り、埋葬しなさい」と命じた。
これによって、万の一族は有真香の村に二つの墓を並べて作り、万と犬とを葬ったそうだ。
万の勇は興経と等しく、犬の行動もまた同じだった。
見たこともない昔のことまで語りだし、人は皆褒め称えた。こ
れだけでなく、だいたいにして犬というものは主人との別れを悲しみ、
あるいはまた恩に報じることも多いものだという。

昔、蘇我入鹿が上宮太子の眷属を滅ぼそうとしたときに、諸国の兵を集めていたところ、
播磨の国に牧夫という者がいて、召集に応じた。
この妻は世に超えて美しかったが心栄えはよろしくなかったので、
夫のいない間に夫の従者と密通していた。やがて夫は帰ってくる。
従者はこれまでの密事が漏れ聞こえれば自分が殺されてしまうと恐れ、
主君をだまし討ちにしようと考えた。

そこで牧夫に向かって、こう言った。
「とある山のなかに鹿や猪が多く集まっているところがありますが、まだ他の人は知りません。
私はそこに行って見てきたので道も知っています。
あなたと私と二人で、密かにその山中に行って、猟をしてとってきましょう。
このことは人には知らせないでください。
人が知ればあなたのものにはできなくなってしまいますよ」
牧夫はこれを聞いて「それは本当か」と大いに喜んだ。
もともと狩を好む男だったので、飼っていた黒い犬を連れて、
従者と一緒に山の中へと数十里ほど分け入っていく。

従者は「だましおおせたぞ」と思ったのか、高いところに駆け上がると弓を取り出して矢を番え、
「私は昔はあなたを主人としていたが、今は敵となった。
この山には猟場などない。私があなたをだましてここまで連れてきたのだ。
この一矢であなたの命を奪ってやる。もし思い残すことがあれば言え」と言った。
牧夫はひどく驚いて、「なんてことだ。まったく気付かなかった。
こうなっては何も言うことはないが、しばらく待ってくれ」と言うと、
腰につけて持ってきていた弁当を解くと二匹の犬を呼んで分け与えた。

牧夫は犬を掻き撫でながら、「おまえたちを飼ってずいぶんになるが、
まるで師弟のように愛しく思っている。だから私の言うことをよく聞きなさい。
これから私がここで死んだら、おまえたちはすぐに私の屍を噛み千切って、残さず食らってくれ。
それというのも、私は若いころから武勇の誉れ高く、だからこそ今回も蘇我の戦に召集されたのだ。
それなのに、従者にだまされて易々と山中で討たれたとあっては恥ずかしくてたまらない。
人々はきっと私の屍を見て指差して笑い、憐れむだろう。私にはこれが気がかりだ。
だから、私の屍を食い尽くしてしまってくれ」と言う。
「絶対にこの命に背くなよ」と掻き口説くと、
二匹の犬たちは与えられた飯も食わずに耳を垂れて聞いていた。

すると、一匹の犬が突如躍り上がって従者の弓の弦を噛み切った。
もう一匹も従者に飛び掛り、のどに噛み付いて殺してしまった。
牧夫は危機一髪で命を拾い、大いに喜んだ。
二匹の犬を連れて家に帰ると、妻を追い出してしまった。

牧夫は自分の一族を呼び集めると、「私はこの二匹の犬に命を救われた。
これからはこの犬たちを我が子として所領や屋敷を与えよう」と言ったが、
犬は寿命が短いので、やがて死んでしまった。
牧夫は「私は故郷に二匹の犬を自分の子として屋敷を与え、それが死んでしまった。
でも約束は違えるまい」と、自分の財をなげうって伽藍を建立し、
千手観音像を安置してその犬たちの冥福を祈った。
この犬たちの社は地主神となり、寺は犬寺と呼ばれたそうだ。
このような例は古今に多い。

それに引き比べ、村竹の振る舞いは畜生にも劣っている。
今生では天罰を免れず、子孫は永久に絶え果て、自身も眉や髪が抜け落ちてしまうことだろう。
来世は八大地獄に入って牛頭馬頭の鉄棒に打ち据えられるだろう。
そうなるに間違いないと、人々は皆村竹を憎んだ。

さて、吉川伊豆守・森脇和泉守はこのことを聞きつけると急いで由だ郡山に駆けつけてきた。
二人は涙を流し、「興経を討ち果たすのであればどうしてお知らせくださらなかったのですか。
隠居蟄居の身となったのですから、どうして反逆など企てられましょう。
こうして誅罰なさるとは、なんともお情けのないことです。

私たちも、興経に対して私怨があってこのように(興経から元春への家督相続)したわけではありません。
吉川の家のことを考えたからこそ、一旦は主従の間を乱すような振る舞いをしたのです。
確かに興経に楯突いたと同じようなものですが、本当は家のためを思い、
それに興経の不義を正すために行ったのです。
こうなったら私たちも、縁側の片端を汚して自害させていただきます」と大騒ぎした。

元就様はあれこれとなだめたものの、二人はまったくおさまらない。
そこに元就様の北の方が出てきて、
「伊豆守殿にとって興経は甥ですが、わたしにとってもまた甥です。
甥を殺されたのが無念だといって自害なさるのなら、私も女の身ではありますが自害すべきでしょう。
伊豆守殿、どうか私に免じて自害を思いとどまってください」と、
一度は怒り、一度は涙を流して説得した。
伊豆守はしぶしぶ自害を思いとどまったので、和泉守も強行することができずに涙を抑えて自害をやめた。

それから興経の亡霊が出て人々を悩ますようになった。
葦毛馬に乗った人影に出会った者たちは、十人が十人とも皆気絶して再び起きることはなかった。
もし百人の中で一人でも生き残った者がいたとしても、
心身脳乱し、正気のままではいられずに狂ったようになり、恐ろしい言葉ばかり言ったそうだ。
この怨霊を鎮めるために、一宇の社壇を建立して御崎大明神と崇めるようになった。

しかしなおも亡霊は人々を悩ませ続けたため、
京都へ使いを差し上して吉田殿へそのことを言うと、光大明神と名を改めた。
光と名づけたからなのか、その後はその社壇から傘のような光るものが飛散して
また諸人を悩ますようになった。
「これはきっと光と名づけたから名に応じたのだろう」と、また吉田殿に相談した。
その後は柔軟大明神と改めた。
そのおかげか、怨霊も静まった。その白犬も同じ末社に祀ったという。


以上、テキトー訳。おしまい!

犬にも愛される英雄興経、さすがです。
でもそれと村竹を比較して村竹をdisんのは筋が違うんじゃねーかと思うんだ。
命じたのは元就だし。断ったら村竹が殺されんの目に見えてるし。
まあいつの世も、罪だの悪徳だのを立場の弱い人間におっかぶせて幕引きにする、
そうやって生きていくしかないのかもね。

興経の怨霊ってのも興味深い。
1ヶ月ほど前に岩国に旅行に行ったわけだけれども、
そこで仕入れた資料にも興経を祀ったナンチャラが登場してたと思い出した。
吉川氏が本拠地を移した後も、なお恐れられ祀られた興経。
ずいぶんと、興経に対しては後ろ暗い思いがあったんだろうな、
というのが容易に想像できた。いわゆる荒神信仰だよね。
興経の他にも、岩国を平定する過程で殺した豪族なんかも荒神として祀られてるようだ。
次に行くときには、そのあたりの知識も少はしつけて行きたいな。

そうだ、あまりの衝撃で忘れかけてたけど、「元就の北の方」って、妙玖のことだよね。
「興経は自分の甥でもある」って言ってるし。
でもさ、妙玖ってすでにこれより5年前の天文14年に亡くなってるんじゃ……
ぎゃああああぁぁぁぁ!!!
ってまあ、ちゃんと正矩が考証をしていなかったか、
もしくは死没年は押さえていても、話の流れ的にこの人を登場させないと収まりがつかなかったか、
そんなとこなんだろうな。

さてさてお次は、「名刀を見たいから持ってきて」って名目で
吉田に呼び出されてた手島のお話だよ!
あわや討たれるというところで逃げ出して、主君のいる布川に向かおうとした手島はどうなったのか。
待て、次回!
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