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2013-03-11

血塗られた系譜

さて、ガソリン入れてきました(訳:アルコール摂取)。

そんなわけで、朝のうちに読み進めといた陰徳記。
だいたいの流れ:
元春に家を譲って布川に隠居した吉川興経だったが、
元就は興経に逆意ありと確信して二重三重の討手を仕掛ける。
近臣である村竹の裏切り、そして熊谷・天野連合軍によって討たれてしまった興経。
これほど簡単に討たれたのも、勇士と名高い側近の手嶋内蔵丞が別件で吉田に呼び出されており、
不在にしていたからでもあった。
吉田でだまされかけて、討手をまいて逃げた手嶋は、主君が暮らす布川へと急ぐ。


手嶋兄弟最後のこと

さて、手嶋内蔵丞はというと、布川に帰って興経と一緒に死のうと思ったものの、
手嶋を討ちもらしたと聞いた者たちが、討ち取るために大勢駆けつけてきたので、
道を通ることができずに山伝いに逃げていた。
その夜が明け、ようやく布川へ逃げ帰ったが、興経の暮らしていた宿所はすでに焦土と成り果てて、
むなしく礎が残るばかりだった。

「これはどうしたことだ。興経はどうなったのだ」と思ってあたりの者に尋ねてみると、
「今朝方、熊谷・天野によって討たれてしまわれました」と答えが帰ってくる。
手嶋はたまらず涙をぼろぼろとこぼして
「なんと口惜しいことか。私が一緒にいれば一方を打ち破って、お命だけはお助けしたものを。
主従の契りが絶え果てたのか、敵に推し隔てられてしまったのは無念極まりない」と声を限りに泣いた。

しばらくして「興経が討たれてしまわれたところはどこか」と尋ねてその場所に行き、
生きている人に物を言うかのように掻き口説いた。
「あなたがおしめをしていたころからこの腕に抱いてお育てし、
片時も離れたことがなかった私が、最期のときだというのに、
敵に押し隔てられてしまうとは無念でたまりません。
今しばらくお待ちください。

西方十万億土にも及ぶ道を、どうしてお一人で行かせることができましょう。
追いついてお供いたし、三途の川は私が背負って渡り、
死出の山路の案内をして、閻魔の庁まで一緒に参ります」と言って念仏を十回唱え、
腹を十文字に切り破った。
介錯する者がいなかったので、自分でのどを掻き切ってうつぶせに倒れて死んだ。
これを見た人は、「勇といい義といい忠といい、肩を並べる者がないほどの振る舞いだ。
父の元経がたくさんいる郎党の中から選び出し、産屋のうちからそばに付けたのも道理だ」と、皆感心した。

内蔵丞には兄弟が四人いた。
又四郎・又五郎は市川刑部少輔経好に預け置かれた。
又七郎・又八郎はは、近隣の国へと興経の回文を持って行っていた。
「又四郎・又五郎は兄にも劣らぬ大の剛の者である。
生かしておいては千里の野に虎を放つようなものだ。
急いで討ち果たすように」と元就様が下知すると、経好はすぐに遠藤弥九郎を通じて、
「又四郎兄弟に少し話がある。こちらへ出てくるように」と伝えさせた。

二人の者たちは「承りました」と答え、同じ屋敷に住んでいたので、
すぐに遠藤と連れ立って出てきた。
前もって、稲原のある陰に討手の者を数十人隠し置いている。
もしかしたら討ち損じることもあるかもしれないと、別のところにも三十余人を隠れさせていた。
遠藤もなかなかの者で、手嶋兄弟のうちの一人は自分の手で討ち果たそうと思っていたので、
稲原の近くに来ると、太刀を抜くと同時に又五郎に切りかかった。
又五郎は早業打物の達人だったので、気付くと同時に太刀を抜き合わせて受け流し、
弥九郎を袈裟懸けにズンと切って落とす。

これを見て、あたりに隠れていた討手の者たちも、一斉に立ち上がって切ってかかった。
手嶋兄弟はこれを見て、「興経が討たれてしまったからには誰のために命を惜しもう」と、
大勢を左手に受け、右手に寄せ合わせながら散々に戦った。
数人切り伏せると左右に追い散らし、真っ赤に染まった太刀を打ち振りながら逃げようとした。

そこに市川経好が追いかけてきて、「手嶋兄弟よ」と呼ばわった。
「おまえたち二人を打ち漏らせば、私は後で処刑されてしまうだろう。
どうせ逃れることのできないこの命だ。
こちらに戻って私の首を打ってから、どこへなりとも落ち延びるがいい。
これまでの情けを打ち捨ててどこへ行こうと言うのか。戻れ」と言うと、
手嶋兄弟はこれを聞いて、「我らは命を惜しんで罷り退くのではありません。
向かってくる敵がいなかったので、そのまま落ち行こうとしただけです。
実に、これまで我ら二人を預かってくださった恩があります。
我らが逃げてしまえば経好お一人が罪に問われましょう。
これから立ち返って自害し、経好の恩に報いましょう」と、
兄弟一緒に帰ってきて、庭の上で腹を掻き切って死んだ。

又七郎・又八郎は翌年の春ごろに帰ってきたが、兄弟の様子を尋ねて事の顛末を聞いた。
「こうなっては、二人が生き残ったとしても意味がない。
人々は我らがそのときに国にいなかったことを知らないだろう。
兄たちは皆主君と同じ道に行ったというのに、
我ら兄弟が取るに足らない命を惜しんで逃げ出したのだといわれてしまえば、一門の面汚しになる。
五人そろって死を善道に守ろうではないか」と、刺し違えて死んでしまった。
根を同じくする者は枝を連ねるとは言うものの、
義を守り、忠に邁進した振る舞いは実に稀有なことであると、聞く者はすべからく感動し褒め称えた。


以上、テキトー訳。

だから私は乳人の後追い自害ってのには弱いんだって(´;ω;`)
赤子のころから腕に抱いて大切に育ててきた主君が死に、
自ら命を絶つ乳人ってのは、ちょっと言いようのない哀愁を感じてしまう。
最初にこのパターンに当たったのは、厳島合戦のときの陶主従だったっけ。
ものすごいインパクトだった。もちろん悲しい方の。

亡き主君が斃れた場所を尋ね当て、虚空に向かって掻き口説くとか、
いったい何の演劇ですか……! もう><。
救いようのない悲しみがあるから、こういう話は苦手。

手嶋の兄弟も、つらかったね。
五人兄弟ことごとく腹を切って果ててしまうとは。無念だったろう。
手嶋兄弟の怨念を恐れる心が、こうした言い伝えから見て取れるような気がする。
興経暗殺と一連の始末は、毛利家にとって暗部だったんだろうな。

ここに登場する市川経好は、興経を蟄居に追いやった、叔父の吉川経世の嫡男だったはず。
次男の経高は今田姓を名乗って元通りに吉川家に仕えるけれども、
経好はこの後、毛利の直臣になっているようだ。
旧来の吉川家臣の感情を思いやって元就が采配したのか、
それとも元就は最初から経好を取り立てると誘って吉川家に介入したのか。
このあたりも興味深いけれど、脳味噌の限界です。

さて次章、対峙したまま放置されてた平賀・杉原の話に飛ぶよ!
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