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2013-03-12

ギャンブル・ブレイク

だいたいの流れ:
毛利勢は大内方の先陣として、尼子方である備後の神辺城攻略に向かったが、戦いは膠着した。
神辺城主、杉原忠興に遺恨のある平賀隆宗は、杉原の所領をすべてもらうという条件で、
向城に籠もって日々杉原勢と戦いを繰り広げていた。
毛利、大内方大将の陶らは兵を治め、平賀のことなど忘れたかのように、
毛利家の山口訪問、隆元の結婚、元春・陶の義兄弟契約、
そして吉川興経粛清などに忙殺される(鬱)。

平賀「おい、おれら忘れられてね?」
杉原「ちょちょちょ、こっちにもちゅうもーく!」

そんなわけで今回は、平賀さんと杉原さんのコントです。


備後の国神辺の城没落、付けたり目黒の最後のこと

さて、平賀と杉原は早三年も戦いに明け暮れていたが、杉原の城は落ちそうにも見えなかった。
平賀隆宗も方策はすべて尽き、勇気もすっかりしぼんでしまって攻める気持ちもなくなってしまい、
忠興に使者を送ってこう言い送った。
「近年、あなたと私は余人も交えず取り結んで合戦してきましたが、
勝負を決せないままいたずらに年月を送り、士卒を疲れさせるばかりでなく、
あるいは討たれまたは傷をこうむる者の数も夥しくなってきました。
こうして士卒に苦労をかけ続け、民を苦しめ続けるよりは、天を司る命星に運を任せて、
矢を二筋受けることにします。
命中すればこの隆宗の運の極み、外れたならばすみやかにこの城を明け渡していただきたい」
忠興は、「弓ならば、蚊の睫、蟻の目玉であっても、
目にさえ見えればたちまち射当ててやるぞ」と考えて、非常に喜んですぐに了承した。

これは天文十九年十月十三日のことである。
隆宗と忠興はたった二人で、共の者を一人も連れずに城の尾崎へと出てきた。
隆宗は床几に腰をかけ、九字を切り護身法を行って、「満々引弓射不著」と念じて待ちかけた。
実に、あづち(弓の訓練で的を据える盛り土)なりきって矢を待つような風情だった。
忠興は弓の弦をしっかりと張り、矢を二筋取り添えて指に挟むと立ち向かった。
矢を取って打ち番え、「仰せの通りに仕ります」と言う。

隆宗胸板をトントンとたたき、「こちらへどうぞ。
我が胸板に受け止めて、あなたの弓精のほど、また鏃の鉄の鋭さを試してみましょう」と、
にっこりと笑いながら立ち上がった。
士卒の苦労に替わってとは言うものの、中国に二人といない精兵の、
矢の一筋ばかりか二筋まで受けようという、隆宗の心中こそ不敵である。

その日は宵ごろになって北風が雲を運んできたので月の光が少し暗かったが、
ひとしきり時雨が降ると程なく空は晴れ渡り、寒月が冴え渡って木の葉に遮られることもなかった。
日中よりもよく見えるほどだ。
隆宗の鎧兜は金箔で飾り立てられてたので、月の光に輝いて、
忠興が予想していたより狙いやすそうである。
男はそこまで大きくはないが、肩の骨が高くそびえ、
左右の腕には獣のように真っ黒な毛を生やし、眼は蜂のように鋭く鼻の穴を大きく開いている。
金仏の不動明王が岩窟から出てきたかのようだった。

矢を放つ距離は一町ほどである。
月も明るく鎧もよく見えるので、射外すわけがない。
忠興はよく弦を引いて矢を放った。
弦の音はいつもより高く、手ごたえがあったので、忠興は「射当てたと思います」と言う。

隆宗は少しも騒がず、カラカラと打ち笑って、
「永の御籠城で気がふさがれたからでしょうか、御弓精も衰えたと見え、
一、二間ほど足りませんでした。
これまであなたは、一、二町のうちならば、
地を走る獣や空を飛ぶ鳥さえも、十中八九は射当ててきたと聞き及んでおりましたが、
一町以内に立っている人間を、これほど無念に射外すとは情けない」と嘲弄した。

実は最初の矢は、隆宗の刀脇差を雁俣ではさみ、太腹へしたたかに突き刺さっていたのだが、
隆宗は大の剛の者だったので、次の矢を放たせるために、
こうだましたのだという。

忠興は「届かなかったか」と知ると、二の矢はそれに少し気をつけて射ったので、
今度は隆宗の肩の上を掠るようにして通り過ぎ、後ろの石に当たった。
火がカッと迸り、鏃は砕けて飛び散る。
そのとき隆宗は十間ほど引き退いて、「約束どおり、この城を明け渡してください」と言った。
忠興は、一言の約束は金石よりもなお固いものなので、
仕方なく城中の掃除をきちんとして、同十四日に城を平賀に渡し、
自身は尼子を頼って出雲へと向かっていった。

こういうこととは夢にも知らず、尼子晴久は、
杉原忠興の城が危機に瀕していると知らせがあったので、
「今これを見捨ててしまえば備後の味方を失ってしまう」と考え、
目黒新右衛門に足軽五百人を添えて神辺へと遣わすことにした。
目黒はかしこまって、「今回私が備後に向かうことはかしこまりました。
私が罷り向かってあの城を堅固に守るだけでなく、
近隣を打ち従えて尼子家の御手に属すように忠戦に励みます。
それができなければ二度と出雲へは帰ってまいりません」と荒々しく言った。

目黒は自分の宿所に帰ると、妻子に最後の別れを告げて、五百余人の先頭に立って備後へと急いだ。
こうしたところに、道の途中で忠興と行き会った。
目黒が大いに驚いて、「忠興はどうしてもう下城しているのですか」と尋ねると、
宮内少輔忠興は涙を流してこれまでの経緯を語る。
目黒はそれを聞いてもってのほかに腹を立て、
「昔、西塔の武蔵坊は五戒を守ろうとしましたが、
『弓矢を取る身であれば知略謀計のために虚言しなければ立ち行かない。
となれば、妄語戒を守ることはできないだろう』と言ったそうです。
だいたいにして、敵方をだますために嘘をつくのは、
弓取りにとっては少しも恥ずかしいことではありません。
いかに平賀と約束したからといって、おめおめと城を渡すことがありますか。
兵家は昔から詭弁の道であるというのを知らないのですか。
知略謀計で偽りを言わずに、どうやって敵を欺くのですか」と怒った。

忠興は、「私もそのように考えましたが、天神地祇を起こしてのことですので、
天の照覧も恐ろしく、こうして下城してまいりました」と言う。
目黒は「忠興が下城したなら、神辺へ向かって平賀の陣に切りかかっても、
戦利がないばかりか多くの兵を失うことになる。
晴久に損をさせ申すのは不忠・不義の至りです。
かといってこれから空しく帰るのは、晴久の御前で申し上げた言葉が偽りになってしまう。
進退相窮まりました。

しかたがない、連れてきた足軽たちはここから帰して、
私は神辺へと向かい、平賀に検使を一人出してもらって、潔く自害いたそう。
そうすれば人数も損じることはなく、また私が申し出た約束にも違わない」と、
足軽たちを皆忠興につけて出雲に帰した。
そして自身は神辺へと赴き、このことを平賀に申し入れた。
隆宗は「なんという義士だ。このようなつわものが自害してしまうとは不憫だ」と、
感涙は袖で拭いきれないほどだった。

そして隆宗は目黒の望みのままに、隆宗は検使として坂新五右衛門を差し出した。
目黒は周囲の禅院に入って仏前で焼香三拝した。
そして庭へと飛び出ると立ったまま刀を抜き、「君と一言の約によりて臣が百年の齢を誤る」と、
古い詩を訳して口ずさみ、腹を十文字に切り破った。
そして膝を突いてかしこまり、「どうぞ打ってくれ」と言う。
坂新五右衛門はすぐに首を落とした。

平賀はすぐに丁寧に供養すると、首は故郷へと送った。
晴久はこの顛末を聞くと、「有能なつわものを無駄に失ってしまった」と惜しんで、
目黒の子供二人を召し出し、目黒の家は小身だからといって目賀田の家を継がせて、
二百貫ずつ所領を与えた。
子供たちは目賀田采女允、同段右衛門と名乗り、兄弟ともに父にも劣らぬ勇士になった。


以上、テキトー訳。

忠興と隆宗、仲いーな……(*´∇`*)ハァン
でも賭け事で勝敗決めちゃうってどうなの。いいの、そこんとこ。
んでもまあ、月夜の決闘って、なんだかウエスタンなカッコよさが漂うから、
読んでて楽しかったよ♪ヾ(。・ω・。)ノ゙
隆宗も、矢が当たってるのに嘘ついて、なんとか大仕事をしおおせたね。
これが肉を切らせて骨を絶つというアレか。

城とられたうえに目黒にしこたま怒られる忠興。
まさに泣きっ面に蜂www
ちゃんと城を掃除して明け渡したり、いい人なんだけどな。
いい人ってだけじゃ世は渡れないんだね。
腹黒さがなけりゃ。

元就が「そうだぞ、謀略が何より大事だ」とかしたり顔で言いそうだけど、
内臓真っ黒な人はちょっと黙っててください。
今回はなかなかに、胸のすく話だったんだから。
目黒もいい男だなぁ。

そんで、この目黒の子供が目賀田だよ目賀田!
岩国に「目賀田家住宅」って文化財があるけど、そこんちの先祖だよ! ヒャッホーイ!
尼子が滅びた後、毛利・吉川に従った人は多いけど、目賀田もそのうちの一人なんだね。
その人たちが正矩にこういう話を語ってくれたんだろうな……ムネアツ。

さて次章は、大内家の内情に戻るよ!
はたまた冷泉さん……てことはハイパーお説教タイムか_ノ乙(.ン、)_
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