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2013-03-17

大内家のロメジュリ

だいたいの流れ:
大内義隆は文芸にのめりこんで武備がおろそかになり、それを家臣の冷泉隆豊に諌められた。
しかし行跡は改まらず、また隆豊は義隆にで重用されている相良武任の政道が邪道だと言って、
再び義隆に諫言する。
義隆はこれを隆豊の妬みから生じたものだと解釈して、隆豊を遠ざけてしまった。

てなわけで、今回は問題の相良さんと陶隆房が何やらモメているようです。


陶・相良、不快のこと(上)

陶尾張守隆房と相良遠江守武任の仲がこじれた。
それというのも、武任が自分の権威をいいことに、軍政・号令、その他の公事に至るまで、
評定の席で他人へのはばかりもなく、自分一人が正しいかのように声高に物を言っていた。
大内家の奉行人らも皆相良の威におもねって閉口していたので、
武任以外に口を開く者はいなくなった。

陶尾張守は西国では並び立つ者のいない侍大将で、
智も勇も世人に勝り、そのうえ文よりも武に偏った男だった。
我慢が足りずに、よきにつけ悪しきにつけ気の向くままに振る舞い、
他人の異見を容れない人だったので、
評定の席では、ややもすれば武任と論争が止まらなくなることが度々あった。

陶は内心では、「相良武任はもともと出家の身なのだから、文学を広く知っていて、
僧たちにも親しい者が多いだろう。しかし軍政・号令のことは露ほども知らないはずだ。
それなのに、いつも軍評定などの席でも、
当家の大身の面々を差し置いて傍若無人に振る舞い、荒言を吐いている。
自分が専門ではない軍事まで掌握しようとは、実に奇怪だ。
そのうえ自分の一族には、烏帽子子や袴着の契約だなどと言って、
自分の周囲の者だけは義隆へといいように取り成し、所領も宛行って録ももらえるようにしている。

しかし杉・内藤・私の一族などは、巧みに讒言しているから、
ある者は追放され、またある者は本願の所領を没収されてしまった。
だから大内家の侍たちは武任の気に入るようにとこびへつらうばかりか、
月代や衣紋のつけ方、しゃべり方、所作まで武任を真似ているのだ。
『智者に近づけば賢くなり、愚者に近づけば暗愚になり、
佞者に近づけばへつらうようになり、盗人に近づけば賊になる』と言うように、
武任を真似ている当家の諸侍たちは、武士道の志もすべて廃れ果て、損得勘定ばかりして
商売人のようになり、強者におもねることで世渡りをする人間のようになってしまった。
そして困窮しても媚びない者たちのことを、
『伯夷・叔斉といった聖人の清貧の心を学んだとはいえ、取るに足らない者たちだ』と、
散々に誹謗中傷している。

実に、『無欲な卞随や潔白な伯夷を濁り汚れた行いの人物であると言い、
盗跖や荘キャクのような盗賊を清廉な者であると称す』というのは、当家の諸侍の行跡だ。
これはひとえに武任一人の佞によるものだ。
あれが当家にいる限り、政道は邪道ばかりで、しまいには国が滅んでしまう。
主君のために命を投げ捨てるのであれば、戦場ではなくとも、忠志には変わりない。
今後再び武任が私に問答を仕掛けてくるようなことがあれば、それが何事であっても、
眉間を二つに切り破り、返す刀で腹を切って死んでやる」と、憤っていた。

武任はこのことを伝え聞いて、「隆房と仲違いしては、
将来的に自分の身が一大事に及んでしまう」と考えた。
そこで、「どうにかして陶五郎長房を婿にとって親しくなりたいものだ。
自分にとって大内家に根を張り地盤固めをする良い策略になる」と考え、
義隆卿へと内密にこのことを嘆願した。

義隆はこのことをどうしたらいいものかと悩み、はっきりとした返答をしなかった。
武任は、義隆卿の御台所の乳人である新少将という女房に自分の娘を近づけて
昵懇の間柄になっていたので、この新少将を通じて義隆の御台所に同様に申し入れた。
新少将がうまくとりなしたのか、御台所から義隆卿へと、
「相良の望みは実にもっともだと思います。よく計らってやってください」と後押しがあったので、
義隆卿も了承した。

さて、武任の娘は玉環・飛燕どころか毛嬙・西施をも超えた美人であった。
義隆卿は非常に好色な人だったので、当時の羽林名家の息女であろうと、
姿が美しく性格が穏やかでやさしいと聞けば、何かと強引に自分の側室に迎え取っていた。
そればかりか、西国・畿内で商売を営んだり農耕に励んでいる身分賤しい民の娘であろうと、
容色が美しければ、金銀珠玉をなげうって皆迎え取ってしまう。
そのような目にあった美しい婦人は数知れない。
しかし武任の娘に比べれば皆顔色を失うというほど、武任の娘の美しさは際立っていた。

陶五郎長房も内々にその娘のことを伝え聞き、
「ああ、この女を妻に迎えたいものだ」と思い、
女のほうでも「この男ならば」と考えていた。

あるとき義隆卿の御台所が滝の法泉寺の山桜を見に行こうとしたとき、武任の娘も誘われて随伴した。
陶五郎はどうにかしてその娘を一目見たいとずっと思っていたので、
ある女房につなぎをつけて忍び込み、垣間見ることができた。
噂で聞いていたことなど頭から飛んでしまうほどに美しく、たちまち恋に落ちてしまった。
それからというもの、陶五郎は恋慕の思いに焦がれ、
「ああ、出雲にあるという神のお恵みをいただいて、あの娘と妹背の契りを交わしたい」と、
山口に勧請されている神や仏に祈りをかけ、女との逢瀬を願った。

その後、義隆卿から杉豊後守興運・青景越後守隆著を通じて、陶尾張守隆房へと申し入れがあった。
「ご子息の五郎にはまだ妻がいない。相良近江守の娘と婚姻の契約をしてほしい。
隆房が了承してくれれば、武任にもそのことを言い聞かせよう」と言われて、
隆房は二人の使者に対し、「かたじけない上意でございます。
愚息五郎に申し聞かせてから、ご返事は後ほどこちらから申し上げます」と、特に含みもなく答えた。

しかし思いが内にあれば色が外に出るもので、両の眼は見る間に血走って真っ赤になり、
憤怒の気持ちが隠しようもなくなってしまう。
隆房はしばらくして溜息を二つ三つ吐き、歯噛みをしてもなおおさまらずに、
二人の使者に向かって思いの丈をぶちまける。

「五郎の縁者としては、当家にあっては杉・内藤・右田といった大身の家老衆などを挙げてくださるべきだ。
それなのに、あんな坊主上がりの相良の娘を五郎の妻にと仰せになるとは、まったく考えもしなかった。
舅とは親と同じではないか。
武任が五郎の親になるとは、過分なのか不足なのか、あなた方はどのように考えているのだ。
聞かせてくださらないか」と、扇で畳を叩きながらさも声高に吐き散らし、
両目から涙をはらはらと流す。

杉・青景もしばらくは何とも返答しなかったが、ややあって、
「隆房の仰せは実にもっともだと思います。
しかし義隆も、まず隆房のご内意を聞こうとなさって、私どもを遣わしたのです。
それなのに、このように腹を立てるとはもってのほかです。
あまりに短慮にすぎて、さしもの隆房の仰せとも思えません。
よくよくお考えになってください。
一言が出てしまえば駟馬も追う能わず(一度口に出してしまえば取り返しがつかない)
と言うではありませんか。
五郎殿やそのほかの一族の方々ともよくご相談になり、
その上でご返事を申されますよう」と言って退出した。


以上、テキトー訳。続く。

なんつーか、陶も相良もどっちもどっちって感じだねw
前の章の隆豊さんだけが非常にカッコよく描かれてるのは、
やっぱり毛利家に従って生き残って子孫繁栄したからなのかな、などと。

いやしかし、陶五郎ちゃんと相良の娘の恋物語、ちょっと気になるんですけど!
親父同士が非常にナカワルで、当人同士は互いに憎からず想ってるって、
まるでロミオとジュリエット……(*´∇`*)
ロマンチックでエエですのう。
どうなるのかな、この縁談。

でもこの章には腑に落ちない点が一つある!
好色でどんな手を使ってでも気に入った女を囲うという義隆が、
絶世の美人と噂の相良の娘にどうして手をつけないのか!
でかい矛盾だと思うんだが、正矩的にはそうでもないのかな?

なんとなくソワソワモヤモヤしつつ、次回も続きを読みまうす。
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