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2013-03-21

さくっと連歌会

だいたいの流れ:
天文20年ころになると、大内家では、当主義隆が文芸に耽溺し、
権勢を掌握した相良武任と、陶・杉・内藤といった重臣らの反目が目立つようになった。
そんなときに連歌会のお話らしいです……
また隆豊さんのカミナリが……って、隆豊さんも遠ざけられたんだっけ。


安芸の国、厳島千句のこと

天文二十年の春のころから、京都の昌休・宗養、
そのほか名のある連歌師が山口へと下向しており、
同四月に帰洛使用としたところ、黄門義隆卿は、
「では厳島で千句興行を行おう」といって、皆でその島に立ち寄った。

この島の社人たちも皆連歌をかじっているとはいっても、
さすがにこのそうそうたる顔ぶれの中に入れる者はいなかった。
田(でん)の親尊(しかたか)という者が、
昌休・宗養などとも以前から付き合いがあったので、
その連歌衆に混ざった。この千句を三番まで書き記す。

天文二十年五月九日

   第一
浦遠く霞て奥津浪もなし(義隆)
塩干のいづこ春の雁金(親尊)
出る夜の月の友舟長閑にて(弥阿)

   第二
言の葉や千種に匂う春の花(寿慶)
絶ぬをかくる青柳の糸(昌休)
露ながら朝夕霞打ちはえて(能祐)

   第三
月や今朝春行水の渡舟(宗養)
藤咲山は江の緑なり(恕哲)
打なびき柳にかかる雨見えて(底閑)

   第四
外にやは帰る雲井の郭公(元理)
明やすき夜の月そいさよう(理文)
浦浪の行街杳に鐘鳴て(但阿)

   第五
近しちょう秋に取れし扇かな(昌休)
露置ならず花の床夏(底閑)
夕立の残れる雲に日は落ちて(親尊)

   第六
春といえば散る葉も風の柳哉(恕哲)
帰る燕の水遠き声(宗養)
川霧に家住麓暮初て(寿慶)

   第七
すめばすむ心や千里夜半の月(能祐)
砧(きぬた)の上の秋風の音(弥阿)
空に雁翅の霜や払うらん(元理)

   第八
夕より夜寒もしるし萩の声(底閑)
野は裏枯の露落る比(但阿)
男鹿ふす彼岡越の秋深て(昌休)

   第九
咲こすか春を憐の梅の花(親尊)
籬(まがき)の山の雪ノ下道(元理)
さえし夜の朝日かくれに鳥啼て(恕哲)

   第十
霜の上や雪もいつくし松の風(蒼(三条西公条))
目もあや杉の冬ふかき峯(寿慶)
滝の糸雲に一筋暮やらで(宗養)

   追加
五月雨は岩戸あけ初し雲間哉(但阿)
一声あえず行郭公(能悦)
春も今杉たつ陰の山見えて(能哲)


以上、テキトー訳。

ほぼ訳してないが。
歌は訳せないよねーw
みんなで歌を詠むって、優雅でいいだろうなぁ。
厳島だぜ。私も端っこで聞いてたい(*´∇`*)

連歌のやり方ってのがイマイチわかんないんだけど、
吉川の岩国藩でも連歌会は盛んに行われていたようで、
というのもだいたい香川家のせいwww ポエマー一族だよな。
岩国徴古館から『岩国藩連歌集』てのが発行されているので、
旅行に行ったときに買ってみました。
歌の良し悪しはわからないけど、むくつけき武士たちが
花だの月だのを歌に詠んでる場面を想像すると、かなり楽しめた。
楽しむ方向が違うよね、そうよね、ごめんね……

岩国では毎年正月に連歌会が開かれてて、
いつのころからか、第一の発句は必ず梅の花を詠んでるのはわかった。
私が旅行に行ったときは、ちょうど旧暦の正月くらいだったんだけど、
梅の花がきれいに咲いてて、そりゃいい匂いで(*´∇`*)

てなわけでそのときを思い出して私も一首。
「八重ひとえ むめの咲きたる 紅しろ黄 風の渡るを待ちて漫ろく」
お粗末!
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