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2013-03-23

武任「に、逃げるわけじゃないんだからねッ!」

だいたいの流れ:
大内家では義隆が文化行事に耽溺し、相良武任が権勢を握った。
冷泉隆豊が義隆に何度も諫言をしたものの聞き入れられず、
武任と陶隆房・杉・内藤らは不仲となっていく。
陶・杉・内藤は、武任を討ち果たそうと決意して、決起のときを待っていた。


相良遠江守、山口を落ちること

さて義隆卿は、陶・杉・内藤に不穏な計画があるとは夢にも知らず、
天文十九年九月七日から、犬追物・笠掛・丸物などの遊びを開催した。
そして同十三夜の名月を歌に詠もうと、香積寺で一晩中酒宴を催して歌を詠み、
詩を口ずさみ、思い思い、心任せに遊び戯れた。
義隆卿の詩はこれである。
「人和歌を詠み更に詩を賦す、一年両度月明の時、
今宵影は仲秋夕に勝れり、三四満ちること有り三五かく」

同十五日には今八幡・三ノ宮(仁壁神社)両社へ参籠する予定であった。
神慮を呼び起こすために管弦を催すべく、前もってその用意をしていた。
隆房は、「これこそ待ち望んでいた好機だ」と心に決め、忍びやかに軍勢を集めて、
「武任の館に攻め寄せて夜討ちをかけてやろう」と、その日を今か今かと待っていた。

たった二人で囁いたことさえ、いつの間にか天や地や人が知っているものが世の習いだというのに、
ましてや秘密裏にとはいえ軍勢を集めていたので、どうして隠し切ることができようか。
武任はこのことを漏れ聞くと、もってのほかに慌てふためいて急いで築山へと赴き、
義隆へとこう申し入れた。

「最近、陶・杉・内藤らが集まって、何らかの評定があったそうです。
何事だろうと思っていたら、この武任を討とうとしていると知らせてくれる者がありました。
なに、心配ございません。
あの者たちの手並みのほどはよく知っておりますので、矢一筋で敵の肝を潰し、
蜘蛛の子を散らすかのように追い払ってやろうと考えていました。
しかし実は、私を討とうとしているふりをして、義隆卿を討とうとしているらしいのです。
ご用心をなさってください」

義隆卿はこれを聞いて大いに驚き、両社へ参籠する予定を取りやめて、すぐに軍勢を集めた。
集まってきた兵としては、杉民部入道(興重)・同宇左衛門・青景越後守・
吉田若狭守(興種)・田子兵庫助・弘中三河守(隆兼)・狩野弾正忠・町野入道・
平井右京亮・豊田美濃守・右田左馬助・仁保右衛門太夫(隆慰)・三浦将監・
冷泉判官隆豊・佐波新介(隆連)・天野藤内(隆良)・岡辺右衛門(隆景)・
貫下総守(隆仲)・杉豊後守・江口五郎・阿川太郎(隆良)・黒川近江守(隆像)・
岡屋左衛門(隆秀)・清四郎・安富源内・杉森・小幡・羽仁などの五千余騎が、
同十五日の晩のうちから築山に駆けつけてきて、鎧兜をつけて弓矢を携え、四方を警護した。
山口の住民たちは「これは何事だろう。どうしてこんなに軍勢が集まってきたのか」と心配して、
家財道具を持ち運んだり子供を逆に背負ったりと、右往左往して慌てふためいた。

同十六日の夜半に、築山から陶の館へと討手が差し向けられると噂が立つと、
隆房は「以前から覚悟していたことだ。敵が攻めてきたら快く一戦してから自害しよう」と、
静まり返って待ちかけた。

杉・内藤たちは、「これまでの密事がどこから漏れたものか、
討ち取るつもりだった武任を討ち取れないまま、
逆に武任によって身を滅ぼされることになっては口惜しい。
まずは急難を避けて逃れ、命を永らえて、再びこの鬱憤を散じる機会を待とう」と考え、
「逆心など微塵もございません。ただの奸人の讒言です」と弁明して、
人質として自分の子供を差し出した。
義隆は「杉・内藤には嫌疑はない」と裁断した。

同十七日、義隆卿は陶安房守・杉民部入道・吉田若狭守を隆房の元へ使者として遣わした。
「相良武任に遺恨があるといって、相良を討とうとしているらしいが、
そのようなことは、たとえ相良にどんな罪があろうと、
一旦義隆に訴訟を起こしてから考えればいい。
そうせずに、頑なに相良を討ち果たそうとするとは不審きわまる。
これはおそらく、武任を討つ振りをして義隆を討とうという陰謀だろう。
もし申し開きすることがあれば速やかに弁明せよ」と伝えられた。

三人の使者が陶の館に赴いてこのことを告げると、隆房は
「武任を討つ計画とは何のことか、まったく思い当たりません。
ただ誰かが讒言をしたに過ぎません」と答えた。

義隆は再び、「では、最近富田から家人を召し集め、
兵具をととのえ、今にも打ち立つような様子だったのはどういうわけだ」と尋ねた。
隆房は、「家人を集めていたのは、氷上祭の大頭に当たっているので、
その担当を申し付けるためです。
兵具を用意しているというのは、まったく根拠のない虚妄です。
家人たちに鑓や弓を持たせているのを、讒言した者が大げさに語っただけでしょう」と諫言した。
義隆卿はその後は何も言ってこなかった。

さて相良近江守は天野藤内に向かってこう言った。
「陶尾張守は、この武任への私怨から国中を兵乱に陥れようとした。
これは義隆卿に対して不忠不義きわまりない。このうえは、私が他国に出奔する他ない。
そうすれば、義隆・隆房主従は和睦なさり、国も安泰だろう。
今私が魚鱗鶴翼の陣を固めて陶と戦えば、勝負がつかずに国中の兵を多く失ってしまう。
そうすれば、その機に乗って尼子晴久が備芸石の三ヶ国に出馬してきて、
味方の城郭を片っ端から攻略していくに違いない。
もしそうなったとして、陶が自分のために戦を続けていれば、
備芸石の味方を救いにも行けないだろう。

昔、畠山入道道誓が仁木右京太夫(義長)を討とうとして、
南方の官軍退治にかこつけて京都から天王寺へと馳せ下り、
諸将を集めて京都へと攻め入った隙に乗じて、和田・楠は城を出て、
紀伊・河内の敵城を攻め落とし、山名父子が美作の国を陥れたのと同じことだ。
私は主君に忠節を貫きこそすれ、自分の恨みを晴らしたいからといって、
敵に利をつける不義の戦をするつもりはない。

これは趙の廉頗が、蘭相如の権勢を妬んで辱めを与えようとしたときに、
蘭相如が車を引いて廉頗を避けたのと同じだ。
蘭相如は『強国の秦がこの趙に侵攻してこないのは、廉頗と私の二人がいるからだ。
今、廉頗と私の二頭の虎が戦ったら、潰しあいになってしまう。
私は国家の危機を避けるために、私怨は気にかけない』と言ったそうだ」

天野はこれを聞いて、「武任の仰せは実に忠志の至りです。
では、世が静まるまでしばらくの間は、どこなりとも隠居していらっしゃるといいでしょう。
陶の驕慢が甚だしければ先行きも長くありません。
百戦百勝は一忍にしかずと申します。
今はお気持ちを抑え、恥を忍んでひとまず他国に落ち延びなさり、
君臣合体が滞りなく行われるようになさるのがよろしいでしょう」と答えた。

武任はその日の夜半に龍福寺へと駆け込み、玉堂和尚に頼んで剃髪し、
墨染めの衣に身を包むと、その寺を忍び出た。
武任は石見の国の津和野三本松の城主、吉見大蔵大輔正頼を頼って忍んでいたが、
それでもまだ山口に近いからといって、筑前の国へと逃げ下った。


以上、テキトー訳。

自分が狙われてると知って、義隆に「あなたが狙われてます」と言っちゃう武任も武任だけど、
情勢不利と見るや人質出して尻尾振っちゃう杉・内藤も、
なんていうかみんな世渡り上手だな。
隆房なんてすごいよ! 義隆がぐうの音も出ないほどにすらっとぼけるんだもんね!
これまでのイメージではこういう腹芸?できそうにないイメージだったから、
ちょっと今回驚いたw いい意味で。

さてさて、義孝の号令で陶・杉・内藤を逆臣として滅ぼそうと考えていたであろう
武任の思惑はすっかり外されてしまって、自分が逃げることになった武任。
故事までならべてご大層な言い訳をしたわけだけれども、
スピーディーに出家・出奔してるってことは、ただ逃げただけと取るべきなのかな?
解釈のしかたがよくわからない……

さて次章は、武任が逃げた後の山口の様子……といっても、
たまに出てくる物の怪とかそういう類の話のようです。
けっこう好きだから楽しみ(`ω´*)
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