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2013-03-31

(頭が)ゆるふわ系☆義隆

今日は広尾の祥雲寺へ、黒田長政公のお墓を拝みにいってきました。
「行きた~い」と言いつつ、近いからいつでも行けると考えてた結果がコレですよ!
思い立ってから1年くらい延び延びになってたもんねwww だめすぎる_ノ乙(.ン、)_

さて陰徳記! だいたいの流れ:
陶隆房が主君大内義隆への謀反を決心すると、大内家中では杉・内藤といった重臣をはじめ、
義隆の近年の治世に不満を持つ者が大勢呼応し、
豊後の大友宗麟・安芸の毛利元就らも陶の呼びかけに応じた。
冷泉隆豊らが義隆に諫言するも、義隆は「陶と和睦をしたい」とのんびり構えている。

今回はちょっと長いので、2回に分けまする(・`ω´・)


義隆卿、山口没落のこと(上)

陶尾張守は、大友・毛利両家だけでなく、
備芸の国人やそのほか大内家の諸侍が皆一味同心してきたので、
「もう時節を待っているときではない。山口へ攻め入って義隆卿を討とう」と、
軍兵を集めて、天文二十年八月二十八日に山口に攻め込むと決めた。

杉伯耆守・同民部入道・同次郎左衛門・同治部大輔・
内藤下野守興盛・同弾正忠隆世は山口にいたが、
「陶が攻めてくると聞けば、冷泉・天野などが右田の嶽あたりまで駆けつけて防ぎ戦うだろう。
そうしたら杉・内藤はそれと入れ替わりに築山に攻め寄せ、
あっという間に攻め破ってしまおう」と、合図を定め、
そ知らぬ顔で髭を掻き撫でてそのときを待っていた。

こうして陶が近々山口に発向してくると聞くと、僧も俗人も町民も土人も、
「いったいどういうことだ。
この山口は琳聖太子以来一千年の間、敵が攻め入ってきた例がない。
こんなに急に災いが降ってくるとは、あまりにひどい」と、
家財道具を運び出したり、あるいは子の手を引き男は妻を背に負って、
人影の少ない深い山へと逃げようと、足に任せて分け入っていった。
強盗や山賊たちは、こうした情勢に助けられて、追いはぎをしたり持ち主を殺したりして家財を奪い取る。
山口の騒動は前代未聞の大きさになった。

同二十六日、将軍義藤(輝)公から使者が来た。
また豊後の大友左衛門入道宗麟からも使者が送られてきたので、
築山では海の幸や山の幸を集め、金銀珠玉を尽くして饗膳でもてなし、終日酒宴をしていた。
また小太夫という幸若舞の達人がいたので、志田烏帽子折などを舞わせると、
人々は皆舞を見聞きすることに熱中して、合戦のことは忘れ果て、口の端にも上さなかった。

同二十七日に、冷泉判官・天野・佐波・黒川などが義隆卿の御前に出て、大いに諫言をした。
「陶はすでに明日には山口に攻め入ってくるといって、あちこちの味方と話し合い、
合図の日を待っていると聞き及んでおります。
山口にいる面々にも、陶に内通して野心を抱いている者たちも多いそうです。
どうしてこのように何の緊張感もなく準備を怠っているのですか。
杉・内藤たちをお呼びになり、合戦の評定を行わなければなりません。
もしあの二人の者たちに野心があって呼び出しに応じなければ、
まずは彼らを討ち果たしてから、陶に向かっていって勝負を決しましょう」と言う。

義隆卿は、演若達多が「自分の頭がどこにもない」と大騒ぎした話のように慌てふためいて、
「陶がこれほどの悪逆を行うとは思いも寄らなかったのに、いったいどうしたらいいのか。
では軍兵を集めて築山を警固してくれ」と言った。
冷泉たちは「かしこまりました」と言って山口中から人を集めると、
兜をつけた兵達が六千余騎集まった。

しかし杉・内藤さえもが陶に味方しているとの風聞があったので、
ましてやもっと小身の者たちにどんな企みがあってもおかしくないと、
互いに心を隔てあい、ものの役に立たない様子だった。
杉・内藤のことも、何度も使いをやって呼び出そうとしたが、
「かしこまりました」とは返答しながら、自邸の用心だけをしている。

冷泉などの近習の者たちは、杉・内藤が弱きを捨てて強きになびいたことが憎らしく、
「まずはこの二人を討ってから、背後の心配のない状態で陶と一合戦しましょう」と進言した。
しかし義隆卿は、「杉・内藤にはまさか逆意はないだろう。
彼らを頼りにして無事にこの事態を切り抜けるようにしなさい。
たとえ杉・内藤を討てたとしても、味方の勢の半分以上もまた討たれるだろうから、
陶とまともな一戦ができるとは思えない。
大事な合戦を前にしながら、杉・内藤と合戦を始めようとは、まったく理解できない。
これは昔の平治の乱で、悪源太義平が源三位頼政と合戦しながら、山内を討たせたのと同じだ。
ただ何度でも説得して調略が切れないようにしていればいいのだ」と言った。

冷泉たちは義隆卿の言葉を聞いて、「謀は勇士にお任せくださればいいのに、
そうなさらないばかりか、ただ思いついたことをうかうかと仰せになるとはまったくひどい」
と頭を掻いたが、どうにもできなかった。


以上、テキトー訳。続きんぐ。

義隆が……ッ!
義隆が絵に描いたようなダメ君主すぎてつらい……を通り越してなんか可愛い、だと!?
この話の筋だと、たぶん本気で義隆は隆房と仲直りできると思ってたのかもしれない。
かなり純情な人なのかもしれない。だが……
隆豊目線で見てると、すっごくイライラするお!(^ω^#)
だがそんな手のかかる義隆さまがすk……いや、やっぱイライラするな。

隆豊の言い分にもどれだけの正当性があるのかというと、
見方によっては、すべてを自分の意のままにコントロールしたい系っぽく見えないこともない。
けっこう見方一つで解釈なんて180度変わるよね。
必ずこの解釈でなくてはいけない!てなものもないんだろうが、
やっぱ冷泉家は毛利に仕えて家が続いてるって強みがあるからな。
うがった見方をしてみたくなるんだよね。

見方で変わるといえば広家の関ヶ原のときの行動だとか、
あと最近知ったのは、毛利が秀吉に属したときに人質送ったときのことなんかだな。
世の中にはいろんな解釈のしかたがあるもので。

思考が亡羊とさまよいだしそうなのでこの辺で。
次回は続きです。
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