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2013-04-01

混沌の大内家

エイプリルフールらしいですが、いつものように進めるお!
しゃれた嘘をつくセンスが皆無なんだお(^ω^三^ω^)

前回のあらすじ:
陶隆房をはじめ、大内義孝の治世に不満を抱いていた大内家臣、
また豊後の大友宗麟・安芸の毛利元就らが決起し、義隆を討ち取ろうとした。
義隆は陶との和睦を望んでいたものの、もう情勢が覆せないと知るや、
もってのほかに周章狼狽する。
冷泉隆豊がこれまで諫言してきたことも、すべて無駄になってしまった。


義隆卿、山口没落のこと(下)

黒川・岡辺などはこんなことを言った。
「味方はわずかな勢なのだから、戦いに利を得ることは十のうち一つもあるまい。
それというのも右田の坂へ打って出て防ごうとすれば、
杉・内藤が後ろから旗を揚げて襲い掛かってくる。
また築山に立て籠もって戦った場合、取り囲んできた敵が町屋に火をかけて焼きたててくれば、
煙にむせ、火に追い立てられて、防ぎようがない。
どうにかして滝の法泉寺へと義隆卿をお連れして、敵を一方面に引き受けて合戦をしよう」

佐波新介は、「とても勝ち目のない合戦なのだから、
義隆卿が一歩でも退いてしまったら、末代までの恥になります。
ただ築山に立て籠もって、矢種が続く限り、太刀が折れるまで防ぎ戦って、
弓が折れ矢が尽きたならば、義隆卿は自害なさってください。
そのときに皆でお供します。

譜代重恩の者たちはことごとく主君に背き、逆臣に与するようになってしまったのですから、
どんなに険難の地に立て籠もったとしても、もう意味などないではありませんか。
平家が都落ちして西海で溺死したことを、惨めな行いだとは思われないのですか。
家人によって屋敷を追い出され、見たこともない野山に踏み迷い、
卑しい農夫・きこりの手にかかり、死骸を獣たちに食い荒らされるのでは死んでも死にきれない。
武将たる人物は最期こそが大事なのです。
たとえ逃げることができたとしても、死ぬべきときを逃しては、勇士良将の恥となります。
一筋に思い切られ、この屋形でご自害すると決めてください」と、心の内をぶちまけた。

冷泉判官・天野藤内も、「佐波の言うことがもっともだと思います。
どうか一筋に、この屋形で有無興亡をかけた一戦をなさるとお決めください」と賛同した。
すると義隆卿も、「どちらの意見にも考えさせられる」と言って帳の中へ入っていった。

安富源内・清四郎などは、自分の命惜しさに、
「いや、まずは滝の法泉寺へお逃げください。寡兵で大軍を迎え撃つには、
険難な隘路でなくてはかないません。
法泉寺にご本陣を据えられれば、皆で観音寺の求聞持堂に詰めて守りを固めます。
こうすれば敵は破ることができないでしょう。

吉見正頼は智勇全備のうえ、勇気も勝っており、大勢の敵でも虫けらのように考えている人ですから、
加勢に駆けつけてくれるでしょう。
先日も、陶が山口に攻め込んできたら後詰するようにと、
正頼に重ねて仰せになっていますので、正頼もきっと依存はありますまい。
吉見が山口へ加勢のために発向したと噂が立てば、陶はたまらずに退却するか、
そうでなくてもなんとか和睦に持ち込もうとするでしょう。
どうか法泉寺へお退きください」と進言した。義隆卿もこの意見に賛同した。

やがて義隆卿は御台所を呼び寄せて、
「私の武運が尽き、逆臣の陶によって攻められるので、この地を離れることになった。
あなたも一緒に連れて行くべきだけれども、十のうち七、八は戦に利はないだろう。
そのときはひとまず九州へと落ち延びるか、そうでなければ石見の国へ引き退いて、
吉見大蔵大輔正頼を頼り、豊前・筑前の兵を集めて、この鬱憤を晴らそうと思う。
その道中にあなたを連れて行くのは、落人の身となっては難しい。
あなたは女の身なのだから、咎めを受けることはあるまい。
どこへなりとも落ち延びて、世が静まるまで待っていてくれ。
私が戦利を失って道端の露と消え果てたなら、経や念仏を唱えて、私の後世を弔ってほしい」と、
心細げに掻き口説いた。

御台所はそれを聞くや否や義隆卿の鎧の袖に取りすがった。
「どうしてそんなに恨めしいことを仰るのですか。
これほどに世が乱れている今、足の限りに逃げ出して、
歩き慣れない道芝の露を踏み分け迷う私の姿を見れば、誰もが落人だと気付いてしまいます。
盗人や悪い心持の者たちに、肌を隠す衣さえも剥ぎ取られ、
生きながら恥をさらすことになってはたまりません。
たとえ道中は隠れきることができても、末山の奥に身を隠して甲斐なき命を永らえていれば、
邪険放逸の隆房が必ず探し出そうとするでしょう。
そうなったときには、『あれが義隆の妻だ』『新介(義尊)の母だ』などと言われて
人々に後ろ指を指され、浮名を流すことになってしまいます。
それはあまりにみっともないでしょう。

一本の木の下にともに宿ったり、同じ川の流れを汲むことも他生の縁が浅くないからだと言います。
長い年月をともに過ごし、腹の内まで互いに知っている私たちの縁の深さは言うに及びません。
どうして片時でも離れて暮らしましょうか。
たまに遊びでお出かけになるときでさえ、一夜あなたが帰らないときには、
そのたった一夜で千年も過ぎてしまったような気持ちになるのです。
いつだってあなたの面影が頭の中にあって、少しの間だって忘れたことはありません。

それなのに、いつまた会えるかもわからないのなら、
どうせ白雪のように消えてしまう命なのですから、同じところで死にたいのです。
そして偕老同穴の契りを、来世まで絶やさずに結びましょう。

それに、あの新介も連れて行きましょう。
私たち二人で話さずに懐に抱き、膝に乗せ、寒さが身にしみる夜には自分の衣を脱いで着せ、
吹きすさぶ風から守ってやりましょう。
濃く影を落とす夏の日には扇で涼しい風を送ってやり、いとおしみ可愛がって育てましょう。
そうやって先年の春を経るという松の枝のように行く先長く栄えてほしいと思っていたのに、
どこにも行く当てのない旅の空に放り出され、敵の手に捕らえられてしまうかもしれないとは。
後に残された私はどうでもいいと思ってそんなことを仰るのですか。
私は、身こそ女に生まれましたが、心は猛々しい武士にも劣らないはずです。
どうか一緒にお連れください」

御台所が涙ながらに掻き口説くと、さすがに義隆も妻を想う気持ちにほだされて、
どうしようもなく立ちすくんでいた。
そこに安富源内がやってきて、「敵はもう右田の嶽を越えたとの知らせがありました。
何をなさっているのですか。早く出発なさってください」と言う。
義隆は、妻がすがっている袖を引ききると、北の門から馬に乗って、法泉寺へと落ち延びていった。

冷泉などのつわものたちは、築山で戦死しようと決意し、
鎧の上帯をしめ兜の緒を固く結んで待っていたが、
「義隆卿は法泉寺に落ちてゆかれました」と知らせてくる者があったので、
「これはどういうことだ」と慌てふためき、取るものもとりあえず、法泉寺へと駆けつけた。
これを見て、六千ほどいた兵たちの半分は逃げ散って、
たった三千余騎が法泉寺に追いつき、観音寺・求聞持堂、そのほか山上に陣取る。

昔、平家の惟盛が富士川で右大将頼朝と一夜対陣した際に、水鳥の羽音に驚いて逃げ上ったそだが、
これは世にもまれなみっともない振る舞いだと、今の世でもあざ笑われている。
それは、敵と川を隔てて対陣していれば、そういうこともあるだろう。
しかし今回は、まだ敵が居城を出たとの情報も確かめないうちに、
こんなにも乱れて逃げ出しているのだ。こんなことは聞いたことも見たこともない。
義隆卿の臆病は、後にも先にも似たような例さえありえないだろうと、蔑まない者はいなかった。

父の義興は非常に名高い名将だったのに、当代の義隆の振る舞いは、あまりに見かねるものであった。
堯・舜は聖人であったが子供の丹朱を同じように教育することはできず、
禹・湯には徳があったが子孫の桀・紂に受け継がれることはなかった、
という故事も、このようなことを言うのだろう。


以上、テキトー訳。

よったかさまェ……なんだろう、このダメさかげん。
下巻で目にした大友義統と双璧をなすくらいのだめんずっぷりじゃないのかしら。
女房との別れもきちんとできないとは。
といっても、こんな状況できちんと女房と別れられる男なんて、
そうそういないと思うけど。

いや、ようやくウィキってみたけれど、この「御台所」っていうのは、
山口に身を寄せていた公家の娘だったらしいね。
この時代の公家さんも災難だなぁ……
武家の女ならそれなりに覚悟があるのかも知れんが。
いや、公家・武家で覚悟を量るのは間違いかもね。

妻との問題を別にすれば、今回の突っ込みどころは、
「逃げるなら逃げるで、きちんと周囲に相談なり通知なりすること!」
ってのに尽きるな。
冷泉さんたちも振り回されすぎで哀れになってきた(´;ω;`)

さて次章、法泉寺での話になりそうだね。
だんだん最後のときが近づいてくるのです(´;ω;`)
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