--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013-04-09

毛利家中のいざこざ?

前回までのあらすじ:
陶と大内の敵対が表面化すると、大内の傘下の国人たちは、どちらに属すかを迫られた。
毛利家は陶に一味すると決め、ご近所の平賀隆宗も同様だった。
しかし隆宗には義隆に押し付け……もとい、斡旋してもらった養子の隆保がおり、
この隆保は義隆の恩に報じるため、大内方となって養父らと敵対を決める。
隆保は西条槌山の菅田(大内方)らに合流し、籠城した。
すぐに元就から、隆元・元春を大将として、四千余騎が差し向けられた。
隆元は抜け駆け禁止の軍法を定めるも、元春配下の新庄勢が抜け駆けし、混戦となる。


安芸の国西条槌山城没落のこと(下)

寄せ手の粟屋・二宮なども数ヶ所傷を負い、城中でも菅田が討ち死にしたので、
互いに進むことができずに、引き分けとなった。
このとき、二宮杢助と山県杢助とは、鑓の一、二番を争った。
こうして粟屋・二宮らは抜群の働きをして数ヶ所の手傷を負ったが、
隆元様・元春様はいつもなら士卒の功を賞して、傷を負った者を涙ながらに撫でてくれるというのに、
今回は固く定めた軍法を破っているので、使者さえも送ってくれなかった。

その夜元春様は、隆元様へと、宮庄次郎三郎元正を遣わした。
「今回、手の者どもが軍法を破り、一戦を遂げました。
これによって味方には九十六人も手負いが出て、
そのうちの綿貫兵庫助と申す者が討ち死にしました。
このくだらない合戦を仕掛け、味方に多数の負傷者を出したのは、
粟屋・二宮の責任が大きいので、即刻首を刎ねなければなりません。

しかし、一歩引いて愚案をめぐらしてみると、
今回は陶と一味してから、初めての合戦ということになります。
その証として一戦してもよかったのではないでしょうか。
そのうえ、元就公のご出馬がなく、隆元公と元春の二人が出てきています。
若い隆元公に私のような者がお供して、大将を名乗って打って出ていますので、
一戦しないのもいかがかと思います。
ですから今回は、どうかお許し願えないでしょうか」と再三申し入れた。

しかし隆元様は、「そのように聞くと、確かにそのとおりだと心を緩めたくもなる。
だが固く制定した軍法に背いたのだから、これからの諸卒への見せしめのためにも、
許すことはできない」と返答した。
これもまた道理なので、元春様もどうにもできず、その後は何も言わなかった。

隆元様・元春様は、武永四郎兵衛尉を遣わして、元就様に戦の様子を報告させた。
元就様はすぐに武永に対面して、「くわしく様子を聞かせてくれ」と言った。
武永は、粟屋・二宮の鑓働きの様子や、そのほかの諸卒の働きを細々と語る。
元就様はすっかり上機嫌になって、「お前たちはその戦場には行かなかったのか」と尋ねると、
武永は「私も及ばずながらそこに駆けつけ、鑓の者の脇で弓を使って補佐していましたが、
軍法を破る行為でしたので、隆元様・元春様のご機嫌を損ねてしまいました」と答えた。

元就様は愉快そうに笑って、「軍法を破ったことは不義の至りだが、
今回は陶に一味してから初めての出陣だ。
陶との同盟の証拠として、一合戦しなければならないところだ。
その若者たちは、よくそこに気がついて一戦してくれた。
粟屋の怪我は深いのか。二宮はどうだ」などと詳しく尋ね聞き、
武永にも盃を与えて褒美を取らせた。

元春様への返事にも、「今回は陶に一味した証拠に、それらしい合戦をしなければならかなった。
そこに御手の衆が比類なき働きをしてくれたのは、
今に始まったことではないとはいえ、神妙の至りである。
戦功の軽重をただし、勧賞を行ってやりなさい」とあった。
これで、昨日合戦をしでかした者たちも胸を撫で下ろしたということだ。

坂新五左衛門と粟屋弥七郎は、具足祝の座敷で座配のことについて口論に及んでからというもの、
戦場では度々先を争うようになっていた。
あるとき、坂がたった一人でとある城の搦手へ回り、
敵と遭ったら一騎打ちするしかないような細道をすらすらと上って、
言葉戦から鑓戦にもつれ込もうとしたことがあった。
そのとき粟屋弥七郎は「なんてことだ。坂に出し抜かれた」と思ってすぐに追いかけて行き、
坂の鑓の石突を捉えて六・七間ほど引き摺り下ろし、自分はさっさと上っていく。
そこに坂がまた粟屋の鑓の石突をつかんで引き摺り下ろし、刺し違えようとしたのだが、
そばにいた者たちがしがみついて仲裁したので、どうにか事なきを得た。

それからというもの、いよいよ互いに憤りが収まらずに、負けじ劣らじと争っていたが、
今回粟屋が鑓を合わせて、坂にはそれができなかったのには理由があった。
坂は隆元様の近習頭だったので、旗本を離れることができず、
また抜け駆け禁止の制法が固く出されていたので、
その軍法を諸士に対して触れ回る身として、坂がその掟を破ることはできなかった。
粟屋は元就様の近習頭だったので、隆元様の本陣から少し離れたところにいたこともあって、
槌山の切岸まで忍んで近づくことができた。

さて、坂新五左衛門は大樽を家臣たちに担がせると粟屋の陣所へと向かい、
療養のため寝込んでいるところへと案内も通さずに乗り込んでいった。
「これまでは戦場において先を争ってまいりましたが、私は今回、
ご下知を守っていたのであなたに負けてしまいました。
これまでも、若い粟屋殿に対して、私の方が年長なのに争っていたのは情けなかったと思います。
今後はこれまでの遺恨を捨て、刎頚の交わりをしたく思います」と言って、
坂は自分の陣にも帰らず、粟屋の看病をした。
坂はこれまで何度も武名を上げてきたつわものなのだから、
たとえ今回は粟屋に遅れたといっても、その武名が傷つくことなどありえない。
坂の振る舞いに、「自分もこのように立派にありたいものだ」と感心しない者はいなかった。

その後、仕寄をつけて井楼を組み上げ、間断なく攻めていると、
城中はたまりかねて、平賀新四郎隆保・大林和泉守が切腹することで
諸卒の命に替わりたいと申し入れてきたので、それを許可した。

平賀はいよいよ自害するときになって、介錯の者に向かって、
「私が打てと言うまでは打つな。
もし私の合図よりも前に打ったならば、悪霊になって憑り殺してやるぞ。
そのときになって私を恨むでない」と言った。

新四郎が客殿に出て座ると、大林も続いて出てきた。
隆保は刀を抜いて西に向かい、八識田中に阿字の一刀を下し、
「生死又截、涅槃又截」と唱えて腹を十文字に掻き切った。
そのまま臓物をつかんで手繰り出し、何度も切り刻んで捨てたけれども、まったく弱る様子がない。
新四郎は菅田たちに向かって、「腹を掻き破ったらもう死ぬしかない。
どうすれば私は死なないでいられるだろう。硯と料紙をくれ。最後に歌を詠もう」と言った。
すぐに硯と料紙が整えられた。

新四郎は硯を引き寄せ筆を浸して、歌を一首詠んだそうだ。
筆の勢いや墨の乗り方は、平常のときとまったく変わらなかったという。
「昔の物語でならこのようなことを聞いたことがあるが、
今目の前でこのような勇士を目にするとは」と、人々は皆舌を巻いた。
その後、新四郎は「さあ、首を打て」と言ったので、介錯の者はたちまち首を打ち落とした。

大林はこれを見て、「平賀殿の御自害はなんと立派だったことか。
私は年老いて腕も弱っているから、なかなか潔くはできないだろう」と言った。
そして腹を一文字に切り、「さあさあ」と言ったので、そこで首が打ち落とされた。
大内家の者たちは尾和をはじめとして、皆送り返された。
これを聞くと、天野民部は志和の城から下ってきて、元就様の手に属した。


以上、テキトー訳。

今回は気になることがいっぱいだったな。
粟屋・二宮が怪我したって何度書けば気が済むの? アピールしすぎwww 
まあ、この二宮の覚書が「陰徳記」の母体の一つになってるから仕方ないけどw
しかし、隆元・元春は負傷者に対して涙を流して撫でてくれるんです!?!?
うおおおお聞き捨てならねえ! ちょっと私も毛利家か吉川家に仕官してくるわ!

あと、元春から隆元にお使いに出された宮庄元正!
もともとの宮庄家当主は興経に肩入れして粛清されてるんだけど、
その跡に入れられた、福原さんちの人ですね! 元亀四年に亡くなっているらしい。
その宮庄家に次に入れられたのが、我らが広家(当時経言)ってことで。
ちなみに経言が「宮庄は分限少ないから小笠原に婿養子に入るわw」ってなった後は、
熊谷さんちの春真さんが宮庄家を継ぎました。翻弄されまくり><

そんでもって、隆元に部下たちの不始末を赦免してほしいと懇願する元春おいちい。
強硬に許さない隆元も新鮮で楽しい。
そしてメタ次元から介入する元就まじ元就><
このやり方は、現場の大将の決定権が甘く見られることになるので、
あんまりよろしくないんじゃないかと思う。
隆元かわいそうじゃねえか。おかげで二宮たちは助かったわけだけどさ。

まだあるよ! 坂と粟屋の意地の張り合い逸話が可愛いよね!
これを収めた坂のスマートなことといったら。くそう、いい男だな。
張り合ってたライバルにつきっきりで看病なんかされたら、クラクラきちゃうじゃない//><//
そのまま愛が芽生えてしまえ!

たぶん最後。隆保の切腹が壮絶すぎて私は。
自分で自分のモツを切り刻むだと!? お料理教室じゃねえよ!?
そのうえ普段と変わらない筆跡で歌を詠むだと!?!?
臓物を天井に投げつけた隆豊さんもどうかと思ったけど、
これはもう人間じゃないよ!?
戦国時代の人々はおっそろしいなぁ(棒)

というわけで次章、また山口のお話になるようです。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。