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2013-04-13

時には昔の話をしようよ

久々に手紙や書置きを眺めながらウンウン呻っているよ!
なんだろう、あの当事者にしか伝わらない感は。もどかしい!

さて陰徳記、山口に討ち入った陶が大内義隆を滅ぼし、
虚説を講じて陶に反逆を起こさせた杉もまた成敗されたところだけど、
今回は、山口という土地の昔のお話。
美文すぎてぜんっぜんわからねえぜ!

なので2回に分けます(´・ω・`)


山口興廃のこと(上)

山口というのは、そもそも琳聖太子以来二十四代、一千余年に及んで、
歴代の太守は、武備を整えて帷幄のなかで謀略を怠らなかった。
千里離れた場所でも勝つことができたし、攻めていけば堅城などなく、
戦う相手をものともしない。
敵国はこの武威を恐れ、盗賊たちも恐れて近付かなかったので、商人や旅人が多く訪れていた。

また内政では文徳を修めて領民を撫育し、税や賦役を軽くして、
民の衣食が充実するようにしたので、士農工商に至るまで富み栄え、
すべての人々の生活が満ち足り、しっかりと多くの蓄えもできるようになった。
だから三万間もの広さに民家がひしめき、寺社仏閣も三百以上建ち並んだ。

そのなかでも太守が代々居住している築山というのは、
驪山宮を髣髴とさせ阿房殿にも勝るかというほどで、
赤い門や輝くばかりの楼閣が百件も軒を連ね、甍を並べて、
まるで宝石をちりばめたかのようだった。

花見のための岡の館は、水殿雲楼ごとに春を楽しめるようになっており、
月を眺めるための鈎殿は、早くから秋を満喫できるようになっている。
中でも防長石の三国の太守となった左京太夫弘世以来、代々の太守は栄華を極めていた。
花の都を山口に移して、西の都として栄えさせることが生きている間の使命、
また死後の名声を高めることになると考えたので、
氷上の大坊を天台山になぞらえ、諸仏諸神を勧請して、
「私の土地に冥加を注いでください」と、丹精をこめて祈念した。

本尊は妙見大菩薩であり、本宮を東に向けて建て、下宮は南に向けた。
本堂には釈迦・文殊・普賢、四大天王の像を安置し、神殿や仏舎を広々と豪華に創建した。
東西の二塔、鐘楼、輪蔵、経蔵、長日の護摩堂、法経堂、八幡の社壇は赤い玉垣は月に映え、
やわらかな月明かりがはっきりと闇を照らした。
三十番神の宝殿は花の白木綿がまぶしかった。
山王七社の宝前は灯火が明るく、キネカ鼓が元気に打ち鳴らされる。

百以上ある僧房は、門を並べ甍を重ねてそれぞれ檀家を抱え、競い合って繁盛していた。
三千の衆僧たちは天台の教法を学び、議論を活発にした。
また真言秘訣を修して、天下泰平・国土豊穣を祈願した。
神主たちは袂を束ねて神に供え物を捧げ、四季の祭礼の中でもとりわけ春の大祭は、
歩射・舞童などを行って、管弦の音が絶える日はなかった。

山は天にそびえ、川は滔々と流れ、木々は緑に茂り、
その奥の森林は静かに泰然として一点の俗塵もなく、清浄結界の霊地だった。

文明十八年の春のころ(八月十六日)、新たな瑞夢によって当山の額は、
かたじけなくも宸筆を染められ、勅願所の宣旨が下された。
また国清寺・香積寺・法泉寺・妙華寺は、近くは日域洛陽の五岳を移し、
遠くは月氏海上の巨叢を慕いつつ、宗門の特徴も打ち出して、
全国から三千もの修行僧たちが集まり、八万細行を修め、
鷲嶺の灯火を分かちて熊耳の雲に立て、四七二三の跡をつぎ、
南頓北漸の会を催し、棒を行い、喝を下し、宗門の者たちを激励した。

あるいは人気のない山の上に草庵を編み、または川辺の昔からの渡し場で往来する人々に説法した。
禅の智が大いなるものだからか、座禅をする合間には、
軒端の月の影とともに読経の声が朗々と響いた。
窓のそばの雪に照る光で勉学に励む者もいた。
智恵の花が盛んに開き、宗門の枝葉も茂るようになると、
一度参詣した者は悪を断って善の道に進もうと改心し、仏法に帰依して手を合わせたそうだ。

闢雲寺の後ろにある滝の音はまるで五時の説法の声のようで、滝の水を汲む人は心が洗われ、
金花山頭の松の風はいくつもの琴を爪弾いた調べのようで、聴く者の汚れた耳をすすいだ。
また乗福寺というのは、その昔、清拙和尚が来朝してからしばらくの間はあったものの、
このときの開山である鏡空主座が出世したときに、帰雲瑞気が門庭に霞み、
あっという間に異世界から優曇華の花の香りが漂ったという。
「昨夜周防千嶂の雪、独り見る乗福一峯青きことを」と称されたのも、この寺のことだそうだ。

宮野の妙喜寺は洛西の西芳寺を模して作られた。
島に見立てた池山が寄せ来る波に浮かぶ姿は、まるで君山春水のようで、
「大湖三万六千」と称えられた唐土のことまでもが、目の前に再現されているかのようだった。
流れに遊ぶ鴛鴦は、波に浮く靴のよう。
岸辺に咲く山吹が春の終わりを惜しむように色香を増す。
夏には涼しげな木々の葉に宿った白露が風もないのに零れ落ち、
それが水面にはねて、魚が遊んでいるかのようで、
水影も暗い芦原に潜んでいる虫たちは、月の出ない宵を知っているかのようだった。

塵さえもない庭の表には、植木の葉が生い茂り、
もみじを散らそうと吹き降ろす山風は疎まれた。
まるで絵に描かれたかのような冬山や、その後ろの雪の松、
香りのない花は色深く、月影のないさまも絶妙で、人々や墨客の目を喜ばせ、
思わず詩を口ずさまない者はなかった。

清水の春の晩、夕暮れの鐘の音とともに散る花は空に舞い上がって雪のように降り注ぎ、
木々の間を吹き抜けていく風も寒くはない。
祇園祭の山車、綾羅錦繍の装いは、夏山の緑に引き立ち、茜さす陽光が全てを紅に染めていく。
恵み深き神風は、伊勢の内外の瑞垣の長久を祈るためにあちらこちらへと移っていく。
願えばここもかく楽の、初瀬の寺の奥深く、朝な夕なに秋霧の、
古川野辺のその景色、杉の木の間によく似合う。
八幡の御山、多賀の神祠、そのほか洛中洛外にありとあらゆる寺社仏閣が、
一宇も残らず山口に移された。


以上、テキトー訳。つづーく!

いやー……形容やたとえが多い文章がこんなにつらいとは。
何も考えずに読む分には、きれいな表現が並ぶし、リズムは快調だし、言うことないんだが。
私程度のレベルで訳そうと思うと、なかなかね。
でも「継続は力なり」で、読み始めのころよりはまだましになってる、はず。

山口っていいところだったんだね。まるでこの世の極楽?
いやたぶん、今もいいところなんだろうが。
というか、日本各地ってわりといいところばっかりだよね。
私の故郷も、今住んでる町も、いいところだぜ!
岩国も通津もいいところだったぜ!!!

そういえば何となく読んでた書状集に、広家の歌が載ってて、
故郷の新庄を偲ぶ歌だったんだけど、
「梅よさくらよ 庭の遣り水」って下の句に泣きそうになったよ!
何度も見た、そしてこれからは見ることのない、
生まれ育った場所の風景が、広家の頭にはまざまざと蘇ってたんだろうなぁ。

てなわけで次回も続きだす。ちゃんと読めるかな……?
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