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2013-04-14

山口の賛歌、そしてろくでなし

なぜだろう。前回から引き続きシャンソンめいたタイトルに……

実は私さっき会社メール開いてみたら月曜提出の課題が出されてることに気づいたんですけど
あーたコレ金曜の終業後に送ってくれてんじゃないのさ。
土日もたゆまず会社メールチェックしろってかバーヤバーヤ_ノ乙(.ン、)_

それはさて置き陰徳記。前回のあらすじ:
大内義隆は家臣の陶隆房に滅ぼされちゃったけど
それはそれとして山口ってとこは琳聖太子以来すっごく栄えてて太守もいい人ばっかりで
とにかくこの世の楽園みたいなところだったよ!
というお話の続き。


山口興廃のこと(下)

「田舎は人の心も偏屈で、言葉もなまっていて聞き分けづらい。
都の人に交われば、曲がった心もまっすぐに、なまった言葉も聞きやすくなるだろう。
花に遊ぶ鶯の舌は、花がなければよい鳴き声にならない」といって、
町一町につき京童を六人ずつ呼び寄せて住まわせた。
さまざまな芸事の達人や、いろいろな職の名人、彫物・織物・建築に至るまで、
都の名家の庶流の者たちを呼び寄せた。

また道々にも、「石が敷かれていなければ車がぬかるんで通りづらい」と、
山口の五里四方まで、深さ五尺ほどの小石を敷き詰めた。
道端の並木の柳、園に匂う千本の桜、花の錦の色深く、
織物は暮れの雨を織り込んだかのようで、裁ちものは春風に吹かれたように美しく整う。
山口の春の日は花見の車が道を軽快に走り、
朝倉の秋の夜は西に傾く月が岩群の中の路をはっきりと照らす。

川の流れ、山の峰々、何を見ても絶妙で、
大海を硯にして須弥山を筆としてこの風景を写したとしても、
たった一本の毛を大渓谷に落とすがごとく、たった一滴の水を大山に垂らすがごとくで、
実にその美しさは再現できないものだった。
「絵に描けず讃に及ばず」というのは、こういうことを言うのだろう。

昔、大内弘世が都にいたとき、鞍馬、八瀬、大原の物売りたちがが
薪に花を折り添えて出てくるのを見て、
「思えば山中はすっかり春の色に染まっている。一面の若葉、そして半分は花の色。
道のわきの桜を折り添え、薪や重き春の山人」という古い詩歌を口ずさんでいた。
そこに十二、三歳ほどの童たちが走り出てきて、
「その花を一枝おくれ」と言って、手に手に貰い受けると、それはうれしそうに遊びだした。
弘世はこれを見て、「姿や言葉だけでなく、心もさすがに花の都の人だ」と感心した。

弘世はやがて国に戻ってくると、
「山々に住んでいるきこりたちは、薪に花を折り添えて持ってくるように。
また山口の童たちは、その花をもらってかざして遊ぶように」と触れを出した。
太守の命令なので、男も女も花を手折って頭に挿す。
遊び好きの子供たちが先を競ってこれをもらい取っていくと、
二月の雪が袖に舞い、それは珍しげで楽しそうだった。

しかし初めこそ太守の言いつけを守っていたものの、時間が経つと、
「花をくれ」と乞う人はいなくなり、また、たまに「山桜を一枝欲しい」と言い出す人がいても、
薪に添える物売りもいなくなった。
この成り行きを見ていた弘世は、「人の心とはなんとつまらないのだろう。
山の石ころのようだ。田舎住まいとは憂鬱なものだ。
この田舎の果てに都を移そうなど、
顰に倣った東施(成功した人の真似をして失敗すること)のようになってしまうだろう」と、
大きな溜息をついていた。

昔、平将門が関東八ヶ国を手中に収め、相馬の郡に都を立て、
自ら親王を名乗って百官卿相を召抱え、叙目を執り行ったことに
いささか似ているような感があるが、
この弘世朝臣は、文武兼備、克己覆礼、将軍の武命を重んじて忠戦に励み、
固きを破り利を砕き、また万民の塗炭を救い政道は正しく、奸を除き邪を憎んだ人である。
高くして危うからず、満ちて溢れず、万国はまるで、
あたかも草が風に吹かれるように、弘世に靡き従った。

その子々孫々に至るまで、子は父の業を継ぐ習いだからか、古今に傑出した名将ばかりだった。
そのなかでも義興は、代々の先祖よりもなお突出して、道徳仁義礼の五つを全備していたので、
恵林院義稙卿の後見として天下の危機をよく助け、天下の憂いを取り除いたという。

しかし当代の義隆卿は、武道の道をすっかり忘れ果て、
意味のない公家との交友にばかり現を抜かし、
花の陰に馬をつなげたまま一日を過ごしたり、
楓の林に車を止めて月を眺めながら詩を吟じ歌を詠んでばかりいた。
または弓矢を投げ捨てて蒲団を抱え座禅をしたり、念仏を唱えたりもしていた。

それだけでなく、陸羽・盧同の跡を慕い、宇治・栂尾の茶の味を楽しみ、
「趙州は茶を飲んで七百甲子を保ち、潙山は茶を摘んで悟りを開いたという。
それならば、黄頭碧眼の秘訣は茶にあるのだろう」などと言っていた。
唐土の祖師の墨蹟や日本の徽翁一派の筆跡の、反古一枚を買い求めるために多額の銭を費やし、
古びたひょうたんを見ては、「これはきっと、数空しという顔渕のひょうたんだ」などと褒め称え、
いびつな茶器を手に入れては、「これよ、これこれ、天目山の産物だろう」と、
そんな物のためにいくらでも金銀をつぎ込んだ。

もしその金銀で忠戦を貫いた軍士を賞していれば、
兵たちの勇気も日々増して、生きながらえるのは恥だとばかりに、必死に戦っただろう。
何も考えずに費やす金は泥や砂と同じだという言葉は、このようなことを言うのだろう。

これだけでなく、義隆はいつも酒色に耽り、遊んでばかりいた。
酒を泉のように注ぎ、佳肴を山のように設け、昼はもっぱら飲み暮らし、
夜は一晩中燭を灯して遊び狂った。
国家が衰退し、万民が苦しんでいることなど、まったく気にかけてもいなかった。
ひどいことである。

「酒とは沈んだ気持ちを払ってくれるものだ。
だから忘憂君と名づけて、人間の八苦を酒で消そう。
また酒は百薬の長ともいうから、医学の妙術や換骨の霊法も、すべて酒に秘められている。
不老長寿の法など探すに及ばない。人間は楽しんで長く生きられればそれでいい。
これは酒の徳である。
清きをもって聖をなし、濁りをもって賢をなし、酔わずをもって醒はないと言うではないか。
となれば、孔孟の道も中庸の徳も、みなこの酒から起こっている。
国家を治める枢要は、酒以上のものはない。
天下泰平を成し遂げられる武将は、必ず酒をたしなんでいるものである」などと言ったこともあった。
みっともないものである。
人間万事酔えば泥のようになるとはこういうことだろう。

たしかに酒には十徳という別名があるとはいえ、すべてを失うきっかけになるのもまた酒である。
禹王の時代になって儀狄が酒を作ると、禹はそれを飲んであまりのうまさに呻り、
「後の世には酒のせいで国を滅ぼす者が出るだろう」と言って、儀狄を遠ざけたという。
上代の聖王はこれほどしっかりしていたのに、
義隆は酒に溺れて「良将のたしなむものだ」とまで言ったとは、口惜しいものである。

一人の心は一千人、一万人の心に影響するもので、大内家の諸士は皆義隆のやり方を真似して、
上は暗く下はへつらい、政道には一つとして正しいものはなかった。
武道が廃れ果ててしまったので、侍は主君を侮り、民は領主に背き、
強臣の陶に易々と討ち果たされてしまった。
生前の恥を万国に流し、死後の悪名を後世に残すことになり、残念なことである。
先祖代々心を砕き、匠の手を借りて大造営して飾り立てた寺社仏閣の棟々は、
あっという間にはかなくも焦土と化してしまった。甚だ遺憾である。


以上、テキトー訳。おしまい!

「あなた~の燃える手で~ 私(山口)~を抱きしめてェ~」かーらーの!
「ろっくーでなっし~♪」でした。
大内家に似合うな、シャンソン。こんなにハマるとは。
今度私もカラオケで歌ってみよう。
しかしよったかさまのdisられっぷりはパねえな。
デカダンな義隆は、個人的には大好物なんだが。酒に関してはいい友達になれそうだ。
大して義興のageられっぷりは何だろう。
やっぱ太守として優秀だったから、土地の人たちに愛されてたのかな?

あと、弘世たんカワイイです弘世たん!
「みんな都人の真似して薪に花添えて歩いてよ!」ってさ。
くそかわいいです!

とりあえず次は軍記物離れて文書類を読みます!
読むぞったら読むぞ! すべて自己流だけどな!
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