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2013-05-01

飲んで飲んで飲まれて飲んだらえらいことになった

いやはやゴールデンウィークですねぇ。
通勤電車がすいててわりと快適(*´∇`*)
なのに今日ランチに入ったお気に入りのお店で、
従業員同士の喧嘩にぶち当たってしまって軽く涙目です_ノ乙(.ン、)_
あと上司、お昼おごってくださってありがとうございました。
救われました(´;ω;`)

さてさて陰徳記。だいたいの流れ:
陶隆房が大内義隆を討ち果たし、豊後から大内義長が山口入りして、
表面上はなんとか平穏が続きそうな感じ。

てなわけで、ここらで一発、義隆の最期の舞台となった大寧寺のお話。
長いので2回に分けるよ。


長州深川の大寧寺のこと(上)

深川の大寧寺は義隆卿の切腹の際に焼失してしまったので、大内左京太夫義長より、
再び建立するように命じられ、七堂すべてが造営された。

そもそもこの大寧寺というのは、石屋和尚(真梁)の弟子の智翁和尚を開基として、
仏法繁栄の霊場である。
その昔、石屋和尚が通幻和尚の元で修行していたとき、
了庵和尚とともに三十有余年も一身に修行に打ち込んでいた。

あるときは凍え死ぬことも恐れずに雪の中に立ち、
またあるときは勉学に励んで夏の暑さをものともせずに
夏安居(げあんご、全集の集中強化修行期間)に入り、ある日桶の底が抜けるように大悟した。
このため、通幻和尚は石屋・了庵の二人の弟子に伝法を行うことを決めた。
二人の弟子たちは大喜びして、伝法の日取りを決めた。

了庵はこの伝法について、石屋より先に受けようと目論んでいたので、
石屋を呼び寄せ「血脈の伝授を祝おう」といって美酒珍膳でもてなした。
石屋は了庵のたくらみを知らなかったので、その志に感激して、数杯の盃を重ねた。
石屋は前後不覚に泥酔してしまって、しばらく枕を寄せて仮眠を取っていたが、
その隙に了庵は通幻の居室に行って、付法伝授を済ませてしまった。

そのとき石屋は夢から覚め、ガバッと起き上がり
「なんということだ。すっかりだまされてしまった」といって慌てて方丈に入り、
袈裟を投げ入れたけれども、了庵はすでに伝授を終えて退出した後だったので、
石屋は仕方なく了庵と師弟になった。
このことがあったため、その一派では今でも禁酒の令が厳しく、
酒を「塩」と呼び替えて飲むようになったそうだ。

その後了庵和尚は仏法東漸の真理にならい、関東八州で布教を盛んに行って、
宗派や格式を超越した視点で、仏祖の教えをわかりやすく説教した。
あるときは仮に五位を開いてよく三根を接し、
またあるときはじかに三句を拳して大いに群類を救った。
すると禅客たちが静かに集まってきて、雲のような列をなし星の数ほどになり、
一派は繁栄を極めた。

石屋和尚はこれを見て、「腐った肉にハエがたかっているようだ」と首をひねった。
「昔、船子の徳誠和尚が夾山の善会禅師にこう言ったそうだ。
『きらびやかでにぎやかなところに住むべきではない。
すぐに身を隠して、自分の痕跡を跡形もなく消してしまいなさい。
自分の痕跡が残っているところに身を留めようとするな。
深山钁頭のあたりに行って、一箇半箇を接取し、
我らの宗派を守り伝えて断絶しないようにしなさい』とな。
私はこの徳誠和尚の遺戒に従おう」と、
石屋は草鞋を履いて複子を持つと、西国行脚に旅立った。

ときには山野辺で石を枕に野宿して寒い夜を明かし、
または渡し口で船を待ちながら川の水で口をすすいで暑い日を過ごした。
そして七十有余日を経て、長門の国の問田というところに着いた。
里の人々は宿を提供してくれなかったので、
「私は世捨て人なのだから、野に伏せ、山にとどまるのは得意だ」と、
石屋はあちこちと歩き回った。

そうしているうちに、深山幽谷に一宇の堂を見つけた。
石屋はそこに立ち入って荷を解き、旅の疲れを休めていたが、
夜に入ると壁に向かって座禅をはじめた。

こうしたところに、異形の物の怪や青鬼・赤鬼もたくさん出てきて、
「人間くさいぞ」と話していた。
しかし和尚を見ると、「人間がいると思ったのに、そうではなかった。
一個の無の字があるだけだ」と言った。
石屋はこれを聞いて、「私は無にこだわりすぎていたのか」と風車子のように素早く斬破した。

すると鬼は、「さっきは無の字があったと思ったのに、一個もなくなっている」と言った。
その後、鬼たちが「妙円、妙円」と呼ぶと、腰から下が真っ赤になった女房が一人、
袖を顔に押し当てて泣きながら出てきた。
鬼たちはその女を散々に責めさいなみ、それから女の身を裂いて喰ってしまう。
目も当てられぬ様子であった。
そのうち東の空が白々とあけてくると、雲に乗ったり地にもぐったりして、
どこへともなく消えていった。

石屋和尚は不思議に思ったが、やがて托鉢のために堂を出て里に行くと、
とある民家に入っていった。
その家の主は祭壇を設けて香を焚き、僧たちを招聘して読経をしていたが、
石屋和尚を見るとすぐに招き入れた。
石屋和尚が仏壇の上を見てみると、「方智妙円大姉」と書かれている。
「昨夜、牛頭・馬頭に責めさいなまれていた罪人は、ここで弔われている亡者に違いない」と思い、
主人に亡くなった人のことを尋ね聞いた。
主人は生前のことなどをあれこれと語り、「今日が初七日の法要なのです」と涙を流して答えた。

石屋和尚は、「あなたの母の妙円は、奈落の底に落ちて責め苦を受けているぞ。
もし疑うなら、今晩その証拠を見せよう」と言った。
主人は大いに驚いて「では今夜、私を連れていって母の苦患を見せてください」と答えたので、
石屋和尚はその男を連れて山中へ分け入っていくと昨晩の堂に入った。

男を法衣の下に隠し、「絶対に恐怖心を抱いてはいけない」と注意して、夜半まで待つ。
四方の山風が冷たくなり、木の葉がほろほろと散る音がして、
なんとなく身の毛のよだつような感覚があった。
すると、また鬼たちがたくさん現れて「妙円、妙円」と呼び、昨夜のように女を責めさいなむのだった。
これを見てその男は手を合わせ、
「和尚さま、どうか大きな慈悲のお恵みをもって
我が母を苦患からお救いください」と頭を下げ、涙を流した。
石屋和尚はかわいそうに思い、その男の家に数十日とどまって供養を行った。

法華経を読誦していて、「もし女人であるならば、この経典を聞けば、
その通りに修行したのと同じであり、その命が終わるときには、
安楽の世界に住み、阿弥陀仏、大菩薩衆がその住処を囲み、
蓮華の中に生まれ、玉座の上に座る」という部分にさしかかると、
主人は歓喜の涙を流し、「きっとこの経の力で、
母は生別離苦を離れて成仏解脱することができるだろう」と、それは心強く思った。

そこにまた和尚が女子出定・倩女離魂といった法話を語ると、
主人はたちまち大悟発明して、「私の母に地獄に落ちるような業があっても、
大解脱できるのですね」と、ありがたそうに感涙に咽んだ。


以上、テキトー訳。つづく。

なんつーか、大寧寺縁起というよりは、石屋和尚の武勇伝ちっくな……
あ、そこは突っ込んじゃイケナイとこですかサーセン。

しかし、個人的に見逃せない話題が、僧侶の禁酒の理由なんだよな。
「酒に酔って寝てる間に出し抜かれたことあるから、うちの宗では禁酒!」
ってどうなの。なんか情けないってか。逆にかわいいかも知れんが。
私は酒好きなので、先達の失敗云々で禁酒されたら、確実に叛旗翻すよね。
あと、酒の隠語として「般若湯」ってのは聞いたことあったけど、
「塩」ってのは初めて目にしたよ。
「しゅ」と「しお」なら、語感も似てるよね。

まあ、あとは宗教話にありがちな、現実感を伴わないナントヤラだよね。
石屋和尚が妙円の弔い関連で里の主人のご厄介になったのは、
むしろご厄介になるのが目的で妙円云々の話をでっち上げたんじゃ、とか。
こういう疑心を持つのは心が曇ってますか。
でもボヤボヤしてると尻の毛まで抜かれそうな浮世だもんでさ。

さて次回も続きだけど。いつ大寧寺が出てくんのさ。
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