--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2013-05-02

石屋和尚の遍歴

今夜は帰りが遅いので朝のうちに更新!

前回のあらすじ:
長門の国の大寧寺は、大内義隆の切腹の際にことごとく焼失したが、
その後大内家当主となった義長によって再建されることになった。
大寧寺の開基となった石屋和尚についてのお話の続き。
石屋和尚は同輩の了意和尚に騙されて、師からの伝法で出遅れてしまった。
その後諸国を遍歴して長門の国にやってくると、亡者が地獄の鬼に打ち据えられているところに出くわす。
その亡者を弔っている家にとどまり、丁寧に供養を行った。


長州深川の大寧寺のこと(下)

その夜、その主人の夢に、亡き母親が美しく幸せそうな様子で現れた。
母親は頭に珊瑚のかんざしを挿し、手には花をひねって、
「私は五障三従の罪が重く、八大地獄の底に沈んで、長いこと閻魔王の棒に打ち据えられていたの。
休む間もなく責めさいなまれていると、高貴な僧正の弔いを受けて、
たちまち安養不退の浄土に生まれ変わることができたのよ。
もう少し話をしたいけれど、急いでいかなければならないから、そうもできないわ」
と言って立ち去った。

男はあまりに悲しくて母の袂にすがり、「私もともに参ります」と言うや否や、
松を吹き抜けていく風とともに夢は覚め、見てみるとそこにいた母はどこにもいない。
ただ幸せそうな顔ばかりが思い出されて、ただの夢とも思えなかった。
「母はあの雲の上にのぼっていったのだろう」と見上げると、空には趣深く雲がたなびいていた。

男は早朝に起きると、このことを石屋和尚に話し、合唱して喜んだ。
その後男は喜びを抑えきれず、黄金三枚を取り出して和尚に寄付した。
和尚はその黄金を懐に納めると、九州に渡って薩摩の国に入り、国中を歩き回ったが、
あるときあまりに歩き疲れてとある山陰に聳えた巌にもたれかかって、しばらく休息した。

松や杉が茂っている様子を見ては、「後人の標榜にしよう」という言葉を思い出し、
散り積もる木の葉に身を横たえては青銼和尚の在世していた昔を想像して
「これこそ人間の是と非を裁断して粗末な庵を結ぶのにちょうどいい場所だ」と物思いに耽った。
和尚はあたりの松を柱の支えにして、鬱蒼と茂った草むらを引き結んで籬に造り、
しばらくはそこに足を休めた。
座禅工夫の暇もなく、ありのままに清らかに暮らしていると、
周辺の獣たちもよく馴れ、鳥たちは花をくわえて献じるようになったそうだ。

ここにどこの誰とも知らない女性が一人訪ねてきて、
「私に即心即仏の奥義を教えてください」と言ってきた。
和尚が「あなたはいったい誰だ」と問うと、その女性は、
「私はここに住む龍神です。その昔、釈尊の法座に列席したことがありますが、
まだ畜生道の苦患から逃れられません」と答えた。
和尚はすぐに直示人心見性成仏(教説や修行によることなく、
座禅によってただちに自分の心の本性を見極め、悟りを開いて仏と成ること)の教えを授けた。
龍女は合唱し、朝暮れとなく度々通ってくるようになった。

それを里の者たちが伝え聞き、
「この山陰に草庵を結んでいる石屋和尚のところへ、
それは美しく色っぽい女房が、夜毎に通っているという。
この僧はきっと、戒律を破る悪僧に違いない。
さあ、その女人を絡め取って罰を与えてやろうではないか」と言って、
百人、二百人ほどが弓矢を携え、その女房の後をついていった。

そして石屋和尚の草庵に着くと里人たちは草庵をびっしりと取り囲み、
「この中へ、それは美しい婦人が入っていっただろう。こちらに出せ」と迫る。
すると龍女は、「私がせっかく知識の豊富な高僧に出会い、
畜生道を離脱して成仏を果たす修行をしているというのに、
外道な考えを持った凡人たちがそれを妨げるとは無念極まりない」と言って、
たちまち本来の姿に変身した。
そのまま近くにあった大岩を真っ二つに砕くと、
地面を揺るがすようにして海中に飛び込んでいった。
里人たちはこれを見て肝を潰し、十方へと逃げ散った。
その大岩は「龍宮岩」と呼ばれ、今でもそこにあるそうだ。

その後和尚はそのあたりから三十余町を隔てて、直林寺という寺を建立した。
またこの国の玖田嶋というところに伽藍を造営しようとしたところ、
大きな岩が張り出していて敷地がずいぶん狭かった。
和尚がその岩の上に座して座禅すると、この石は霜や雪が陽光に照らされて
消えていくかのように、たちまちなくなってしまった。
和尚は大いに喜んで、以前問田の里の長が献上した黄金を取り出し、
亡者のために一宇を建立して「妙円寺」と名づけた。そ
の後、福昌寺などの伽藍を建てたそうだ。

和尚はそれから再び長門の国に上ると、問田を訪れてまた一宇の禅院を建て、
これもまた妙円寺と名づけた。
しばらくそこに滞在していると、ある山の上に紫の瑞雲がたなびいているのを見て、
和尚は「きっとあの山の麓に伽藍を建立すべき地があるのだろう」と思い、
期待に胸を膨らませてそこを訪れた。
それが今の大寧寺の山頭であった。

鷲津(頭)の何某(弘忠)とかいう者がそのあたりを知行していたので、
鷲津はすぐに和尚を自分の館に招き入れ、
「ぜひともこの土地で寺を開いてください。私が檀那になって建立しましょう」と言った。
和尚は「私に少し考えがあります」と言うとそこを出て、
美作の国まで行き、西来寺という寺で亡くなってしまった。
鷲津は石屋和尚の進言のとおり、石屋和尚を勧請開山として伽藍を建立し、
寺を「大寧寺」と名づけ、山号は「紫の雲がたなびいていた」というところから
「瑞雲山」としたという。

このような霊場を焼失したままにしておくのは神や仏の怒りも恐ろく、
また義隆の亡霊の怒りをなだめるためにも、ということで、
すぐにこの寺は再建され、義隆卿などの人々の位牌も立て置いて、後世菩提を弔った。

 隆福寺殿従二位黄門兼七州太守瑞雲珠天居士……義隆卿
 珠玉大居士……二条の従一位左大臣尹房公
 一貞浄忍居士……持明院の一忍軒(基規)
 珠玖禅定門……小幡四郎(義実)
 鳳仙道麟居士……冷泉判官隆豊
 善才道医禅定門……黒川近江権守(隆像)
 玉峯道玖禅定門……天野藤内(隆良)
 忠翁道孝禅定門……岡辺右衛門尉(隆景)
 道高社官……八幡(禰宜)の民部丞右信(延)
 悟翁道了禅定門……大田隠岐守(隆通)
 高岳道林禅定門……岡屋左衛門尉(隆秀)

こうして供奉の人々まで過去帳に記して、亡くなった月日が廻ってくると、
その寺の僧たちは経典を読誦したり、法話を説法したりして、その菩提を弔ったという。


以上、テキトー訳。おしまい。

妙円さんはよかったね、と言いたいところだが、
最初、いったい何が原因で地獄につながれることになったのかね。
「女だから」とかいう理由も普通にありそうだよな。仏教って。

龍女の話は、裏読みをすると、これ里の人たちが取り囲んだってのは、
集団レ○プ目的じゃないんですか……
いやに「美しい婦人」てのが強調されてる気がするんだが。
その目的が達成されたのか、里人から逃げている途中かはわからんけど、
女が海に飛び込んで自殺した、みたいな流れだろ。

そしてようやく出てきた大寧寺縁起……あっさりしすぎだと思うよ!
焼け落ちたもののすぐに再建されて、義隆たちの菩提が弔われたようだけど、
やっぱり祟りが怖いから手厚く供養するんだねぇ。
そういえば吉川興経を祀ったナンヤカヤも岩国に多くて、
興経の祟りはずいぶん恐れられていたんだなぁ、という印象だった。

興経といえば、昨日本屋で『吉川興経』って本をつらつら眺めていたんだが、
カバーの家紋マークが普通の九曜紋でさ。
岩国の吉川家は輪九曜だろ。吉川のもともとの家紋は三引両と下り藤三引両だろ。
あの本の九曜紋はどこからきたの……もともと持ってたの?
あと、毛利と両川に関する本もあったけど、
右三巴と九曜紋が並んでてさ……小早川は左三巴じゃなかったっけ?
ちょっとなんだか割り切れなかったので買いませんでしたとさ。

さて、お次は合戦だよ~。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
Twitter
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。