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2013-05-08

元和三年、人質改め騒動②

のつづき!

関ヶ原の戦後処理で、「吉川家からは人質いらないよ!」と徳川家康・秀忠から
江戸に置く証人を免除されて二十年近く経った
(とはいえその間、吉川家も重臣のの子弟を人質として江戸に置いていた)。
元和二年に家康が亡くなり、翌年に秀忠が上洛した際、人質改めが行われた。
そこで改めて、「吉川家からは当主の近縁の人質が出ていない」ということが
毛利家中で問題になった(公儀から文句を付けられてはたまらないため)。
そこで秀就から広家へと、「公儀から言われる前に、ふさわしい人質出してね☆」という命が下る。

広家「いまさらそんなこと言われても……両御所様には不要だって言われたし。
   それに新たに人質出す経済的余裕なんてうちにはないよ!
   広正、これからはおまえが江戸で秀就様にご奉公するという方向で始末をつけてくれ!
   どうせこんなことは、秀元のやつが難癖つけてきたんだろ。
   ついては内緒の話を別紙に書いておくね☆」

てなわけで、今日はその「別紙」と思われるものをテキトー訳。
日付は①の書状の1ヶ月前だけど、広家が書き間違えたかあるいはわざと違う日付にしたか、
もしくは翻刻の際に間違えて掲載されちゃったか、三つのうちのどれかだと思うよ。


●吉川広家自筆書状(吉川家文書1313)

これらのことは大事なことなので、申しにくいことではあるが、
おまえのために書にあらわした。気をつけて取り置くように。
返事のときに、この書状はこちらに返してくれ。

一、あちら(毛利秀元)の計画としては、おまえや私、
  越州(福原広俊)の一族・児豊(児玉景唯)の一族・
  益玄(益田元祥)の一族の者たちのことを、
  公儀(幕府)や長門様(秀就)の御前で申し妨げ、
  公の場に出づらいように仕向けて、
  後々は何でも自分の好きなように事を運ぼうとしているように見える。

一、宍戸殿(元匡)・兵庫殿・伊賀殿はとりわけ若輩なので、
  山城殿(毛利元政)に何でも相談して、そのつながりで志摩殿(毛利元景)・
  山内殿・伊豆殿やあちらの取次ぎなどと話を詰め、皆同じようにしている。
  吉大蔵殿(吉見広長)のことについては、
  私も何年も対面したいと榎伊豆(榎本元吉)を通じて申し上げているけれども、実現しなかった。
  けれども甲州(秀元)が申し入れたら対面がかなって、
  扶持米などもやって召し置いているそうだ。

一、秀元は、御家の歴々の重臣たちをのけ者にして、公儀をたった一人で切り回し、
  他には肩を並べる者がいないかのような振舞いをして、
  公儀・内儀ともに、好きなように取り仕切ろうという腹積もりだとの噂だ。

一、人々は囁くように、「龍造寺の鍋島のようなやり方で、
  他国ではありえないことだ」などと言っているそうだ。

一、あの人(秀元)は黒筑(黒田長政)に対して、どのような態度を取っているのか。
  筑州はあの人のことを聞いて、最近はあちらには連絡していないという。
  去年、江戸から益玄が下ってきたとき、殿様(輝元)に詳しく事の次第を報告していた。
  私にも同様に話してくれた。
  これはそれほど疎遠な仲というわけでもないのだから、何を考えているのかということだった。

一、おまえなどが直接公儀と連絡ができないように、秀元は手回しをしてくるだろう。
  そうしているうちに、ゆくゆくは大事になるのではないかと思う。
  それというのも、殿様は頑健でいらっしゃるとはいえ、
  もうずいぶんお歳もとられているから、明日のことはわからない。
  もし何か事件でも起きれば、萩にいるわけにもいかないだろう。
  またこちらも問題が山積みだ。
  大夫殿(福島正則?)が隣国のことを何かにつけ讒言しないとも限らない。
  自国のことでも、油断を絶やさずに気をつけていなければならない。
  これからはおまえの才覚にかかっているのだ。
  私の言ったことを肝に銘じ、公儀のことをしたり自分の身上を保ったりしなさい。

一、人質を出したならば、さらに公儀にへつらうことができる題目は、もうないはずだ。
  あの人(秀元)が考えているのは、こちらに賦役を多く課し、人質を出させて、
  これで公儀の手前面目をほどこして、
  おまえのことは、宍戸殿や山城殿などと同じような地位に貶めようという考えなのだろう。

一、私は若いときから病み疲れてしまい、もうへとへとに草臥れ果てた。
  あと数年しか生きられないろう。
  だからおまえが気遣いをしてしっかり働き、これから御家や自分自身の身上のため、
  またはこれ以上外聞を失わないように、がんばってほしい。

  私がそれを見て一日でも長く心穏やかでいられるようにしてくれれば、
  私が生きているうちに他の孝行をどんなに尽くしてくれるよりも、
  私にとってそれ以上の安堵はないのだ。
  そうしてもらえたら、どんなに感謝することか。

  こう申すのも、家のためなのだ。私のそう長くない人生のうちで、それ以上の喜びはない。
  このことは、静かに繰り返し繰り返しよく考えて、承知してほしい。
  この使いの衆にも相談してみて、彼らの申すことをよく聞いてくれ。

一、ここまで私が言ったことがおまえの心にかなわず、意見をしたいこともあるかもしれない。
  その場合は、二日ほど逗留の予定でこちらに帰ってきてほしい。
  これは当家を立ち行かせるための最初の思案どころなので、おろそかに思ってはいけないよ。

一、そちらでは乳人やその他の人たちへも、絶対にこのことについて話をしてはいけない。
  使者が帰るまではよくよく用心しなさい。
  備前に勘左・次郎兵衛を添えて遣わせる。
  これは大事な書き物であるから、気をつけて取り扱うこと。  以上

   (元和三年)九月三日         広家(花押)
         佐介殿(吉川広正)参


つまり……
広家「秀元ったらナニサマなのアイツー!!!」
ってところだけど、よく考えてみてほしい。
後ろ盾の実父(元清)・隆景が亡くなったとはいえ、
秀元は輝元の養子やで……
ああ、だから対立しようとせずにかわそうとしてるのか。

この広家の言い分に対する広正の返答が、以下↓



●吉川広正自筆請書(1318)

証人のことについて仰せ下されたとおり、いずれももっともに存じ奉ります。
私が十三日に「お受けします」とご父子様(輝元・秀就)に申し上げたところ、
甲州(秀元)がすぐにおいでになるということで、
甲州とご内談なされ、そのうえをもって仰せ出されることになると、
ご父子様から御裁定をいただきました。

一、長門様(秀就)が江戸にお下りのときに、私がお供いたしますと申し上げました。
  これも先述のご返事と同様だとお使いの衆が申されていましたので、
  まずこの両人を差し上せます。

一、こちら(萩)の様子を見て、そちら(岩国)へと
  二日ほどの逗留で罷り上がるようにという件は、承知いたしました。
  また書状は二通ともお返しいたします。
  なお、勘左衛門・次郎兵衛に口上にて申しておきましたので、詳しくは書きません。
  このことをよろしくご披露ください。恐惶謹言

     (元和三年)十月十八日         左介 広正(花押)
          祖九右(祖式長好)


以上、テキトー訳。もうちょい続けてみよう。

今回の広家の書状で、広家の、秀元に対するあからさまな警戒心が知れた。
それでも積極的に秀元に報復したり失脚させようという意思が感じられないところが、
私の救いというか……反面、つまらなくもある。
もし自分が秀元だったならば、暖簾に腕押しというか、
あまり手ごたえのない相手のような気がしてw

広正は素直にお父さんの言うこと聞く子だなぁ。
でもはやり書状では消化しきれず、直接話したいことがあるようで、
萩から岩国に帰ってくると言っている。

広正の返書は、「祖九右」という宛名になっているけれど、
内容的には広家宛のもの。
取次ぎ役の宛名なのに内容は当主宛というのは、隆元から元就宛の書状でも見られたから、
親子間であってもそういう慣例なんだろうな。

祖式九右衛門尉長好という人は、石見小笠原氏庶流の豪族、祖式氏の分家の人。
本家の代替わりのときに当主がまだ幼少だったので、親類の長好が後見役に付けられたけど、
長好自身が元春・元長に気に入られて重用されたらしく別家を立て、
広家・広正の代にも大活躍していて、奉行職なんかも任されていたみたい。
実名から推測するに、元長の側近に加えられた人なんだと思う。
 〔追記:小笠原氏の通字が「長」だったのでそっち由来かもです><〕
広家は元長の奉行衆をほぼ丸々引き継いでいる。
ちなみに本家は毛利家中で存続。吉川家との取次ぎにもなってる。

広正の書中に使者として登場する「勘左衛門」てのは、
たぶん吉川経実(石見吉川氏、鳥取城で伝説を作った経家の嫡男)だろうと推測。
次郎兵衛は調べが足りてませんスミマセン><
経実についてもいつか取り上げたい……いじましい人なんだ、これが。

つい脱線しているな。まあいいかいつものことだ。
他に気になった点。
・「龍造寺の鍋島みたい」ってのは悪口なんだなそうなんだな。
・黒田長政と秀元の交際について苦言を吐く広家……ホント黒田家好きだなこの人。
・黒田と秀元のことに関しては益田元祥から聞いたと書いているけど、
 同年長政が京都から下国する途中で、広家と長政は直接会ってるという記録もあるんだが。
・黒田と秀元の問題に関しては、秀元の縁者として黒田家家臣に嫁いだ女の件、
 また、小早川(毛利)秀包の遺児の件で、ナンヤカヤあったようだけど追いきれてないよ><
・隣国の大夫ってのは福島正則だろ? 警戒してるけど、仲良かったのにこじれちゃったの?
 もしかしてこれも黒田に関係した話なの!?

というあたりで今回はおしまい。まだ続けたい。
次回は、吉川への助け舟にいってみるか……
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