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2013-05-20

元長にーさんのお説教

元長書状で大笑いして、いつか現代語訳してみたいと思っていたやつがあったので、
今回はそれを(*´∇`*)

簡単に説明すると、吉川の庶流で親類衆筆頭である宮庄家というものがあり、
そこを相続した次郎太郎春真に対して、元長が送った教訓状だね。

宮庄家は、元春の養子入り当時、
もともと興経に仕えた正統の宮庄家当主(実名失念><)がいたけれども、
興経に関するいざこざで粛清されてしまった。
しかしこの名跡を失うわけにはいかないので、
元春はそこで、吉田から連れてきた福原元正(広俊の次男)をして「宮庄」を名乗らせた。
元正は元亀年間に没したので、その跡に元春の三男、次郎五郎経言(後の広家)が入った。
そして天正八年に石見小笠原氏から経言に養子入りの引き合いがあり、
宮庄家の分限の少なさに不満を抱いていた経言は宮庄家を返上し、
小笠原氏への養子入りに向けて準備をしだした。

またぞろ当主を失った宮庄家に入ったのが、次郎太郎春真というわけだね!
ちなみにこの春真は、熊谷信直の次男直清の三男らしいよ。
元長や広家にとっては、母方の従兄弟に当たるね。
もはや宮庄家とはほとんど縁もゆかりもないけど。
翻弄される悲運の宮庄家ェ……

まあそんなわけで、当主がコロコロ挿げ替えられるわりに
わりと名跡である宮庄家を相続した春真ちゃんに、
元長にーさんから言いたいことがあったようです↓


●吉川元長書状写(吉川資料館蔵文書第二号)

一、今ごろ申すに及ばないことではあるが、おまえについて思っていることを書き付けた。
  詳しくは口上で述べる。

一、おまえは以前もそれほど軽くはない身分であった。
  今となって(宮庄家相続)は、もう当家では親類衆の筆頭である。
  以前も、万事において分際に応じた嗜みが必要だと思っていたが、
  これからはいよいよ身を慎んでくれないと困る。

一、諸人が追随できる立場ではないのだから、もう少し堂々とした態度で、
  それほどへりくだらないようにしなさい。
  とはいっても、人には丁寧な態度で接しなさい。

一、だいたい人間というものはおまえに限らず、ものを過ごしてはいけない。
  そして言葉で器用者か不器用者かがわかるものだ。
  特に陣中などにあっては、夜となく昼となく、
  思いがけない者が陣屋の陰にいたりするのだから、よくよく用心をすること。

一、元春や私のところに来るときでも、小姓や近習のような振る舞いをして、
  人に軽んじられたり侮られるようになっては、
  おまえ自身のことはもちろんながら、当家の秩序を乱すことになってしまう。

一、家中の者たちを使うときは、今回は役目のはじめになるのだから、
  人々が勝手なことができないように、
  またそれほど手が空いたりしないように取り計らいなさい。
  外聞が上々になるように心がけるといいよ。

一、心安い者たちとの交際のときであっても、あまり手足を伸ばしたりして、
  少しでも不思議なことや変わったことを話してはいけない。
  人はどうであれ、おまえ自身のたしなみが肝要なのだ。
  最近は、他にもそういったたしなみを身につけている人がまったくいなくて、本当にけしからん。

一、おまえは、一昨年だったか、額を広く剃り上げていて、これはよろしくないと思っていた。
  その後は普通になってきたから、最近の調子で問題ない。
  何についてもこのようなご分別が肝要だよ。
  一度の間違いは大目に見ることにしよう。

一、少し出歩くときでも、共を二、三人ほど連れ歩くようにしなさい。
  また少しでも自分の居所を離れるときは、
  陣中であっても家であっても、その心得を忘れないように。

一、最近では年長の者も若い者も噂話ばかりして、まったく困ってしまう。
  そうして他人の口真似・手真似をしたり、他人の噂話をすることがはやっているが、
  これはもってのほかであって、やってはいけない。

一、よその年寄・親類衆はどうであれ、などと、参考にしないのはいけない。
  当家の方をよその衆に合わせていきたく思っている。

一、また、最近では馬鹿っぽく軽々しい口をきくのがはやりだが、
  そうした者には人も付け込みやすい。
  そのような者たちと頻繁に寄り合って仲良くなるのは、いかがかと思う。
  もっとものの道理をわきまえている者と仲良くするようにしなさい。

一、衣類や道具などに関しても、おかしなことがないように、
  その程合いをよく考え、気をつけるようにしなさい。

一、くれぐれも大切なことは、たいしたことでなくても、
  しかるべき人に尋ねてから行うようにしなさい。
  自分の考えだけで進めては、間違うことも多い。

一、これらの条々が耳に痛く感じようとも、よく聞きなさい。
  誰にでも通じるように言ったことだから、
  おまえにとっては思い当たることと思い当たらないことがあるだろう。
  おまえほどの身上ではない者に対しても、ここに書いたことは当てはまる。
  おまえは、大方のことは分別しているだろうから、あと少し努力すれば十分立派になる。
  今後は私も、何についてもおまえの指南を受けるようにしよう。
  それではまた。以上

     五月十六日     元長
          次太(宮庄春真) まいる


以上、テキトー訳。

元長さんの説教っぷりが、なんとも元春の教訓状(対経言)に似ていてニヨニヨできるね!
「変わった格好をしない」だの、「共を連れ歩きなさい」だのw
「この意見が気に合わなくてもちゃんと聞きなさい」ってとこまでwww
天正八年か九年のものだろうと思われるけど、元長はそのころ三十代半ばか……
「最近は誰もがきちんとした分別がなくてやんなっちゃう><」とか、
歳の割りに年寄りくさいね!

ここで少し注目したいのは、元長がこの教訓状を送ったのは、
春真の宮庄家相続という契機があったからなんだよね……
つまり何が言いたいのかというと、元春が経言に送った教訓状も、
何か契機があってのことじゃないかと思うんだ。
おそらくは石見小笠原氏相続の問題に絡んでいるんじゃないかとエスパー。
まだちゃんと調べ切れてないから、「カン」のようなものだけど。

そもそも広家は、よく「どうしようもない問題児だった」と評されて、
その証拠物件として元春の教訓状が挙げられるわけだけれども、
教訓状が送られた前後関係を無視して書き立てられることが多い。
というか、不幸にも私はそういう本にしか当たったことがない。
手紙が書かれた経緯を無視して、結論ありきで持論に合うところだけ抽出し、
我が意を得たりとばかりにdisる学者先生も学者先生だ。
何の恨みがあるというのか。

私が思うに、本当にどうしようもない問題児だったなら、
耳に痛い教訓状を後生大事に持ってたり、
あまつさえ自身の恥部が残るというのに子孫に伝えたりするだろうか。
というわけで、教訓状の前後関係問題は私の中でけっこう大きなテーマなので、
しょぼしょぼまとめを進めていきたいと思っています。
集中力が続かずに脱線する性格を矯正したいもんだぜ……_ノ乙(.ン、)_
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