FC2ブログ
2011-10-17

天野隆重への信頼

尼子を排除した後の月山冨田城を誰に任せるかという話。

元就様・輝元様帰陣のこと

元就様・輝元様・元春・隆景、そのほか福原・桂たちは、
冨田の城に誰か一人留め置いて出雲・伯耆の押さえにすべく評定を開いた。
天野紀伊守隆重は智勇兼備の侍大将である。
この者が適任だと議決し、隆重に冨田の城に留まるように告げると、隆重は畏まって言った。

「月山冨田城に籠もることは謹んで拝命いたします。
しかしながら、尼子経久以来十国以上を領した大将の家城に、この隆重ごときがいたところで、
国の隅々まで監督するのはいささか難しいかと存じます。
少輔十郎元秋公を大将として置いていただければ、隆重はそのご命令に従って城を守備します。
この国に何か一大事でも起これば、元秋公の先陣を務め、国中を打ち従える所存でございます」

元就様は「隆重が申すことも、もっとも至極である。しかし元秋はまだ幼い(十五歳)。
よって隆重一人で月山冨田城に籠もり、武威を示して怨敵を滅ぼし、仁徳をほどこして国人を手懐けよ」と言う。
隆重ももはや辞退する理由もなく、冨田城へと入城した(永禄十年二月)。
こうしたいきさつがあったからか、後の天正のころになってから隆重が熊野の城に移り、
月山冨田城には元秋が入った。

こうして元就様・輝元様は出雲の国の法令などを丁寧に隆重に言い含め、
隆景と共に洗合城を引き払って(永禄十年二月十九日)出発した。
杵築大明神(出雲大社)に参詣し、
「この国を無事に平定できましたこと、ひとえに明神のご加護があったからこそです。
争いはこのように決着しました」と、多数の金銀珠玉を奉納した。
献上品はさながら宝の山が現れたかと思うほど豪勢なものだった。

千家氏、北嶋氏の猿楽師を呼び集め、能などを申し付けたいと考えていたが、
急ぐ旅なのでそれもせずに、翌日には杵築を立った。
元就様・輝元様・隆景・元長が安芸の国に帰陣すると、
出雲の国中はたちまち太平となって、万民が日々の生活を大いに楽しんだ。

元春は、敵の部隊がまだこの国に潜んでいるかもしれないと、
万が一に備えて手勢五千騎あまりで出雲に留まり、厳重に平和を守った。


以上、テキトー訳。

天野さんはウィキペディアによると、もともとは安芸の国人で大内義隆に一味していたとのこと。
毛利とは協力関係にあったが、大寧寺の変で義隆が自刃に追い込まれると、
明確に毛利傘下に入ったらしい。なんかウィキペでは「史料出せ」って書かれてたけど。
まあ、「陰徳記」でも、
「ご子息の元秋様を置いてください~」なんてのは、後世の創作なんだろうな、とは思う。
のちに元秋が月山冨田城に入ることになったからこんな話ができたんだろうね。

そして元春、やっぱカッコイイわー。
他のみんなが家に帰るのに、一人残って警備を怠らないとか。
さすが岩国系の軍記物だね、吉川バンザイ!
元春は毛利家にハマりはじめた当初はあんまり興味を惹かれなかった人だけど、
なんかジワジワと好きになっていくなぁ。
スポンサーサイト



コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

検索フォーム
カレンダー
06 | 2020/07 | 08
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31 -
訪問者数