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2011-10-25

元就マジ傑物という雰囲気でお送りします☆ミ

毛利の先祖の系譜の章なので、特に前回のあらすじということもなく。
ようやく気づいたんだが、元就が話中でけっこうな頻度で引き合いに出してくるのが
新田義貞とか源頼朝なんだよね。
軍記が武将の必須教養だからそういう昔の戦のことを持ち出すのかとばかり思ってたが、
先祖がその時代に右往左往してたから、家伝としても親しんでいたんだろうね。

さて、下段でようやく元就登場。


大江元就朝臣先祖のこと(下)

元春の子には、広房・元房・その弟麻原兵部少輔実広・中馬左馬助忠広・
福原左近将監広世・小山刑部少輔元淵、以上六人がいた。
広房・凞元・豊元・弘元までは嘉元、応仁の乱はあっても、国同士の私的な戦はなかった。

この弘元には多数の子があった。
嫡子は備中守興元・次男松寿丸・三男は少輔三郎元綱といった。
この元綱はどんな宿世の報いか、足が不自由であったので、
歩くのも思うようにいかずに、世間と交流するのも物憂くなっていった。
蛍雪の窓を閉じ、春は咲き乱れる花々を歌に詠み、夏は涼風に琴の調べを乗せ、
秋は月を眺めて心を澄まし、冬は雪を題にして詩を吟じる。
俗世間とは離れたところで月日を送っていたが、壮年にもならないうちに早く世を去ってしまった。
四男は相合四郎就勝・五男は敷名兵部丞元範といった。

松寿丸というのは、丹比の家(多治比猿掛城)を相続して丹比少輔次郎といった。
これはすなわち陸奥守元就様のことである。母は福原内蔵太夫(式部大輔広俊)の息女だった。
明応六年巳丁(三月四日)に誕生した。母があるとき重病にかかって、
昼間でも起きているのが耐えられなくなり、肘を枕に横になって少々まどろんでいた。
そのとき、夢の中で日光が懐に飛び込んでくる様子を見てからというもの、体がふっくらとしてきて、
その後懐妊していることがわかった。
ついに臨月になって、お産は安産で、世を照らし渡すほどの玉の男の子を出産した。
こうしたことから、元就様は東に向かって日輪を拝み、観経するようになったという。
老後に法名を「日頼」とつけたのも、こうしたわけがあったからだとのことだ。ま

た元就様が十一歳になったとき、どこの国から来たのかもわからない客僧が井上河内守のところに来て、
講談や説法を立て板に水を流すが如くの弁舌で披露した。
元就様はその僧に会って念仏の重要性を伝授してもらい、毎朝念仏を唱えた。
また観音菩薩を信仰しており、広大無辺な仏の慈悲が目をかけて守ってくださっているからか、
国土はまるで草が風に撫でられるように従順に元就様になびき従った。
聖徳太子が守屋(物部)の逆臣を成敗したとき、守屋が多くの兵で太子を取り囲むと、
太子は逃げようがなく榎の木のウロに隠れたという。
その榎はたちまちウロを閉じて太子を隠した。
太子が危機を脱して守屋を退治したあとに、その木を使って毘沙門天を造った。
元就様はその毘沙門天をお守りとして肌身離さず持っていたが、珍しい瑞相が多く現れたそうだ。
元就様が信心第一であったために神仏の加護が深かったためだろうか、さまざまな奇瑞もあったという。

なかでも出雲の尼子を征伐するために出陣したとき、具足櫃の上に誰が置いたともわからない、
錦の袋に入った一巻の書が一夜のうちに現れたことがあった。
元就様は早朝に起きてこれを見ると「誰が置いたのだ」と尋ねたが、誰も知っている者がいない。
世にも不思議に思ってこれを開いてみてみると、軍法軍配の奥義、真言の秘訣を記した書だった。
「これはただごとではない、きっと八幡大菩薩のお告げであろう」と、
三度押し頂いて崇めた後、櫃の奥深くに納めた。

「その昔、子房(張良)は不(下?)邳の橋の上で石公から一巻の書(太公望の兵法書)をもらい受け、
それを使って帝(劉邦)の軍師となり、強国の秦を滅ぼした。
我もまた天より一巻の兵法書を賜ったのだ。
なんとしてでも凶徒を速やかに退治し、天下の執権として大樹(将軍)の後見を務め、
政道の間違いを正し、民を苦しみから救わねばなるまい」と喜んだという。

元就様には十人の子がいる。
嫡男は大膳太夫隆元様、その次は女子で宍戸安芸守隆家の妻となった。
三番目は吉川駿河守元春、四番目は小早川左衛門佐隆景、五番目は女子で上原右衛門太夫の妻となった。
六番目は杉森少輔十郎元秋、七番目は穂田(穂井田)治部大輔元清、
八番目は毛利大膳太輔元康、九番目は天野六郎左衛門元政、十番目は藤四郎秀包である。
豆の種から麻や麦の芽が生えてこないように、いずれも世に傑出した良将であったということだ。


以上、テキトー訳。

うーんと。いきなり元就の兄弟情報・子供たちの情報が把握してたのと違って混乱。
ウィキペディアによると
【兄弟】興元、元就、北就勝、相合元網、見付元氏、女(武田氏室)
【子供】隆元、吉川元春、小早川隆景、穂井田元清、元秋、出羽元倶、天野元政、
    末次元康、秀包、二宮就辰、女(夭折)、五龍局(宍戸隆家室)
まあウィキペディアも信頼できる情報かっていうとアレだけどな。
二宮あたりは隠し子だから数に入れてないのはいいとしても。
元綱とかはお家騒動とかにも絡んでくるはずだから、ここで間違えてると辻褄があわなくなるで、しかし。
ていうかこのあたりは間違えようがないと思うんだけど、どうなんだろう。

まあいい。
瑞兆だの何だの絡めてくるのはお約束だね。
具足櫃の上に兵法書が置いてあったとかいうくだりは、「元就、ボケたの?」と言いたくなるなw
自分で置いといて忘れたんと違うんかい、って誰か突っ込めばいいのに!
それとも、アレかね。戦国武将がよくやったという自作自演なのかね。
「縁起がいいぜ! この戦、勝つと決まったようなもんだぜ!」って雰囲気を演出して
兵の士気を高めるというテクニックなのかね。
この時代の奇跡だとか瑞兆なんてもののほとんどが自作自演なんじゃないかと疑ってみたりw
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