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2011-11-03

マジで九州は地獄だぜ! フゥハハハァー

昨日(今朝?)の章の続き。
短いけど今回はこれで。


賀来・福島の両城没落のこと

吉川蔵人頭広家様は宇都宮弥三郎が降伏したので、
それから東豊前に進み、賀来・福島の両城を取り囲んだ。
賀来の何某・福島入道ともども、劣るところのない勇士で、寄せ手が多勢であっても少しもひるまずに戦った。
彼らはいずれも、昔からこの国の御家人であって、手勢にも名を知られたつわものが揃っていた。
広家様が攻めてきたのを見て、館を焼かれまいと打ち出て一戦しようとしたけれども、
寄せ手の備えは堅固でそのうえ大軍である。正面から立ち向かうこともできず、城中へ退却していく。
寄せ手は思うままに攻め入り、城の近くにある家々や賀来・福島の館を焼き払った。

そのまま仕寄を付け梯子を組んで攻めようとすると、
城中にも宗徒の兵たちが多く立て籠もっていて、鉄砲を隙間なく撃ちかけてくる。
たちまち熊谷弥七郎・佐伯小次郎が討たれてしまった。
それでも寄せ手はものともせずに攻め近付き乗り破ろうとしたところ、
両城はともに、命を助けてもらえるなら城を明け渡すと降参を申し入れてきたので、これを受け入れた。
同極月(十二月)晦日に城を明け渡して退却するところを、一人も残さず討ち果たした。
両城にて討ち取った宗徒の首、八百余りを獄門にかけ、その日は唐津まで三里打ち入った。

この勢いにすっかり臆したのか、その後はこの国で一揆を起こす者、
さらには黒田・毛利(吉成)の命に背く者はなくなった。

こうして広家様はこの年はこの地で年越しして、
天正十六年正月十日に豊前の地を出発し、長門の国府まで帰陣した。


以上、テキトー訳。

また……また騙して殺すのかよ。
見せしめだから特にひどくする必要があったのかもしれないけども。
一揆制圧に動員された人たちがさすがにかわいそうになってくるよ。
向かってくる敵じゃなくて、すでに降伏してる無抵抗な人たちを殺さなきゃならないとか。
普段の戦でも略奪とか現代の感覚からすると人道的にどうなのって行為は普通だったろうけれども、
あれはあくまで敵地だしなぁ。一揆ってのは保護すべき領国内なわけで。

そういや厳島でも投降した敗残兵を撫で斬りにしてたなぁ。
でもあの時点で敵の大将(陶入道)の生死も行方も不明だったわけだし、
和平とか一定の区切りが付いてる今回とは状況が違うもんな。
そもそも経緯も違う。
陶の大軍VS毛利の寡兵→毛利軍、ムリにでもイケイケモード全開
→勝ったぜ→イケイケモードのまま落ち武者狩り
てな展開だったから、ひどいことしてても鬱にはならないんだろうが。

こりゃ宗教に逃げる将兵が増えるんじゃないか?
毛利の熊谷元直さんもこの天正十五年(1587年)にキリシタンになってるし。
鬱だ……
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