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2011-11-10

宇喜多と秀吉の縁

さてさて、広家の嫁さんのお母さんの話だよ。

宇喜多秀家の母のこと(1)

さて、秀吉公が宇喜多和泉守(直家)の息女を養育したのにはこんなわけがある。
先年、宇喜多和泉守直家が死去した後、嫡子の八郎秀家から、
天下の権勢を握った秀吉公に対して人質を一人送ることが決まった。
宇喜多家の老臣の岡・長舟・明石以下の者たちが、誰を差し出すかを会議して、
まずは秀吉公の御内意をうかがった上でその尊命に従おうということになった。
秀吉公にこれを伝えると、秀吉公は
「秀家はまだ幼く、実子もいないだろう。であれば、たった一人いる母を人質として京都に差し上らせよ」
と返答した。

これについて宇喜多八郎秀家が老臣たちを呼び集めて相談する。
「たった一人の母をはるかかなたの都に上らせて、見慣れぬ人たちと交流させるなどということは、
子として最大の不孝だ。いったいどうしたらいいだろうか」
とはいっても、岡・長船をはじめとして、
「もし秀吉の仰せに少しでも否と言ったら、たちまち宇喜多家は滅亡してしまうに違いありませぬ。
家を保たせ、身命を全うすることこそが孝行でございましょう」としきりに秀家に諫言する。

また同じように母に相談しても、母はこう言うのだった。
「親しい人々と離れ、愛しくてしょうがない幼い我が子を捨てて、
知らない都に赴くのは嘆かずにいられないことだけれど、宇喜多の家のため、
また他でもない八郎のためならば、露ほども嘆くことではありませぬ。
我が身は虎の潜む野辺、熊の棲む深山に行くことになろうとも、子のためであればちっとも怖くない。
八郎はまだこんなに幼いのに、私を都に送るのを身を挺してでも防ごうとしてくれる。
実に孝行者ですとも。
けれども、家を守ることこそが、父の直家、そのほかの先祖に対してもこの上ない孝行となりましょう」

母はやがて備前の国岡山の城を出て、都を目指して出発していった。

この人は天下に比類ない美人で、
人々が「輝く日の宮と名高い人であっても、これほどではあるまい」と噂しあったほどだった。

しばらくしたある夜、秀吉公がつれづれに身の回りの女房たちを呼び集めて、
歌を謡わせ拍子をとらせて酒宴となった。
たいそう酔ったところで盃を置き、今昔の物語などをしはじめた。

「わしは今六十余州を掌中に納め、従一位の関白にのぼりつめた。どんなことでも思い通りになるぞ。
けれども一つだけ思い通りにならないことがある。
それは何かというと、上は公卿や殿上人、下は漁夫農老にいたるまで、
見目良い娘を持った者を尋ねていけば、このわしを追い返す者などおらん。
それなのに、これぞと心にかなう美人はいなかった。

いにしえの漢の国には唐の楊貴妃・漢の李夫人・越の西施といった美人がいたが、
我が国にも、光明后宮・衣通姫のことは口にするのももったいないことだが、
小野小町・和泉式部など、そのほかにも名に聞こえた美人は数知れずいたものだ。
今の世には、時が経つにつれて衰えたのか、
上には宮中の女官から下は士農工商にいたるまで、
世に類ない美女というものは、耳にしたことすらないぞ。

昔の高師直は、菖蒲の花のような美人を得られるなら大国に替えても惜しくないと言ったそうだが、
わしは日本六十余州に替えても欲しいと思うぞ」

これを聞いて、そばに侍っていた民部卿の局とかいう女房が口を開いた。
「古代の唐土、我が国の美人は噂にばかり聞こえて見たことがないものですから、わかりませぬ。
今の世には、女御・更衣、そのほか数多の女官たちがいますが、
宇喜多八郎殿の母御ほど容姿の優れた女人はおりません。
美しいだけでなく、またお心もおだやかで、並び立つ人はいないでしょう。

かの塩冶の判官の妻は、梅の香を桜の花に匂わせて柳の枝に咲かせたかのごとくだと、
高師直に申した女房がいたと聞いております。

この八郎の母君は、容貌は匂い立つようで、愛嬌もあって、その美しさは梅や桜の色香にも負けません。
また所作はたおやかで、その妖艶な様は柳の枝の深い緑にも比べることができないほどです。
まったく古今の高名な画家であっても、あの姿の艶やかな美しさを写し取ろうとすれば、
筆を投げ捨ててしまうでしょう。
どれほど賢く雄弁な人であっても、この人の心の立派さ、慈しみ深さを語りつくせないでしょう。
同じ女の身であっても、まぶしく心も惑わんほどに感じましたので、
ましてや殿御であれば、一目見れば心は現実を離れて舞い上がり、
身は震え、気絶してしまうことでしょう。

菖蒲の花のような女と日本の六十余州を取り替えるのでしたら、
この女房には月氏・晨丹も添えるべきです。
名前だけ聞く吉祥天女が人に姿を変えたのか、この世の人とも思えない美しさです。

しかしながら、すでに盛りが過ぎている年齢だというのが少し残念です。
ああ、この人の二十八歳ごろの姿を見られなかったのが口惜しくでございます」

秀吉公はこの物語に聞き入って、ただ呆然としていたが、
「では今は何歳ほどなのだ」と尋ねる。
民部卿の局が「そうですねぇ、敷島の和歌の文字数より少しばかり上でしょう」と答える。
秀吉公が「それは一つ、二つ、三つ、程度上なのか」と聞くと、
「そうでずねぇ、源信明が『仄々と有明の月の月影に』と詠んだ歌の文字の数程度にございましょう。
まったく、盛りの過ぎた年齢だということだけが惜しまれます」と答えた。

秀吉公は、「いやいや、そうではない。『花は盛りに月は曇りなきをのみ見るものかは』と
兼好法師も書いているではないか。
少々盛りを過ぎていた方が、かえって情も深く、まめなところもあるというものだ。
最後の寄る辺と頼むには、これこそ好ましい。
槿の斎院が歳を重ねても、光源氏は心を尽くしたではないか。

さあさあ、どうにかしてその女房を一目見せよ。
こうした姿を少しばかり見られれば、この世に生きる甲斐もあるというものだ」

と切に迫るので、民部卿の局は
「私のの力では少々難ししくざいます。幸蔵主、よきように計ってください」と幸蔵主に言った。
幸蔵主は、「殿のお心を遂げさせたいものですが、なんとも難しいので、
何か理由をつけてその女房をここへ呼び寄せなさいませ。
殿のお呼びで召されたとあれば、否と言う者はこの天下におりませぬでしょう。
女の身であっても、ご命令には背きますまい」というので、
やがてその女房のところに使いを出し、
「国々から上洛された人々に殿がご対面される。早々にご登場あれ」と申し伝えた。

その女房は、「私など、声も濁っているし、田舎くさい格好で、
華の都人にお会いするなんて口惜しくも恥ずかしい」と思い、どうにか言い紛らわそうと、
「最近、体にできものが一つ二つできまして、熱もあり、堪えがたい体調です。
秋風が吹きはじめる頃には快復することでしょう。そのときには必ず見参いたします」と返事をした。
秀吉公は、「体調が優れないのであればどうしようもない。
秋まではそう間もない。そのときまでは待とう」と言った。

以上、テキトー訳。ツヅクノデス。

なんていうか、ちょっと前に「やる夫が『奸悪無限の武将』宇喜多直家に仕えるようです」の
まとめサイトを見たので、秀家母がハトよめのAAで再生される……

それはそれとして、今回の感想。
京女コエエエェェェェ!

「その女、歳はなんぼじゃ?」と聞かれて「和歌の文字数よりちょっと上」とか
そんな受け答えできないぞ、普通。なんというサロンスキル。
しかし「その女と引き替えに日本だけじゃなくて大陸もあげちゃいなさいよ」とか言うから
秀吉が朝鮮出兵なんぅわなにをgbsぷじょ;ふじこ

えーと、秀吉は平城運転だった。
イメージどおりの女好き。
「キレイなネーチャン拝むのが生きがい」とか思ったとおりの秀吉すぎる。
男の夢だの野望だのって、結局「イイ女抱きたい」に尽きるよねぇ。
健康そうで何よりです。

そりゃそうと、この当時で「女の盛りは二十八」って認識だったんだな。
なんかに二十八ってぇと年増のイメージだけど。
この頃は十代前半で嫁いだり子供産んだりも珍しくなかったろうから、なんか意外。
もっとペドフィ(ry

おっと、こんな夜中に直家さんがお茶持参で遊びに来たようだ。
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