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2011-11-26

鳥取けちのつき始め

鳥取落城を読もうと思って、その少し前から読み始めてみた。
早く経家登場しないかな~。


山名大蔵太輔豊国心替えにつき森下・中村、豊国を追い出すこと

羽柴筑前守秀吉は、数万騎を率いて但馬の国に攻め入った。
このとき、一番に敵を討ち取った者には莫大な恩賞を与えると触れを出したので、
兵たちは我も我もと勇んで進む。
そのなかで、武田源三郎の郎党の中原市太夫が一番に敵を一人討ち取り、首を引っさげて帰ってきた。
秀吉は大いに感称した。
その後、太田垣の一族もあちこちで防戦して勝利を得ようとしたが、
大軍を相手にかなうはずもなく、城を捨てて退却せざるを得なかった。

秀吉の武威はいよいよ強大になり、この国で降伏してきた山名但馬入道・垣屋駿河守を先陣に使って、
因幡の国の鳥取の城に押し寄せた。
まずは使者をして、豊国に
「味方になれば人質を返し、そのうえ因幡一国を残らず与えよう。
もし断るなら、豊国並びに家之子郎党の人質も残らず討ち果たす」と伝える。
豊国は早速寝返ろうと思ったが、さすがに家人たちの心中を慮って、
山口・森下・中村を呼び寄せ、どうしたものかと相談した。

皆が言うには、
「先年、尼子の冨田籠城のとき、元就に使いを送って軍門に下る旨を伝えました。
元就は杉原・南条らを加勢に送ってくれ、この国の敵を攻め滅ぼしてくれました。
これはひとえに元就の芳恩に他なりません。
その後、山中鹿介が尼子勝久を大将に担ぎ上げて当国に攻め入ってきたときは、
毛利家を裏切ってこれに味方されましたね。
元春・隆景が勝久を征伐しに当国の私部(キサイチ)の城に向かったとわかると、
また尼子を裏切ってもとの毛利家に従われました。
これでは前代未聞の卑怯な愚か者でどうしようもないと思っていましたが、
今度はまた秀吉に一味しようなど、なんと情けない仰せですか。
私どもの人質がその身をズタズタに切り裂かれ、骨を粉々にされようとも、
主君のために子を捨てるのは忠臣として嘆くことではありません。
ここは毛利家への一味の態度を変えないでくだされ」と諫める。
豊国ももっともだと思ったのか、秀吉へ寝返ることはなかった。

そうなると、秀吉はすぐに山口・森下・中村たちの人質を磔にかけ、
鳥取の麓に並べて、槍・薙刀を抜いて差し当てた。
「もし味方になるなら助けてやるぞ。そうでなければ人質を突き殺してやる」と言っても、
山口・森下・中村たちはまったく耳を貸さなかった。
この人質を一人残らず突き殺す様子は、余所目に見ても魂が消え入りそうなものだった。
親兄弟であればどれほどつらかっただろうか。
義があれば嘆いて当然のことでも嘆かないものだとは言うものの、その心中はさぞ、と思われて、
城中の者たちは皆袂を絞った。
まして人質の母や祖母たちは、愚かな女の身であれば、忠も義も知ったことではない。
ただ「非情な秀吉じゃ。薄情な親心じゃ。
敵方に降伏せずに、いとおしい可愛い我が子をこうして目の前で殺されてしまった」と嘆き悲しんだ。
実に道理で哀れな有様だった。
森下たちは、「生は死の始めだ。百年も生きる者はいるまい。
どうせ一度は死ぬ命なのだ、主君のために命を捨てるのは、忠臣・勇士として望むところだ。
子供たちもこの我らの子ならば、恨みにも思うまい。
ならば我らが悲しんではならん」と、気にもかけない振りをしていた。

その後、敵はまた豊国の娘を磔にかけ、美しい黒髪をさかさまに引っ張り、
手足を左右に開かせて縛り付けると、乱暴に鳥取の麓に晒した。
槍・薙刀を抜いて雪のような肌に差し当て、
「どうした豊国、子供の命が惜しいか。因幡一国がほしいか。それならこちらに味方せよ。
惜しくてたまらない子供の命も、望みの領土も捨てて、毛利家に一味するなら覚悟しろ。
こちらにつかないならこの人質を刺し殺し、この城も攻め落としてやる。
豊国はもちろん、女子供の首もことごとく刎ねてやる。よく考えるんだな」と三日間言い続けた。

豊国は、「あの娘を殺されては、自分がこの世に生きている甲斐がない。
もう出家して高野粉川の奥に隠棲しよう。身も惜しくない。国もほしくない」と嘆いた。
山口・森下・中村は、
「最愛の我が子を捨てたのも、主君の不義の汚名を雪ごうとしたからなのです。
今またご息女の命を失い、国を捨て家も捨てて出て行けば、さらに愚痴蒙昧の汚名が加わるでしょう。
子を失っても敵に協力しないのも殿のため、子を殺されながら敵に降伏するのも殿のため、
もう豊国を諫めたりはしません。お好きなようになさってください」と言った。
豊国は非常に喜んで、使者を送って
「秀吉にお味方しようと思います。娘の命を助けてくだされ」と伝える。
秀吉はこう言わせるためにこそ、ここ数日はただ見守っていた。
やっと念願がかなったので、すぐに人質を助けた。

こうして因幡一国が丸々豊国に与えられたかというとそうではなく、
因幡はほぼ家人に分割して与えられ、豊国にはわずか二郡が与えられた。
山口以下の家臣たちは、子供を殺されたうえに小身になって、まったく興醒めした様子だった。

これほど忠志を尽くしても、豊国はこれを嬉しいと思うような様子もないばかりか、
無法な振る舞いも多かったため、山口・森下たちはたちまち恨みを抱いた。
なかでも中村対馬守と豊国が仲たがいしたのは、豊国の好色が引き金となった。
中村の妻は容貌が優れて美しく、また心優しい女だったが、豊国はこの評判を聞きつけ、
どうにかしてその女を一目見て、聞いていた通りなら奪い取ってやろうと思っていた。
しかし目にする機会もないので、心を千々に砕いて考え込んでいたところ、ハッと思いついた。
手近な侍たちに「数奇(風雅な催し物?)をせよ」と申し付けると、次々に我も我もと会を開いた。

中でも豊国の真意を心得た若党が「数奇もなかなか気詰まりだ。私は茶屋を学ぼう」と、
自分の妻を出して茶を立てさせた。
それからは茶の手前は女がやるほうがよさそうだとなって、
山口・森下も自分の老女を出して茶を立てさせた。

さて、中村が会を開く番になると、豊国は以前からの望みがかなうと世にも嬉しく思って、
いつもより華やかに装って外出した。
中村の数奇屋に入り、早く女房が出てこないかと待っていると、
意外にも対馬守本人がくすんだ肩衣袴を着け、いざり出てきた。
そのまま無愛想に茶を立てたので、豊国は顔色を変え、
「皆は妻女を出して茶を立てさせた。それを中村一人だけが違えるとは奇怪なことだ」と激怒した。

対馬守は「仰せはかしこまって承りました。
しかしながら、豊国のご厚恩にて、近年は過分の所領をいただいておりますので、
家人も数多く召抱えております。
よって妻が手ずから茶を立てたことはありませんので、茶の道を存じておりません。
そんな不調法者を御前に出すのもいかがかと。
私は不肖の身ではありますが、当家の老臣の名を冠する者が、いかに豊国が気に入るからといって、
女を差し出し、茶屋の女将のような振る舞いをさせるものではありません。
これまで皆の妻室に茶を立てさせたのも下品極まりないと思いますぞ」と乱暴に言った。
豊国も理詰めでやりこめられて、言葉をなくして宿所に帰っていった。

それから豊国は、忠節を尽くしている中村を憎々しく思って、どうにかこれを失脚させようと、
毛を吹いて疵を求める(人の欠点を暴こうとしてかえって自分の欠点を晒すこと)がごとくに振る舞った。
そのうえ家中の掟も一つとしてまとものものがなかったので、山口・森下をはじめとして皆辟易して、
心替えをして芸陽に一味し、因幡一国を切り従え、本領を取り返そうと謀略を練った。
豊国は無力にも、八月(九月)二十一日に毛利浄意入道一人を連れて鳥取を逃げ出し、
播磨の姫路へ赴いて、羽柴秀吉にこのことを告げた。
また同九月二十五日には、亀井新十郎とともに鹿野の城にいたが鹿野の何某が、
何を思ったのか急に態度を変えて芸陽に味方し、その城を捨てて同国の荒神山に籠もってしまった。
一人城に残された亀井は、秀吉に加勢を頼んできた。


以上、テキトー訳。

とwwwよwwwくwwwにwwwww
不思議なことに、この人は江戸時代まで生き残って、ちゃっかり家を続かせてるんだよね。
まあよく知らないんでwiki先生覗いただけだけの知識しかないが。

いやしかし、家臣に
「あんた裏切ってばかりじゃないですか。もっとちゃんとしてくださいよ」
とか言われてシュンとしちゃうとか、それってどうなの。
裏切るなら裏切るで、真田昌幸レベルまでいっちゃうといっそ痛快なのに。

そして家臣の妻を横取りするにも、「まあ一回見て確かめてから~」なんて悠長なことやってて、
仕込みはOKなはずなのに期待を外されたうえ
「曲がりなりにも当家重臣の女房に茶屋のかかあの真似させるわけにいかんでしょJK」
と怒られてまたシュンとしちゃって、後日嫌がらせを始めるとか、ちっちぇえな。
意に沿わない者は斬り殺すくらいの残忍さがあればまたひと味ちがったんだろうにな。

今後はしばらく鳥取落城まで順に読んでいこうと思う。
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